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私はずっと一人だった。
物心ついた後の私の家族と過ごした思い出は、大量の泥水と共に根こそぎ流れ去った。
それからは孤独な真っ黒な世界に閉じ込められた気がしていた。
11年前の台風で身寄りの無くなった子供たちは各地に大勢いたらしい。
甚大な被害として、社会の授業で習った数十年前の伊勢湾台風を超えるような猛烈な激甚災害に、その台風を教訓に発達し始めたこの国の防災能力も屈したのだ。
そして私のような身寄りのない子供達は様々な言われもない報道でお茶の間に流れる似非報道番組や、ワイドショーに見世物のように消費されていた。
別にそんなのはどうでもいい。
きっと被害にあったことのない人にとっては同情の気持ちはあっても、本当の気持ちは共有することはできないのだから。
そう、私のような人の気持ちを覗き見れるようなヒトならざるものとは違って。
その気持ちは私と同じように人の気持ちが嫌でもわかるような子たちにしか、わからない気持ちだろう。
私は彼らと同じように身寄りのない子供たちと同じように施設で過ごしていたけれど、彼らの閉塞感と将来の事なんか考える余裕のないといった怨嗟の声が、人の考えていることが筒抜けの私にはとても苦痛なことだった。
そのことがきっかけで、勉強に精を出した。
そして、優秀な高校に進学すると対象の高校近くで一人暮らしをできるという一種の救済制度を受ける資格を得た。
私が勉強していると、同じ施設の子は「頑張っててすごい」とか、「藤乃ちゃんは頭いいからどこでも行けるよ」とか、そういう言葉を投げかけられたが、決まって最後には「僕・私と違って」と言葉が続いた。
そういった人達は皆、どうせ自分たちに未来なんかないと心の中で悲鳴のように叫び続けるのに、そんな苦しい胸の内を押し殺し、勝手にあきらめて、未来を変えようとはしなかった。
私は、真っ暗な世界の中でもあきらめたくはなかったのだと思う。
生きることに。人間の根源的欲求に抗えなかったのだと、もうほとんど人の心の声が聞こえなくなった今ならそう思う。
私が高校三年生の時だった。
先生に言われて進路を考えるときに、一人暮らしも叶い、これ以上何の目標もなかったので答えに困り、適当に進路につながりそうな記事を型落ちのスマートフォンで読み漁っている時だった。
私のふるさとに巨大なダムが竣工した。ということをニュースアプリの報道欄の隅っこに見つけた。
その事自体は別に何も思わない。元々田舎でなにもないところだ。私達一族は息を潜めて長い間生活をしていたのだから、世間の人間からすれば居なかったも同然だから。
そして何気なく、そのネット記事を追っていた時だった。私は見つけてしまった。
ダムをその地に作ろうとしていたこの国の殿上人たちが、私の家近くにあった砂防ダムの点検データを意図的に改ざんし、意図的に災害を起こし、再び災害が起こるのを防ぐためという大義名分のもとにあの土地を安く買い上げた。という旨の週刊誌のネット版の独占記事を。
そんな馬鹿な事があるわけないと思っていた。でも、僅かな可能性だったとしてもそれが本当ならと思ってしまったのだ。
私は一つの光を見つけた気がしていた。私の生きる意味を、たとえそれが空虚な自分を救うための私の願望だとしても。
私は、この記事の真相をつかむため。自身の心に燻る闇に魂を売ったのだ。
たとえそれが、根拠もない嘘だとしても、私はそのわずかな糸に縋りつくことを選んだのだから。
「依月さん、この持ってきたタオル煙草臭いんですけど……」
「うっせーな。じゃあ使わんかったらええやろ!」
「はぁ?じゃあ私がこれが原因で風邪ひいてもいいんですか?この薄情者!」
「あぁっ!うっさいのう!大体、濡れ鼠みたいになったのはお前の勝手やろうが!人がせっかく気ぃ聞かせたのによ!全く……紗華ってやつは」
「はぁ?依月さんだって、藤乃ちゃんのこと心配して、煙草吸いすぎてむせてたくせに!」
「おまっ……。違うわ!あれは、その、なんだ、持病だよ……」
「はんっ。なら、その煙草辞めたらいいんじゃないんですか?」
「鼻で笑いよったな!このっ……。お前なぁ!そんな生意気で偏屈になったら嫁の貰い手もいなくなるぞ。もういねぇかもしれないけどな!」
「あぁ、もう、はいはい。二人ともうるさいよ!こんな天気の中、高速運転するの神経使うんだから。静かにしてよ!」
横殴りの雨が吹き付ける高速道路の上をハイライトを焚いて走りぬける大きなバンの中で喧嘩を仲裁する谷川さんの声が響く。
いつもはそう見えないけれど、なんだかんだで、一番大人だったりする。
――ごくたまにではあるが。
みんな私の事を気遣ってくれている。そのことが私の罪悪感をさらに重くする。
谷川さんと依月さんが見変えに来るまでの僅かな時間で、人の誰も来ることない谷保駅の駅舎の中で、私は紗華さんに少しだけ昔の話をした。
紗華さんはただ黙って私の話を聞いてくれた。
そして、谷川さんと、本来お店に立っているはずの依月さんまでが私を探してくれていたようだった。
本人は「別に探してなんかいねぇよ。こんな状態でお店に人なんかくるかよ」と、いつも通りの愛想の無さで答えていたが、足元がびしょ濡れになっているのによくもまぁ、そんなことが言えるものだと少し笑ってしまった。
きっと、紗華さんあたりに駆り出されたのだろう。
けど、その行為が嬉しかった。
私の事を探してくれたという事実が、嬉しかった。
だってそれは、私がもう一人じゃないということの証明だから。
でも今は、私にその場所を作ってくれたきっかけの彼はいない。
それだけが私の心に小骨のようにチクチクと痛みを刻むのだ。
ここにいない彼の事を考えて、知らず知らずのうちに濡れた足元に目線が吸い寄せられている時だった。
ポンっと頭を撫でられるような感覚。
少し驚いて、目線を上げると、眼前にはまだ髪の毛が湿気に濡れて、くるりとカールした髪を括った沙華さんの顔があった。
「ど、どうしたんですか急に」
動揺を隠しきれず、声に詰まりながらも真意を訊ねる。
すると、沙華さんはいつも通りの優しい笑みを浮かべて私の頭をもう一度撫でる。
せっかくセットしたのに。なんて意地悪い事を思ってしまうけれど、雨に降られ、沙華さんに撫でられては今更直したところでどうにもならないだろう。
すこしくすぐったく、体をよじるように動くと、沙華さんが私の瞳を覗き込む。
もう、見失わないと訴えかけるような強い意志を感じる瞳だった。
「これから、何があっても、私だけは藤乃ちゃんの味方だから。それだけを忘れないで」
「……ぁっ」
言葉を失う。
当たり前だ。生まれてからこんな事を言われるような経験ないのだから。
どう返すのが正解なのだろうか。目を逸らそうにも沙華さんは許してくれなさそうだと思っていると、
「……まぁ。なんつうか――」
助手席に座った依月さんが前を向いたまま口を開く。
「最近は、藤乃目当てでウチの店に来るやつもいるからよ。だから、まぁ、今、藤乃がいなくなったら困るんだわ。沙華ももうすぐ大学卒業だしよ」
「素直じゃないなぁ、沙華ちゃんみたいに素直に心配してるっていえばいいのに」
谷川さんは、運転しながら依月さんをつつきまわしながら笑っていた。
普段とは逆で、依月さんを弄ぶような谷川さんというのもなかなかに珍しい。
「はぁ?!そんな簡単にいえるわけないやろ。じゃあ谷川のおっさんはいえんのかよ」
「え?僕はこの件に関して、迷惑を藤乃ちゃんに掛けてる側の人間だからね。心配だけじゃすまされないのよ。だから責任ってのかなちゃんとそこは取ろうかなって」
「そのあたりの責任はとれる癖に、嫁さんに振られるんやから訳ねぇよ……」
「それはさぁ……。今言わないでよ!」
依月さんから強烈なカウンターを食らって、気の抜けたような情けない谷川さんのつぶやきのおかげで、少し張りつめていた雰囲気が弛緩する。
「あぁ、谷川さん、ドライヤーないですか?私せめて髪の毛は何とかしたいんですけど」
「あるわけないだろ、そんなもん。車の中だぞ」
「――えっとね、一番奥の席のかごの中にあるよ。電源は荷台のとこにあるから、好きに使ってよ」
「あんのかよ!この車すげぇな……」
「まぁね、この車に泊まったりすることもあるからね。ちゃんとバッテリーも積んであるよ」
「すげぇな……」
車内に、おおよそ似つかわしくないドライヤーの音が響く中、車はガラガラの中央道を都心に向かって走り抜ける。
私を信じてくれる人達と共に。
夜は更ける。
都心に近づくと共に雨脚は更に強くなっていく。
それでも私達は進む。一つの真実に向かって。
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