第4話 手遅れの後悔と反省

 夕暮れの繁華街を咲と共に並進する雅久。人や自動車から漏れた騒音が街の中へ犇き合っている中、二人は昼の現象こ事について考察し合っていた。しかし一向に結論に近づかないその話題を打ち切ったのは咲だ。


「そういえば、一花さんとは仲直りできたのですか?」

「……なんとも言えないな」


 その通り。結局一花とはあの気まづい雰囲気のまま名残惜しくも別れたのだ。咲に会う事と、一花と対話することを天秤にかけ、僅かに劣ってしまった後者。哀愁漂う一花を横目に踵を返す雅久の心境は勿論切ないものだった。


「ちゃんと仲直りしてくださいよ。あんなに優くて美人な人なんてもう絶対に会えませんよ」

「……そうだな」


 先程まで世界を色付けていた陽はこの世界から姿を消した。そんな陽光を惜しむかのように空は僅かに朱を残し、所々に佇むビルの窓からの点々と灯された光が、夜空に宣戦布告を仕掛けているようだ。


「それでは、ここで」

「送ってくよ?」

「大丈夫です。待ち合わせしてる人がいるので」

「そうか。じゃあまた明日」

「……はい」


 丁寧にお辞儀をする咲を見て、雅久は今更ながら彼女は育ちが良いのだなと感嘆する。


 一瞬、彼は咲に対して、放課後の一花の陰湿な様子の面影を被せてしまった。笑みの裏で、どこか哀愁を漂わせる、それでも明瞭に一花とは異なった形相。


 そんな立ち止まっている彼女を横目で見送りながら人混みの中へ歩きだすなり、もう咲の姿は見えなくなった。


 咲のその表情の意図が読めず、雅久は思考を巡らせながら夜の街並みを堪能することにした。二人別れてから1分にも満たない頃、雅久は通り道であったとある場所に野次馬が出来ていることに振り向いて気付いた。即座に踵を返し、駆け出したのには理由がある。


 野次馬の場所、それは咲と別れた場所だからだ。焦燥感に駆られながら野次馬の一人に声をかける。


「何が起きたのですか?」

「それがね、どうやら小柄な少女が不審な人に誘拐されちゃったらしいのよ。こんな所で、物騒ったらありゃしない」


 背筋が凍りつくも、意識に反したように野次馬の人混みを力強くで押し除ける。ここまで人混みに苛々したことはないだろう。


 ようやくのおもいで抜け出した先は、自動車が通れるか否かの薄暗い路地裏だった。当然咲の姿は見えないが、一方通行であるこの道で迷子になることはないだろう。路地に駆け込むなり背後から警告の声が幾多にも飛び交ったが、そんな声に耳を傾けむける様子のない雅久は足を止めるどころか速度を増させた。


 真夏の夜を駆け抜ける。聴覚の八割は自身の足音に支配され、シャツに滲んだ汗が雅久を不快感に陥れる。ある時から道は枝分かれを始めていたが、その周囲の人々の反応で奴らの道先はあらかた把握できていた。


 







結弦ゆづる……待たせているかな?)


 咲は恋人である結弦との待ち合わせの約束を思い返す。手首を体の背面で縄で縛り上げられ、頭を丸々黒袋で被せられ、視覚、行動、全ての自由を失いながら砂で塗されている地面に横たわる咲。変な真似をしたら殺すと脅されているが、彼女は微動だにしていない。


「こいつ、やけにおとなしいな」

「そうだな。誘拐されたら暴れるのが筋だと思ってたんだがな」


 人の気配はない。ただ静寂な空間の中、二人の黒い服装の男は咲を囲うように見下ろしている。


「こっちとしては都合がいいがな」


 会話の流れで咲は自身がこれから殺されるのだと察する事ができた。しかし、その上で咲は暴走する様子はなく平然と横たわっている。


 彼女にはこの世に未練がないからだ。


 幼くして母を亡くし、父には家出され、祖父母から親戚諸々とただ迷惑をかけてきた。死んでも、自身を悼む者は誰もいない……そう信じ込んできたのだ。協調性もなく全てに受け身で生きてきたそんな彼女は、自分一人がいなくとも周囲は不変だと自覚している。


 私は生きたいのだろうか、と自問するが、助かったとしても待っているのはあのだ。答えは否である。


「せっかくだし最期に外の景色を見せてやるよ。どうだ、これがお前の人生最後の景色だ」


 咲は男によって上体を起こされ、かぶせられている黒袋を外した。そっと目蓋を上げた咲は、ここが公園のど真ん中である事を把握し、訪れたことのないこの公園に好奇心を隠せなかった。そしてある所に視線を向けた途端、咲は目を奪われた。


 柵越しに広がる夜景。数多に背比べをするビル群や、マンション、家。それらに灯されている光は、は一人一人の生活で、咲には命が輝いているように見えた。ふと、咲の脳内では身勝手なストーリーが描かれ始めた。


 あの家では親子が仲睦まじく夕食を共にしているのだろう。


 あの繁華街では恋人同士が愛を育んでいるのだろう。


 あのビルの一室では、げんなりとしながらも我が家で待つ妻や子の顔を見たいんだと、渋々残業に勤しむ父がいるのだろう。


 視界に映り込む光には全てストーリーが存在して、どこまでも美しかった。




(悔しい……)




 咲の頬に一筋の涙が伝った。


 咲は自分の劣等感や無力さに苛まされていた。生地、環境、境遇、それらは人によって相似することはない。伴って幸せは平等には与えられない。だから幸せを左右させるのは己だ。


「や゛り……直したい」


 チャンスがあるのならもう一度だけ……咲はもう叶わないと自覚しているその願いを言葉に込めて放った。今まで自分が怠ってきた物事の罰、失敗を全て両親のいない家庭のせいとこじつけてきた自分への逃避。その全てに謝罪をする。


 男は懐に収納していた銃を露わにし、咲に突きつけた。


「最期に言い残すことは?」


 咲は無理やり目一杯笑顔を作る。その刹那の瞬きで長い睫毛に溜まりきっていた涙が溢れ、地面に一滴の点を打った。それは咲の終止符だ。もう引き金が引かれる。


「次は……幸せになりたいです」


 重く、空間を切り裂くように凄まじい銃声が夜空高く鳴り響いた。

 


 

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クランブドシティ カクダケ@ @kakudake

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