第3章3
あっさりと終わった自己紹介に、クラス中が肩透かしを味わう。
ふつうは、以前通っていた出身校についてだったり、趣味や入りたい部活動についてとかを語るものだと思うのだけど、当の姫守九狼と名乗った転校生は、先ほどの自己紹介で十分といった様子であった。
パチパチと疎ら拍手が終わると、それまで静観していたクラスの委員長である斎藤雪が席から立ち上がり、おもむろに訊ねた。
「はじめまして姫守君。このクラスの委員長を務める斎藤雪と言います。姫守君は、以前はどちらにお住まいだったのですか?」
「えっと、数年前までは欧州の方に…」
なんだか歯切れの悪い返答だったが、生徒たちからすれば、十二分に興味が惹かれる内容だったようで、委員長の質問を皮切りに、生徒たちは怒涛のように質問を転校生に浴びせた。
「名前が日本人っぽいけど外国の人ですか?」
「具体的に何処に住んでるんですか?」
「向こうではガールフレンドっていたの?」
「欧州から越してきたって、もしかしてすっごいお金持ちなんですか?」
「実は男装してるのでは?」
ワイワイガヤガヤと、引っ切り無しに質問を浴びせ掛けてくるクラスメイトたちに圧されてあたふたとする転校生。
「はいはい、皆静かに。もうじき一限目が始まりますから、質問の続きはまた休み時間にしてちょうだい」
見かねた担任の川崎先生からストップが掛かる。
「それじゃあ姫森君、あそこの一番後ろの列、あの空いている席があなたの席よ」
そう言うと、川崎先生は私の隣の席を指差す。
「はっ」
寝耳に水とはこのことだった。まさか無頓着、無関心な担任から渾身の殴打をお見舞いされようとは思いもしなかった。
クラス中の視線が一気にこちらへと注がれる。
「なにか分からない事があれば周りの皆に訊くか、休み時間に職員室へいらっしゃい」
そう言い残すと、川崎先生はさっさと教室を後にする。それと代わるように一限目担当の教師が入室する。
周囲の視線は、自分の席へと向かう九狼へと向けられていたため、必然的にその隣の席である私にも視線が向けられていた。クラスメイトたちの視線には転校生への強い興味と、私への嫉妬と羨望が多分に込められていた。まるで針の筵にいるようだ。
すでに頭の中はパニックに陥っていたが、それでもなんとか事態を穏便に済ませるべく、脳内会議が行われていた。
(あとで先生に視力が急に落ちたといって、席を変えてもらうとか?)
(いや、すぐに嘘ってバレるでしょ)
(転校生をひたすら無視し続けるとか)
(それなんの解決にもならないし、心象悪くするだけでしょ)
(じゃあもう学校をズル休みするくらいしか・・・)
ダメだ。それは一番やってはいけない。もしも学校を無断で休んでいる事が、兄にばれでもしたら、今度は何をしでかすか判らない。
兄が騒ぎを起こした時の暗鬱な記憶が滲み出るように蘇ってくる。
はじまりは軽いいじめだった。
ある日、クラスの中心的存在である井口裕子と、口論になってしまう。
どこで知ったのか、私の両親が事故で亡くなったことを聞きつけた井口裕子は、なぜかそれをネタに私に癇癪を起こした。売り言葉に買い言葉で言い争いになったが、もともと友達でもなかったため、互いに謝罪の言葉もなかった。
次の日には普段通りの日常に戻るだろうと思っていた。
そして次の日から異変が起きた。クラス中が私を無視し始め、私物が突然無くなり、登校すると机の上に花瓶を置かれていることもあった。
担任の川崎先生に相談すると、授業終わりのホームルームで、議題にされたが、生徒たちの打算的な謝罪に一人で勝手に満足してしまい、結局なんの役にも立たなかった。
苦しんだ私は、あろうことかその事を兄に話してしまう。今思い返すと後悔しかない。
兄は両親の死後、精神的にかなり堪えたようで、それが原因で大学受験に失敗してしまい、それ以降すっかり部屋に閉じこもってしまう。
誰かに聞いて欲しかった私は、ドア越しに兄に語った。
激昂した兄は、何処で入手したのか金属バットを手に学校へ乱入してくると、手あたり次第に物品を壊しながら、叫び声をあげて職員室へ飛び込んでいった。
すぐに男性教諭が数人掛かりで止めに入ったおかげで、被害はたいしたことはなかったが、騒ぎのせいで、私に対する周囲の目はさらに酷くなった。
大人しかった兄が、あそこまで半狂乱になり、攻撃的な行動に出るなんて思いもしなかった。
それでも、もっと早くに気づいてあげるべきだった。兄の心が病んでいた事に。
思い出した途端、体に悪寒が走り身震いする。あんな事、二度と起きて欲しくはな
かった。
「はじめまして」
私がそんな憂鬱の泥沼にズブズブと沈んでいると、突然隣から小声で挨拶を掛けられる。
振り向くと、そこには既に席に着いた転校生の姫守九狼が、こちらを見つめていた。
「これからよろしくお願いします」
「あっえっあっ…」
魚のように、ただ口をパクパクさせるのみで、言葉は出てこなかった。
恥ずかしさのあまり、先ほどよりも更に顔が紅潮していく。
「ぴゃい」
何か喋らねばと、胸の奥から空気を絞り出すように口から出たのは、まるで野鳥の鳴き声のような音であった。
「ふ、不束者ですが、な、何卒よろしく…」
記憶や思考が何処かへ、スポーンと飛んで行ってしまったため、自分でも何を喋っているのか、まるで判っておらず、最後の方はぼそぼそと、とても聞き取れるものではなかった。
それでも姫守九狼は嫌な顔ひとつせず、静かに微笑んで会釈してくれる。
「チッ」と、何処からか舌打ちする音が聞こえた。
その後、一限目の授業が始まるが、終始、生徒たちは転校生に気を取られていたため、授業にはまるで身が入らず、担当教師からの注意が幾度も飛んだが、効果がないと悟ると、あっさり諦めてしまい、一限目終了のチャイムが鳴ると、さっさと教室を後にした。
休憩時間に入ると、あっという間に転校生の周りに人だかりができる。
朝のホームルームの続きとばかりに、早速クラスメイトたちからの嵐のような質問攻めが始まる。
「欧州って言ってたけど、具体的には何処に居たの」
「小さい頃から転々としていたので、あまり覚えていないんです。ただ物心がついてから最近まではカンバーランドの辺りに住んでいました」
「カンバーランドってどこにあるの?」
「イギリスの北部の町です。ピーターラビットの舞台にもなったところで、ウサギやリスもいて、とてものどかで静かな良いところですよ」
「へぇ~、九狼くん動物が好きなんだ。もしかして可愛いもの好き?」
「動物はなんでも大好きです。特に柔らかい動物が好きです」
「やわらかい?ああ、モフモフって意味ね」
木漏れ日のような眩しい笑顔で答える転校生に、釣られてクラスメイトたちも笑顔になる。
「九狼くんの今のお家ってどこにあるの?」
「すこし前から町の郊外に住んでいます」
「郊外っていうと学校近くの新興住宅地?」
周囲を山に囲まれたこの町の郊外には、最近になって山を切り開いてできた新興住宅地の建設が増えてきていた。
「いえ、そちらとは逆方向になります。知り合いのお屋敷をお借りしているんですが、周りにはそのお屋敷しかないです」
「家族構成は?おしえておしえて」
「祖母と母と・・・もう一匹」
やや歯切れの悪い返答であったが、周囲はまるで気に留めた様子もなく、その後も他愛のない質問が続いた。
集団の輪には入らず、頬杖をついて窓の外を眺めながら、気のない風を装いつつも
、こっそり耳だけはそちらに向いていた。
ゴンッと机に軽い衝撃が走り、驚いた舞子が咄嗟に振り向くと、そこには背を向けた井口裕子が立っていた。
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