くまのぬいぐるみ
白いカーテンがふわりと揺れた。
暖かな光が部屋いっぱいに差し込む。
「おおー」
彩香は目をぱちくりと開けて、一匹のくまのぬいぐるみを見つめていた。
ぬいぐるみはソファーに座っている。
かわいい。雄太のものとは思えないくらいかわいい。
まんまるの目と小さく開いた口元。
短い手足と小さなしっぽ。
やわらかそうなブラウンの毛並み。
——思わず抱きしめたくなるほど愛おしい!
「ゆーたー、くまさん! くまさんがいるよ!」
「ん? ああ」
はしゃぎながらぬいぐるみを指さす彩香。
雄太はゆっくりと椅子から立ち上がると、彩香の下へと向かった。
「高校の時に買ったやつだよ。今までずっと寝室にいたんだけど、たまにはこうして日向ぼっこさせてやんないとな」
「ゆーたー、ぬいぐるみ好きなの?」
「なっ、そんな趣味はねーよ! たまたま買っちゃっただけだ!」
恥ずかしそうに目をそらす雄太。頬が少しだけ赤くなっている。
雄太はこほんと咳払いをすると——
「買ったのが高校一年の時だから、もう五年以上もたつのか……」
感慨にふけるように、ゆっくりと呟いた。
ぬいぐるみの頭を軽くポンッと叩く。柔らかな感触が雄太の手に伝わってきた。
「ねー、ぎゅーしていい?」
「ああ、いいよ。はい」
雄太がぬいぐるみを手渡すと、彩香は顔をぱあっと輝かせ、大切そうに抱きしめた。
雄太は微笑し、ソファーに座ってその光景を眺める。
彩香は、ブロンドの髪もあいまって、さながらヨーロッパのお姫様のようだっだ。
彼女が纏った真っ白なワンピースも西洋っぽさを助長させていた。
——随分とかわいいな。
胸中で素直な感想を述べる。
くまのぬいぐるみが普段より楽しそうな、そんな気がした。
***************
「そのぬいぐるみ、気に入ったならやるよ」
「えっ、いいの!」
日が暮れ始めて、彩香が帰る準備をはじめたとき。
開け放たれた窓からはカエルの鳴き声がゲコゲコと聞こえてくる。
彩香はぬいぐるみの手を握ったまま、靴を履こうとしていた。
——なにも言わなかったら、そのまま持って帰っちゃうんじゃないのか……。
彼女はくまのぬいぐるみをえらく気に入ったらしく、今日一日中ずっと一緒にいた。
漫画を読むときも。
外のめだかを見に行くときも。
トイレに行くときも……いや、さすがに置いていったけど。
雄太はやさしく微笑むと彩香の肩に手を置いて——
「ああ、大切にしてやってくれよ」
囁くように言った。
このぬいぐるみを買ってから、色々あった。
楽しいこと。
耐えられないほどの挫折もあった。
でも、時間が経つとまた楽しいことが訪れる。
——このぬいぐるみは、そんな俺の人生の一部をずっと見守ってくれた。
だから、そろそろ交代だ。
「それに、彩香みたいな女の子のほうが、コイツも嬉しいだろうしな」
いたずらっぽく笑う雄太。
彩香はぬいぐるみをぎゅっと抱きしめると——
「ゆーたー、ありがとう!」
笑顔で雄太を見上げた。
えへへー、と笑う彩香の頭をなでてやる。
「またねー、ゆーたー」
彼女は手を振って、オレンジ色に染まる道へ向かった。
「今度は俺があの子を見守る番だな」
走り去る少女の背中を見ながら、雄太はそんなことを呟いた。
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