3

 私はずっと、一人だった。

 それでもいいと思っていた。

 私の奥底に灯った憎悪の火と共に、このまま私の骨身ごと燃え尽きてしまえばいいとさえ思っていた。

 生活感が全くないと言われた止まり木のような部屋で、爪を研ぎ、いつの日か、奴の喉笛を引き裂ければそれでよかった。


 ――でも、今は違う。

 私はある人と出会った。その人は、愛想も感情もどこかに忘れて来たような人だった、一度は本気で戦って、私の口に銃を突っ込んでくるような人だったけど、ほんとの彼は、とても暖かくて優しかった。

 彼と止まり木だと思っていた狭いワンルームで過ごしたわずかな期間は、私の人生に多くの変化をくれた。

 だからこそ。今度は私が冬馬さんに返す番。ただ、それだけ。





 横殴りの風雨にさらされている六本木の街で動く三本の傘が、とあるビルの前で止まる。

「いよいよだね……」

 私の隣に立つ緋色の髪を後ろで括った女性の呟きに私の手も否が応でも震えだす。

 これはきっと武者震いだ。経験はないから分からないけど。

「出入口は?」

 後ろで、ここぞとばかりに煙草を美味しそうに燻らせる依月さんが冷静に聞いてくる。

 私は、一瞬迷って、ラーメン屋とこのビルの隙間の路地にある非常階段の出入り口の方を指差した。

 正面からの入り口は私の知る限りエレベーターだけだ。

 他にどんなテナントが入っているかは分からないが、エレベーターに乗って、他の階で待ち伏せされている方が厄介だ。

 私だけならまだしも、生身の人を三人も守れるほど私は強くない。

「ごめん、ここら辺駐車場少ないんだね。やっぱ、電車の方が身軽だよ……」

 遅れて車を止める場所を探し、寂しい六本木の街を回遊していた谷川さんも合流した。

 相変わらず、いつも通りの調子の声に私は救われる

 その瞬間、私の全身が柔らかくほぐされていくをの感じる。

 知らず知らずのうちに変なところに力が入っていたようだ。

「よしっ!じゃあ、みんな揃ったし行きますか」

 沙華さんの号令のようにも聞こえる声と共に、私達は細い路地を進む。

 台風ということもあってか、隣りの豚骨ラーメン屋の脂ぎった廃棄物のゴミもなくすんなりと、非常階段の元までたどり着いた。

「沙華さん。これお願いします」

「えっ、でも濡れちゃうよ?」

 傘をたたみ、留め具を止めた状態で沙華さんに渡す。すこし戸惑った様子だったけど、無理やりに押し付けた。

 そして、私はボリュームのあるスカートの内に隠していたホルスターから、マカロフを取り、スライドストッパーを解除する。

「藤乃ちゃん。それ……」

 沙華さんは声を出して驚いていた。

「ごめんなさい。今度また、説明しますから」

 そう言って階段の上へ銃口を向け、軋む音の響く非常階段を先頭で上がっていく。

 私の身のこなしと、手に持っていた物に驚いていたのは、沙華さんだけじゃない。

 依月さんもまた声を出さないだけで、ひどく驚いていた。

 そりゃそうだ。このご時世いきなりスカートの中から遠目に見て分かるくらいに使い込まれた拳銃が出てくれば誰だって驚くだろう。

 唯一、谷川さんだけは何も反応がない。いたって平静だった。きっと私の事を少し調べた時、あるいは、冬馬さんと話している時に何かしらの事を聞いていたのかもしれない。

 今はそんな事を考えている暇はないと、気を引き締めて周囲を見渡しながらも階段を上ってゆく。

 二階、三階と、横殴りの風雨にも負けず、意識を鋭くとがらせて上がっていく。

 しかし私達以外の気配はない。奴は本当に私をただ呼んだだけなのだろうかとさえ思ってくる。

 まだ油断はできない。私の後ろには丸腰の人が3人いる。冬馬さんクラスの人がそう何人も居るとは考えにくいが、それでも複数人同時に仕掛けられたら、かばいきれる自信がない。

 相手側から仕掛けさせないためにも、私から先手を掛けたいので気は抜けない。

 一歩、一歩と煤けた非常階段を上り、5度目の中層階の踊り場へ。

 ここを折り返し、上へと上がった先にある扉の向こうにはきっと奴がいる。そのはずだ。

 引鉄に手を添えて、踊り場を折り返した瞬間だった。


 どうして。という思いが溢れ出る。

 少し収まってきた風雨にさらされている六本木の街を見下ろして、煙草を燻らせる横顔に気まずさを覚える。

 こんな時に私はあなたの顔を見たくなかった。

 私の決心がブレてしまうから。

 どうして、なんの知らせもなく私の元を去ったのか。

 せめて私が渡したスマホのメッセージアプリでいなくなる事くらい知らせてほしかった。

 出会いは確かに最悪だった。互いに銃口を向け合った。

 けれど、そのあとの仮初の同棲生活は私にとっては幸せだった。

 例え何かの事情があるのなら、直接じゃなくても理由を言ってほしかった。


 私になにも言う事もなく居なくなったくせに、余裕そうに煙草を蒸かしている姿を見るとなぜか無性に腹が立つ。だったら、私にも何か言えよ。とか谷川さん伝いに渡した手紙の感想をよこせとか。そんな気持ちが湧いてくる。

 そう考えると急に苛立ってきたのはなぜだろうか。

 銃口を向けて一発や二発の弾丸を打ち込んだところで、なんのバチも当たらないような気がして銃口を向けた時だった。


「よお、久しぶりだな」

「……っ。本当に、お久しぶりですね」


 彼がいつものように口先に煙草を咥えたまま私を見つめる。ほんの一時、同棲の時に見せた表情だ。

 私の心を掻き乱す。無垢な少年のような感情が私を襲う。

 その刹那。

「――っ!」

 何処からともなく取り出した細い仕込み刀を構えて冬馬さんが階下にとびかかってくる。

「藤の――!」

 一瞬だ。その一瞬。耳には僅かに紗華さんの叫び声。

 私は一度負けている。だからこそ、私は負けない。

 だって。


 ――私はあなたの信念揺らいだ、鈍った剣筋なんか簡単に読めるから。


「ふっ――!」

「っ!」

 迫りくる鍔を足先で蹴り飛ばし、僅かに軌道を変える。せっかく下ろしたての靴だけど、それは今度、この人に買ってもらうとしよう。

私が勝ったご褒美に。


「今回は。……私の勝ちですね。冬馬さん」

 冬馬さんの喉元に私のマカロフの銃口が張り付いている。

 私が引鉄を引けば、冬馬さんは完全に息絶えるだろう。

 冬馬さんは今まで見たことがないような優しい顔をしていた。



「今回は、俺の。俺の、負けだ……」

 そういって、柄から、冬馬さんの手が離れる。

 よく鍛えられた鋼が非常階段に放り出される甲高い音が辺りに響く。

 私の初めて好きになった人の諦観の笑みと共に。

 二度目の激突は、私の勝ちだ。




 雨に濡れた冬馬さんの煙草の火種が、私の頬を掠めて地面に落ちる。

「……中で、ジジイが待ってる」

「ええ。知ってます。よりにもよってこんな天気に呼びつけるなんてどうかしてますよ」


 銃口を下げ、冬馬さんは落とした仕込み刀を拾い上げて、互いに姿勢を直して向き直る。


「天気ばっかりは、あの爺さんでも操れねぇよ。お前の運の無さだ。諦めろ」

 そういって、胸元から煙草を取り出し、火を付けていた。

「知ってますよ。そんなこと。たまには人のせいにしたいだけですよ」


「そうか。……じゃあな」

 鞘に刀を仕舞い込み。階段を下っていく後姿を私達は静かに見送る。

「……」


「――っ。冬馬さん!」

 私の声に反応したのか、けれど一瞥もくれずに立ち止まる。

 このまま彼が居なくなるような気がして、どうしても声をかけてしまった。

 初めて彼の背中を小さく感じる。このまま消えてなくなってしまうのではないかと思うほどに、頼りなく見える。

 それだけは、嫌だ。

「また、会えますよね」

「……そうだな」

 それだけだった。そのまま階段を下っていく彼に私はそれ以上の言葉は出てこなかった。


 私の声は冬馬さんに届いているだろうか。

 私の気持ちは彼に、伝わっただろうか。

 私の宿命はどこにあるのだろうか。

 私の頬を伝うものは、一体なんなのだろうか。

 そのすべてが分からない。


「藤乃。あいつは大丈夫だ。また会えるさ。俺が保証する。だから、先に決着つけてこい」

「……はい、ですね」

「冬馬くんも、きっと悔しいんじゃないかな。たぶんね。彼負けず嫌いみたいだから。藤乃ちゃんに負けず劣らずね」

「あはは……。それだけならいいんですけどね」


 力なく笑う私の頭にポンっと暖かな感覚が走る。

 なんとなくむず痒くて体をよじると、今度は体全体をふわりと包まれる。

 眼前いっぱいに紗華さんの顔がある。私に優しく笑いかけていた。

 ちょうど、私をお店に連れてきたあの日のように。


「藤乃ちゃん。こんな強かったんだね」

「……今回は、冬馬さんの方が本調子じゃなかっただけです」

「ううん。それでも強かったよ。お疲れ様。落ち着くまでまってるから」

 私の頭がもう一度撫でられる。


 どれだけの時間がたっただろうか。

 いつしか、雨脚は弱まって、湿った生ぬるい風が私達の間を抜けていく。

「紗華さん。ここまでついてきてくれて。ありがとうございました」

「なにそれ。死ぬ前の遺言みたい」

「大丈夫です。多分ですけどね」


 とんっと、紗華さんを優しく押しのけて、私は前を向く。

 改めて、階段を上り、鉄扉のドアノブに手をかける。


「――ふぅっ」

 さっきまで、ここにいた人の懐かしい煙草の匂いはもうしないけれど、背中を押してくれた人達と共に前へ進むために。

 私は小さく息を吐き、ドアを引く。

 追いかけ求めた真実をこの目で見届けるために。





















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