第2章4

 「ほんとに不思議な子だね」


 ただ、こうしてる間にも時間は無情に過ぎていく。このまま夜が明けないでくれればと、いくら願ったところで、残酷な現実はヒタヒタと不気味な足音を立てながら、すぐ後ろまで迫ってきていた。


「いつまでもこうしてるわけにもいかないよね」


 あと数時間で夜も明ける。そうなれば昨日と同じか、さらに酷い一日がはじまってしまう。だから、その前に終わらせなければ。

 できればこの犬を地上まで降ろしてあげたかったが、このフェンス、一人で越えるのでさえ苦労した自分に、犬を担いだまま越えるなんて到底無理な話しだった。かといって、もし宿直の用務員さんに助けを呼びに戻れば、自分にとってかなり不味い状況に陥ってしまうのはあきらかだった。


 「あ~もう、どうすればいいんだろう」

 

 自分の命はさっさと投げ出してしまいたいのに、さきほど出会ったばかりのこの犬はなんとかして助けてあげたかった。なんともちぐはぐで、我ながらどうかしちゃってるのかもしれない。

 私が頭を抱えて悩んでいると、膝に頭を乗せた当の野良犬君は、まるでそんな事はお構いなしといった様子で、呑気にあくびしていた。


「こいつ~」


 その様子がなんとも微笑ましくもあり、同時に羨ましくもあった。

 

「よし決めた」


 開口一番そう告げると、膝の上から犬をのかして腰を上げる。

野良犬君は「なになに?どうしたの?」といった様子で、尻尾を振りながらこちらを見つめる。

 さきほどまで、「あーでもない、こうでもない」と思い悩んでいたが、結局満足できる答えは何も出てこなかった。

 

「ハァ~」


 答えが出せないなら、悩むのはもう止めよう。そもそもここまで来たのは、自分の思いを遂げるためであって、決して野良犬と遊ぶためではないんだから。

 可哀想ではあったが、別にここに放置したからといって、落ちてしまうなんて事は恐らくないはず。あと数時間もすれば、先生や生徒たちが登校してくる。

 そうすれば屋上に取り残されたこの子もすぐに気づいてもらえるはずだ。

 

「うん…仕方ないよね」

 

 出会ってからまだ数十分程度ではあったが、自分に好意を向けてくれるこの野良犬君に別れを告げるのがなんとも名残惜しく、また心苦しかった。それでも遅かれ早かれやってくる事なのだと自分を納得させて、別れを切り出すことにした。


「あ、あのね、ほんとはキミとこうしてもっと遊んでいたいんだけど、その、ごめんね。わ、私どうしてもやらなくちゃいけないことがあるんだ」

 

 どうして動物相手に別れを切り出すだけで吃ってしまうのか。我ながらなんともみっともなかった。

 野良犬君は静かにこちらを見つめていた。まるで本当にこちらの言葉を理解しているように、私の言葉に耳を傾けていた。


「だからね、残念だけどキミとはここでお別れしなくちゃいけないの」


 真っ直ぐにピンと立っていた耳がパタリと折れる、元気よく振っていた尻尾も萎れるようにパタリと止まる。

 その反応を見ていると気のせいではなく、この子は本当に言葉を理解してるのかもしれないと思えてくる。


「あ、それでね。朝になればきっと誰かが来てくれるから、それまでここでジッとしてるんだよ。危ないからね。いいね?」

 野良犬君は理解したと言わんばかりに「ワフッ」と吠える。

「キミはほんとにいい子だね。もしキミみたいに素敵な子が家族だったら、私の人生も、もう少しマシだったのに…」

 

野良犬君は褒められたのが分かったのか、「なでて、なでて」と言わんばかりに、頭を摺り寄せてくる。


「ダメダメ。これ以上キミと一緒にいたら、私の気持ちがぐらついちゃう」


犬の鼻先をやさしく押し退けると、「クゥ~」と犬は残念そうに鳴く。














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