第3章5
「あっ・・・」
人が居たことに驚き、咄嗟に声が出てしまう。
私の声に驚いた鴉は、一目散に飛び立って逃げていってしまった。
「いっちゃった…」
なんと、そこにいたのは転校生の姫守君だった。
姫守君の方は突然の侵入者に驚いた様子もなく、飛び立ったカラスを見送る。
「あの、ごめんなさい。その、驚かせちゃって」
「ううん、全然気にしてないよ」
「そう、それなら良かった…」
屈託のない笑顔を向けてくる転校生がとても眩しかった。
「まさか、屋上に誰かいるなんて思わなくて。カラスさんには悪いことしちゃった」
「きっと餌を上げればすぐに機嫌を直してくれるよ」
「そう…だね。あの、私てっきり姫守君は教室で皆と一緒にいるんだとばり…」
「うん。始めはそうだったんだけど。ただ、ちょっと疲れちゃって…。周りにあんなに人がいる状況で食事をする事って今迄なかったから」
姫守君は申し訳なさそうに応える。
たしかにあんなに異性に囲まれて、見世物のような扱いでは満足に食事も喉を通らないのは当然だった。
「途中でお手洗いに行くからって言って抜け出してきちゃった」
姫守君はすこしバツが悪そうに頭を掻いた。
「あれは仕方ないよ。あんなグルっと囲まれたら誰だって居心地悪いし」
「…うん、ウサギの気持ちがちょっとわかった」
「うさぎ?」
「あ、いやその…そうだ!これよかったらどうぞ」
なにやら慌てた様子で話題を変えた姫守君は、ブレザーのポケットに手を入れると、入っていた茶色の紙袋をこちらに差し出す。
袋を受け取り開けてみると、中には切り分けた林檎がラップに包んで入っていた。
「わぁ、林檎だ!姫守君ありがとう」
反射的に礼を言って受け取ってしまったが、どうして?という思いが表情に出ていたらしい。
「お腹が空いてるんじゃないかと思って」
なんとも簡潔な答えが返ってくる。
たしかに私は昨日のお昼から何も食べていなかった。
でも、いくら空腹であったとしても、こちらはそんな素振りを一切見せていなかった。なのに、姫守君にはあっさりと見抜かれてしまった。
「私、お腹空いてるって顔に出てました?」
「いや、そんなことないよ」
顔に出ていないとすれば、あと考えられることはひとつしかない。
お腹の音だ。いやしかし、そんなことが可能なのだろうか?さきほどお腹の虫が鳴った時は、姫守君とは十分に距離が離れていたはず。
「もしかして聞こえてた?」
姫守君の瞳をまじまじと覗き込むようにして訊ねてみる。
「…いいえ」
姫守君「いいえ」って言った!「なにを?」じゃなくて、「いいえ」って言った!
「…音、そんなに大きかったですか?」
「いや、そんなに大きくはなかったよ」
穴があれば全力で入りたかった。
「じゃあ、もしかしてカラスの真似をしたのも聴こえてましたか?」
「…とっても可愛らしかったよ」
終わった。私の第一印象完全に終わった。
転校初日、隣に座っていたクラスメイトの女生徒は、お昼休みになると屋上でお腹を鳴らしながらカラスの物真似をする。我ながらなんて奇妙な女なのだろう。
可愛いと言ってくれた気遣いが、余計に私の羞恥心を煽った。
「えっと、良かったら今のうちに食べちゃえば?」
「…はい、いただきます」
姫守君の顔を見ないように隣に座ると、貰った林檎を頂くことにした。
「あ、おいしい」
切り分けてから時間が経っているはずの林檎は、しかしとても瑞々しく、ひと噛みする毎に、甘い蜜のような味わいが口のなか一杯に広がった。
「切った後、すこし塩水に漬けておいたんだよ」
姫守君曰く、林檎を塩水に漬けておくと、時間が経ってもあまり変色せず、美味しく食べれるのだそうだ。
「へぇ~知らなかった。姫守君ってお料理するの?」
「うん。母が家を留守がちだから、自然と憶えちゃった」
「そうなんだ。すごいね」
「そんなことないよ。用事をしてない時は、さっきみたいによく怠けてるから」
「それでも偉いよ。私なんて料理はからっきしダメだから」
両親が生きていた頃は、家事は母が一人でこなしていた。母が亡くなってからと
いうもの、掃除や洗濯はたまに私が纏めてやる程度で、それも他人に自慢出来るほど上手くもなかった。
食事に関しては、家計を管理している兄に毎回頭を下げて、僅かな食費をその都度貰い、そのお金で安いお弁当やパンを買うという有様だった。
「料理は嫌い?」
「そうじゃないけど。なんというか私不器用だから」
「初めは失敗もするけど、やってみると案外楽しいものだよ」
「でも、いくら頑張ったところで、ママみたいに上手には作れないから…」
一度だけ、母の味が忘れられず卵焼きに挑戦したことがあったが、出来上がったのは、所々が焦げた見た目の悪いスクランブルエッグもどきだった。
「それなら上手い人と一緒に練習すれば、すぐに」
「ママ、もういないから!」
脳裏に母親の顔が過ぎってしまい、咄嗟に大声をあげてしまう。
「・・・・・・」
「ごめん。私の家、両親いないから」
やってしまった。せっかく仲良くなれそうな雰囲気だったのに、自分の手で壊してしまうなんて。
出会ったばかりの同級生から大声をあげられて、きっと姫守君も気分を害したに違いない。
転校生の顔を見るのが怖くて、俯いていると、不意にそっと頬に何かが触れる。驚いて顔をあげると、それは姫守君の指だった。姫守君の指が触れた箇所に手を当てると、すこし濡れているようだった。
自分でも気づかないうちに涙を流していた。
「すこし似てる」
「えっ?」
「ボクも小さい頃に父を亡くしたから。物心がつく前で、あまりきちんとは憶えていないのだけど」
「そう・・そうなんだ・・・」
自分と同じような境遇の人が傍に居てくれている。同じ苦しみや悲しみを共有し合える人が近くにいる。それは嬉しいという感情とは違ったが、自分にとってなによりも代えがたい存在であるのは確かだった。
「あの」
口を開いた直後、五時限目のチャイムが鳴る。
それを聞くと、姫守君はピョンと、まるで水溜まりを飛び越えるように、軽々と屋根の上から飛び降りる。3メートルはありそうな高さだったが、まるで物ともせずに、あっさりと着地する。
「行こう」
まるで、さきほどまでの重苦しい空気など始めからなかったかのように姫守君は告げると、こちらへ向けて手を差し伸べた。
いやいやいや、無理だから。下手しなくても足挫いちゃうから。
首を左右に振り飛び降りを拒否すると、先ほども使用した梯子に手を掛ける。
「あっ」
梯子に足を掛けて降りようとするが、ふと梯子の下に目をやると、真下に立っていた姫守君と目が合ってしまう。おそらくは落ちないように好意で立ってくれているのだろうが、その位置はいろいろと不味かった。
「ちょっちょっ⁉見ないで!」
咄嗟に梯子を掴んでいた両手でスカートを押さえてしまう。その拍子にバランスを崩した上体は後ろへと傾き始める。
「わわわっ」
梯子を掴み直そうとするも、僅かに梯子には手が届かず、そのまま後ろへと倒れてしまう。反射的に目をつむり、痛みに備えようとした直後、私の体は抱きかかえるようにして受け止められていた。
「えっと…」
私を助けてくれたのは当然、下にいた姫守君だった。
「た、助かりました」
「うん」
姫守君のおかげでなんとか助かった。だが、問題は今の二人のこの体勢だった。
「あのさ……」
これはもしや俗にいうアレである。
「うん?」
あの有名な『お姫様抱っこ』だよね⁉
「降ろして……下さい…」
言ってしまった。今生ではもう二度と、こんな経験出来ないだろうけど、仕方ない。だってこれは無理。私には無理。嬉しいというよりは恥ずかしい。
「まぁその、一応、お礼は言います。ありがとう。だけどね、姫守君も悪かったんだよ?あんな場所に立たれたら、女の子は誰だってビックリしちゃうでしょ」
「ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったんだけど、足に付けた白いのが気になってしまって…」
「白いの?」
自身の足を確認してみると、早朝に保健室で使用した湿布がまだ太ももに貼られたままだった事を思い出した。スーッとする効果は切れていたけど、外し忘れていた。
「これはその、えっと朝方にちょっと転んじゃって」
「痛むの?」
「ううん、もう全然平気」
心配そうなに見つめる姫守君の前でピョンピョンと跳ねてみる。
「そう・・・ほんとにごめんなさい」
「いやいや、もういいよ。姫守君もわざとじゃないんだしさ。怪我したわけ
じゃないから、もう気にしないで」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます