8.超越

「……! まずい」


 人気がまるでない殺風景な白い部屋の中央で、翡翠色の目をした青年は顔を跳ね上げる。

 その眼は虚空を眺めているようで、焦点が定まっていなかった。

 しかし彼は、その眼に何を見たのか、次には焦ったように携帯端末を操作する。


「…………クソッ! 持ちこたえてくれよ、命……ッ」


 相手が電話に出ないことに苛立ちを覚えながら、祈るようにそう呟き、彼は別の相手に電話をつないだ。

 名乗る暇すら与えず、彼は携帯のマイクに向けて怒鳴る。


「すぐに護衛を送れ! 襲撃だ! このままじゃ、『東京の再現』が起こるぞ!」




 ◇◇◇




「うっ……ぐ……!」


 住宅の壁に半分ほど体を埋めながら、少女は呻いた。

 何が起こったのか、再び少女は理解が追い付かなくなる。

 彼女の腕は確実に折ったはずだった。痛みも凄まじいはずだし、何より意志通りに動かすこと自体が不可能に近いはずだ。だというのに、一体何が起こったのか。

 壁から必死に体を引きはがそうとしながら、ようやく自由になった右手で顔を擦り、彼女の方へと視線を向けた。


「…………!?」


 そして少女は固まった。

 目の前の光景が信じられなかった。信じたくなかった。

 距離を詰め、視線を起こせばすぐに視界に入る位置に平然と佇む、気だるげな彼女がいることを。


「……な、何故……」


 ここまで掠れた声が出ることに驚きを感じる余裕すらない。ただ彼女はそれを問わねばならなかった。そう強迫する何かが彼女にはあった。


「言ったでしょ。私は全てを超越する。それが私の能力」


 あんたが欲しがってた答えよ。そう彼女は吐き捨てた。


「私自身、この能力が具体的にどういう風に進化してるのかは見当もつかないけど……きっと、あんたの”形状変化”と、それから”不可逆性”を超越こえたわね」


 彼女の言葉は一切が少女の耳に入ってこなかった。

 ただ、ゆっくりと骨の位置が、筋繊維が、細胞の配列が、元々の計算されつくしたような細い腕の形を取り戻してゆく。


「……そんな」

「あらあら悲しい顔しちゃってまぁ。なんで私が地下でずっと監禁されてたのかすら知らなかったあんたらの落ち度ね」


 抵抗する気力が失われていくのを感じる。

 手も足も出ないことをまざまざと見せつけられ、先天の能力による優劣で全てが決まることに悔しさを感じながらも、結局のところどうすることも出来なかった。

 彼女の姿は、まるで現人神あらひとがみかと思わせるほどの威厳と神秘に包まれていた。


「…………」


 それを表情や動作で察したのだろう。彼女はため息を1つ吐き出し、彼女のすぐ傍まで寄り、その顔を近くでまじまじと見上げた。

 そして、一言。


「——あんた、可哀そうね」


 彼女にとってそれは、率直な感想だった。

 というより、何故わざわざ口にしてしまったのかもわからなかった。ただ、確実に彼女の本心でもあった。

 だがそれは、少女にとってはそれだけにとどまらなかった。


「かわい、そう……?」

「ええ。どういう育ち方したのか知らないけど、権力持って生まれてきて、中途半端な能力に目覚めて、挙句の果てに大人たちにいいように扱われて。可哀そうだわ、あんた」


 少女の心の奥底に、彼女の声がこだまする。

 幾重にも反響し、反芻される『可哀そう』の一言。それ以外は頭から抜け去った。

 冷静に考えれば、それは言葉以上の意味を持つことは無い。

 しかし少女は違った。全身の血が沸騰するような感覚になる。


「……?」


 彼女も異変にはすぐに気付いた。

 少女の顔から失意が消え、次第に憤怒の色が濃くなって行くのがわかった。


「…………さない」


 少女が何かを呟いた途端、ビシリ、と音がする。

 驚いて彼女が距離を取ると、数秒前まで彼女がいた場所に瓦礫が降り注いだ。

 よくよく見ればその瓦礫は、まるで何かに整えられたかのようにみな先端が尖ったものばかり。

 彼女は、ゆっくりと視線を持ち上げた。瓦礫が降ってきた方向へ。


 自由になった少女が力なく立っていた。

 だがその瞳には炎が宿っている。


「……許さない」


 幽鬼の如き形相をした少女の呟きが耳に入る。

 同時に、辺りから何かが軋むような音も聞こえて来る。

 何かが来る。そう身構えた矢先、彼女の肉体はひび割れ、


「今のは」


 少女は背後を振り向く。

 五体満足で立っている彼女がいた。表情に驚愕を色濃く乗せて。

 少女の怒りは爆発した。


「——絶ッッ対に! 許さない! 貴様だけはァァァッ!」


 今までの取り繕った外見の淑女しゅくじょはどこにもおらず、いたのはヒステリックに喚き散らす怪女だった。

 仮面が外れた少女は次々に憎悪と呪詛を垂れ流す。

 少女の声の波動によって、地面が、壁が、世界があるべき姿を失う。


「殺すッ! 貴様だけは……絶対に殺すッ!」


 少女の意志に答えるように、物という物が彼女に襲い掛かる。彼女はそれら全てを片手で消し飛ばしながら数歩距離を取った。

 少女はゆらりと体を揺らしながら、粘り気のある鋭い視線で彼女を睨みつけた。


「ようやく本気になったのね」

「ええ……貴様のおかげでねェッ!!!!」


 少女を突き動かすのは”屈辱”。

 結果を残せなかった失敗の責任感、少なからず自覚がある身近な大人たちの視線、そして、自らの生き方を否定されたという被害妄想。

 それは、少女が今まで全く経験したことが無いものだった。

 岩が蛇となり、コンクリートが槍となり、その様相は獣をも凌駕しておぞましく変わってゆく。


「……やれやれだわ。あんた、ホントに脳詰まってるの?」


 しかし彼女は、例え少女がどんな形相になろうと意に介さなかった。

 結局のところ、彼女を害することは少女には出来ないのだから。それは誰でもない彼女自身が知っている。少女が発する攻撃全てが、彼女に屈するように折れて消える。


「さ、もう終わり?」


 挑発するように彼女は問う。

 ここまで来てしまった以上、彼女は積極性を捨てることを諦めた。逆に、少女の全力を引き出しておきたいと考えた。引き出した上で、それを真っ向から叩き潰す。2度と戦わないために。

 そしてそれを成すためには、少女を煽るしかない。恐らくそれが少女にとって最も"屈辱"であろうから。


「…………ッ」


 想像通り——想像したくもないだろうが——放った攻撃のことごとくが通用しないことをまざまざと見せつけられ少女は歯がみする。

 怒りで真っ赤に燃えていた視界に、冷や水を浴びせられたような空白が生じる。


 その空白が、少女に"それ"を気付かせた。


「……?」


 彼女は眉根を大きく寄せる。

 一転して大きく弧を描く笑みを浮かべた少女を注視し、身構える。

 如何なる行動にも即座に対応できるように能力を待機させた、その刹那。


 みしり、と。


 彼女の耳の奥で、何かが軋みを上げる音がした。

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