第2章3
試しに手のひらをゆっくりと狼のほうへ近づけてみる。
こちらに興味を持ったのか、犬は鼻先を近づけると、クンクンとしきりに手の匂いを嗅ぐと、ペロッと私の指先を舌で舐める。
「キャッ」
そのまま怖がらせないようにゆっくりと手を近づけていき、犬の頭にやさしく触れてみる。
すると、どうやらこちらを好意的な存在だと理解してくれたようで、犬は自分の頭を私の手に摺り寄せてくる。まるで、「撫でて欲しい」とせがんでくるみたいだ。
「ア、アハハッ」
自分に好意を向けてくれている。
たとえそれが動物であったとしても、素直に嬉しかった。
今迄、散々浴びせられてきた敵意や無関心など微塵もない。
ただ純粋な好意をこちらへ向けてくれる無垢な存在。
「動物を飼う人の気持ちが、ちょっと判ったかも」
頭をやさしく撫でてあげると、気持がよかったのか、犬はうっとりした表情で目を細めた。次いで、首の辺りに触れてみるが、首輪らしきものは着いていなかった。
「キミ、何処から来たの?こんな高いフェンスどうやって越えたの?」
学校の私有地周辺はグルリと柵で囲われており、小動物ならともかく、犬が入れるほどの隙間はないはずだが、と思ったところで校門の存在に思い当たる。
あそこからなら縦に幅の広い隙間があるので、犬でも容易に侵入することできるだ
ろう。早朝や夕方であれば、人目をあまり気にせず屋上まで上ってくるのも不可能ではないかもしれない。
ただ、そうなると放課後に確認のためひと通り見て回った私が気がつかないはずはなかった。屋上はもちろん、屋上の出入り口の屋根の上も確認したから間違いない。
考えれば考えるほど、ますます分からなくなってくる。
「コラッ、不法侵入は駄目なんだぞ」
犬の瞳を覗き込むと「ワフッ」と、返事をするように一鳴きすると、チラッと校舎裏の野山の方へ一瞬首を向けた。
「もしかして壁を登ってきたとか?」
校舎の壁は窓枠を除けば、ほぼ真っ平に出来ており、そんな所を犬が自力で登ってくるなんて到底不可能に思えたが、もうそれくらいしか侵入方法は浮かばなかった。
念の為、前足に触れてみるが、爪も足も至って普通の動物のそれだった。
考えに耽っていると、膝をツンツンと鼻で突かれる。まるで、「そんなことより一緒に遊ぼうよ」と言っているように思えた。
「野良の癖に甘えん坊だな~」
落ちないように慎重に屋上の縁に腰を下ろすと、膝の上に犬の頭を乗せる。首や胴体を両手で弄るように思い切り撫でまわす。
「うりゃうりゃ」
余程気持ちが良かったのか、膝の上でリラックス状態の犬は、鼻からピスピスと鼻音を出しながら、うっとりとした表情でなんともご満悦なご様子。
ただ野良犬と遊んでいるだけなのに、不思議と心の霧が晴れていくように心が落ち着いてくるのが分かった。
「ずっとこうしていられたらいいのにね…」
犬は同意の印のように「ウォフ」とひと吠えする。
どれくらいの時間、そうしていたのだろう。
どこから入って来たのかも定かではない、不思議な人懐っこい犬との心癒される時間がゆっくりと過ぎていった。思い返して見ると、両親が亡くなってからというもの、こんなにも心が休まる時間なんてなかった気がする。
本当であれば、自分の身近な人たちともっとこういう時間を持つべきだったのかもしれなかったが、生憎と自分の周りにこうして心を休める、許せる人などほとんど存在しなかった。学校の担任やクラスメイトは勿論の事、唯一の家族であるはずの兄ですら、両親の死後、態度というか、行動そのものが豹変してしまい、次第にコミュニケーションを取ることが怖くなってしまった。
今、自分が心を許せる相手がいるとすれば、それは私の膝の上で気持ちよさそうに寝息を立てている、この犬だけだった。
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