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「藤乃!これテーブルに頼む!」
「あ、そこのテーブル行くなら私のも!」
「分かりました!」
「沙華!わしがやるから!お前がもってけ!お前の後輩なんやろ!」
普段の閑古鳥が鳴き、常連さん達しか来ないような店内に、多くの若いお客さん達の姿。
沙華さんが所属していた演劇サークルの後輩たちが貸し切って、サークルの集まりをするということで、私達はオーナーまで呼び寄せて、四人でお店を回すこととなっていた。
9月も中頃という事もあってか、最近は夏休み中に帰省していたと思われる沙華さんの後輩たちが、お土産を持ってよく姿を現すようになっていた中での今回の催しものである。
正直なところ、演劇のサークルなんて、そんなに人なんかいるのかと失礼ながらに思ってたけれど、私の想像を上回り、意外にも20人以上の人が参加していた。
ほんとは更に多い予定だったらしいが、聞いた話によると何人かは実家での用事があったり、夏の間に国内外に旅行にいったりと、メンバー全員は揃わなかったそうだ。
そんな楽しそうな声が響く中、私はオーダーを捌いて、トレンチを片手にあくせくと働いていた。
「お待たせしました!」
ビリヤード台を囲って、楽しそうにしているグループに頼まれていた飲み物を持っていくと、その中の一人がこちらに向けて片手をあげていた。
その姿に思わず私の片眉とテンションが下がってしまう。
「藤乃ちゃん久しぶり!今日も可愛いね。服は前のアイドルみたいなほうが脚出ててよかったけどね」
「……ッ、沙華さん呼びますよ?」
「舌打ちはやめてよ。怖いじゃんか……。あと、先輩も召喚しないでよ。ごめんごめん」
蹴り飛ばしてしまおうかとすら思うこの図々しさと、全く反省しているようには見えないこの態度には尊敬すら覚えてしまう。
実際この人は口だけなのもわかってはいるし、腐ってもお客さんである以上、実害が無いので今のところは何もできないのが余計に腹立たしいところだ。
「で、永江さんだけですか?ほかの人は?」
わざとらしく不機嫌な態度で聞くと、永江さんは気にも留めぬそぶりで、一番奥側のビリヤード台の方を指差した。
「上手い人はみんな向う側。鹿角ちゃんもさ、あの日に始めたのに、もう誰よりも強いからね……」
指差された方のビリヤード台の方を見ると、鹿角さんが綺麗な姿勢で、キューをストロークしていた。
ちょうど夏休み前に会った時は初めてといっていたはずなのに、今ではこの中の誰よりも綺麗に球を操っているように見えた。
「上手ですね……」
「橘先輩や、藤乃ちゃん程ではないだろうけど、地元でもわざわざビリヤードできるところを探してまで行って練習してたらしいよ」
確かに、沙華さんと教えてもらっていた時以上に正確無比なコントロールで盤上に散った玉を落していき、残り3つの状態となっていた。
ここまで安定して玉を操れるようになるということは相当な練習を積んだという事が目に浮かぶ。
「まぁ、ここの大学入るの難しいからね。みんな何かしら頑張れる力があるんだよね」
――僕とは違って。という、いつも軽口をたたいている永江さんには似合わないようなどこか自虐的な声色のつぶやきが耳に入る。
確かに沙華さんや、鹿角さんもすごい集中力と根気、そして目標達成をするための最短距離を探すための考える能力があるのは傍から見ているとなんとなくわかる。
何かに打ち込んで結果を出した人というのは得てして自分の『型』のような物を持っている事は、昔出会ってきた大人達を見て、知っている。そういう『自分』があるからこそ結果を求められる時にブレずに結果と向き合えることも。
永江さん自身、どんなところが沙華さん達とは違うと思っているのかは、私には分からない。
けど、私からすれば沙華さん達とは違うと自覚していながらも、そんな凄い人たちと同じ大学に行っている。
「永江さんも、私からすればすごいと思いますよ」
自分の意図しない言葉が出てしまったことを少し恥ずかしく思うけど、不思議と後悔はなかった。
「やだ、照れる」
「気持ち悪いです」
「ごめんごめん……。けど、まぁ、なんというか自分は別に頑張ったわけじゃないんだよ。生まれた環境がよかった。ただそれだけなんだよ……」
そう呟く永江さんの横顔は今まで見たどの時よりもこの人もこんな表情ができるのかと失礼ながらに思ってしまうほどに真剣で、暗い影が落ちていた。
「なに、そんな湿気った顔してるのさ!」
「うぉっ、先輩!?」
湿気った様子の永江さんが思い切り前へとよろけるように押し出され、私の横に立っていたのは、いつの間にか恐らく自分が飲む用のお酒を持って来ていた沙華さんだった。
「ウチの可愛い藤乃ちゃんナンパしたら許さないからね。まぁ、永江にはそんな度胸ないか!」
「失礼な!沙華さんの知り合いじゃなかったらとっくにしてますよ!」
「はぁ?!あんたに私の藤乃ちゃんはやらん!出直して来なさい!」
いや、そもそも私、沙華さんの物でもないし、永江さんも私の事ナンパできる状況ならするのか。面倒くさいし、永江さんに興味もないけど。
と、そんなどうでもいい感想が頭に浮かんでくる。
多分、沙華さんは私と永江さんの事を遠目で気にかけていたのだろう。
だからこそ、私達の空気が淀んだ事を察知して、何事も知らないふりをして、どうでもいい事を言ってくれるのだろう。
もしかしたら本気な部分もあるかもしれないけど……。
そこはともかくとして、私は、こんな気の使わないように見せる気の使い方に何度救われてきただろうか。
沙華さんだけじゃない、私の目の前で、一瞬だけ見せたくらい表情を隠して、沙華さんとはムカつく後輩を演じているように見える永江さんだって、どれが本当の姿なのか分からない。
ただ、永江さんが私の思っているより単純で中身のない人には思えないようになっていた。
そんな時だった。
「藤乃!」
私を呼ぶしゃがれた声がカウンターから聞こえてきた。
私達三人がカウンターの方へ目をやるとオーナーが手でこっちへ来いと合図をしている様に見えた。
どうやら私個人に用があるようだ。
「なんか呼ばれてるみたいだし、俺は鹿角ちゃんの無双ぶりでも見に行くよ」
そういって、私に手を振って一番奥のビリヤード台に向かっていく永江さんを後目に沙華さんは不満そうな表情を浮かべていた。
「私には挨拶も無しか、あのやろうっ!」
どうやら、永江さんが私だけに手を振っていたのが気に入らなかったようで、可愛く怒っていた。本人に怒っているところが「可愛い」と言おうもんなら、何を言われるか。恐らくおちょくられるのが目に見えるので、とりあえず、いってきますと伝えてオーナーの待つカウンター内へと向かう。
「よう、なんかお前に電話来てるで」
開口一番オーナーの口から信じにくい言葉が聞こえた。
私に電話なんて、一体誰だろうか。
「私のスマホですよね?」
改めて聞いても、オーナーはだからそう言ってるだろうという様に頷いて、言葉を続けた。
「おう、そうじゃ。なんかさっきから二、三回くらい震えてたで多分電話やと思うんじゃけど。ちょうどええし、休憩がてら確認したらええ。ちょうど、この集まりも落ち着いたみたいやし、あとは自分と依月だけでもなんとかなるしな」
「……わかりました、じゃあお言葉に甘えて、休憩いただきますね」
「おう、そうせぇ!しばらく帰ってこなくてええから」
最後の一言は少し余計な気もしたけど、オーナーなりの気を使わせない優しさなのはすぐ分かる。
不器用なオーナーとカウンター越しで、いつの間にか鹿角さんとナインボールに興じている沙華さんを眺めていた依月さんにも休憩にいくと伝えて、バックルームに無造作に置いていたスマホを手に持ち、部屋の勝手口から、店を出た。
私の頬を少しだけ冷えた秋の色を感じさせる風がつぅーと撫でた。
もう季節は夏も終わり、秋の訪れを感じさせるようになっていた。
まだまだ、残暑の残る寝苦しい昼間に比べ、日の落ちた時間帯にはすっかり涼しいと感じれるようになっていた。もうじき本格的な秋が来る。
熱気に満ちた店内から一歩外に出て、紗華さんに着せられてから、もうなんだかんだで着慣れてしまったメイド服の裾をバサバサと煽ると、スカートの裾から涼しい空気が入って、足元の火照りが引いていく。
本場のメイドと呼ばれる方々が見たら恐らく卒倒するような事をしているのは分かってはいるが、私はメイドではないので、このくらいはやる。
あ、他に人が居るときはもちろんやらない。
一応女子としての最後の気持ちの砦を陥落させる訳にはいかないのだ。
一通り涼んだところで、普段殆ど見ることのないスマホのロック画面を表示させる。
買った時からデフォルトのままになっている水玉模様の画像の上に数件のポップアップで『不在着信』と表示されていた。
どうやら、オーナーの言った通り本当に私に電話をかけてきた人が居たようだ。
ロックを解除して、電話のマークのアイコンをタップして、履歴を確認する。
「知らない番号だ……」
そこには、3件ほど、同様の番号からの着信履歴があった。
番号がそのままということは私の知り合いではないだろう。以前私が性欲にまみれた金持ちたちから『お手当』というやつをもらっていた時には冬馬さんに初期化して渡した方で連絡を取っていた。
だから、その時の金ヅル達からこの電話番号にかかってくるはずもない。
そして、高校を卒業した際に断り切れずに番号を教えた数人の友達と呼べるか曖昧な関係の子に教えた子も今や私の事なんか忘れているだろう。
「まぁ、折り返してみるしかないか……」
080から始まっている不在着信の知らせをタップして、電話を掛ける。
耳元で、コール音が響く。
別に何事もなければそれでいい。そう思いつつ見知らぬ相手が出るの待つ。
数コールの後、プツっという音と共にコール音が消え、そして声がする。
「やぁ、久しいね。元気にしてたかい?」
「――っ!」
私はこの声に聞き覚えがある。いや、聞き覚えという生易しいものじゃない。
「どうして……」
「それは、どうしてだろうね。君がここにいつ来るのか待っていたのに、一向に現れないからてっきり死んだのかと心配になったよ」
よくも思っていない事を平気で吐ける物だとある意味感嘆する。
私がこの世で最も憎くて殺してしまいたいと思っていた男の声がする。
耳に入るその豪胆さと冷静さを宿す澄んだ声をノイズキャンセリング出来たなら私の心も平穏であっただろう。
だが、彼は平静に落ち着き払った声で続けた。
「もう、あの手紙を送って一か月だ。そろそろ一か月経つ。私は誘いを狙った女性に断られるのは好きじゃないんだ」
「それで?」
努めて冷静に返答できているだろうか。私は、そればかりを考える
。
「そうだな。今日からちょうど一か月後の26時、私のところへ来てほしい。もちろん一人でね。そろそろ待つのも飽きた。退屈だ。だから来なければこちらから行かせてもらうよ。君が世話になってるお店にたくさんの人を連れてね」
その言葉が聞こえて来た共に、無慈悲に電話は切られていた。
とくんっと早鐘のような心音と共に無機質な着信終了音が耳に残る。
私に残された時間はもう長くはないのだ。
束の間忘れていた復讐心が再び音を立てて燃え上がるのを感じる。
その後の私の心音は早足のまま駆けていた。私の眠りを妨げるほどに私の感情を掻き乱していた。
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