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「今は、こんなもんしかできねぇや、すまんな」


 そう言われて、このお店のオーナである鈴衛すずのえさんに、目の前に置かれたお皿の上には、出来立てを思わせる湯気が立ち、ほんのりケチャップの懐かしい香りのするナポリタン山の様に盛られていた。

 別に食欲があったわけでもないのに、お腹がぎゅ~っとなるくらいにはおいしそうな見た目と香りに私は置かれたフォークとスプーンで、くるくると麺を巻き取って頬張った。

「んんっ――!」

「どうや?美味いやろ?まだまだあいつには負けんよ!」

 思わず声が漏れるほどに美味しいナポリタンを頬張る私をみて、鈴衛さんは満足げにロックグラスに入った少し琥珀色の液体、恐らくウイスキーを飲んでいた。

「ちょっと!オーナー!まだお昼なのにお酒は止めたほうがいいんじゃありません?」

「ええじゃないか!固いこというなよ。沙華も飲むか?」

「はぁ……、飲むわけないでしょうが!」

 初めはここに来たくなかったのに、今はちょっと来てよかったと思ってしまう自分のことをちょろい奴だと自嘲しながらも、今はただ目の前にあるナポリタンの味と久しぶりの店員さん達の個性的なやり取りに思わず頬の力が抜けていた。



「それで、お嬢さんはなんで、目ぇ、そんなに腫らしとんや?沙華にでも泣かされたんか?」

 たくさんあったナポリタンを完食し、お手製のレモネードを鈴衛さんから出してもらい、食休みをしていた時、鈴衛さんからそう問われた。

「ちょっと!私じゃないですから、あった時にいきなり……」

「ほんまかぁ?お前さん、結構容赦ないけぇなぁ」

 私の目元をみてあらぬ疑いをかける鈴衛さんと、それを否定する沙華さん。

 なんだか沙華さんが不憫に思える。

 そしてしばし考える。私はなぜあそこで涙を流したのだろうか。

 今となってはなぜなのか分からないし、分らないままの方がが今の私にとっては、幸せなような気もする。

 多分それを自覚すると、私は、何があっても冬馬さんともう一度会いたくなる気がするから。

「なんか、おかしいですよね……。沙華さんも……すいません。なんか、急に泣きついたりして」

「私は全然?可愛かったよ?突然泣いちゃう藤乃ちゃん。なんか、妹がいたらこんなのかなぁって。……もっかいくる?」

 両手を広げて、私を向かい入れようとする沙華さん。

「いや大丈夫です!帰ります!」

「そう?残念……」

 視界の端で大仰な素振りで露骨にしょんぼりとする沙華さんをよそに、おしゃれな店内の内装には似つかわしくないよれよれのパーカーのポケットから、くたびれたブランド物の折財布を出す。

 半ば無理矢理にお店連れてこられたとしても、これだけご馳走になって、一銭も払わず、「そちら側の好意でしょう?」と厚かましく出来るほどの図太さはない。

 なので、その精神に則って財布を漁るが、現実は非情だ。先日なんとか、冬馬さんが残していたお金と私が”お手当”として貰ったお金を合わせて家賃を払った財布の中身はもう、出涸らししか残っていなかった。

「あ、あの、お金なんですけど……」

 消え入るような声で沙華さんにそう耳打ちする。

「あ、お金なら大丈……」

「困るなぁ!お客さん!無銭飲食は流石に、出るとこ出んとなぁ!」

 沙華さんの声をかき消して野太い声で私を詰めるオーナーと目が合って思わず腰が引けてしまう。

「ご、ごめんなさい!っ!今、お金が無くて……」

「まぁ、いいじゃないですか。オーナー!私が連れてきたんだし」

 沙華が私を庇うように鈴衛オーナーを宥めるが、オーナーの顔は険しいままで、眉すら動かない。

「つってもなぁ!金は成果物の対価だ!それをもらわんってのはただの慈善活動だよ。お人好しで店やっとる訳じゃねぇんだよ」

 鈴衛オーナーは言い分はお店をやる人なら至極真っ当の事だ。

 お金が大事なのは、今現在361円しかなくて、来月の家賃すら滞納確定の懐事情をしている私でも分かる。

 いや、むしろそんな状態の私だからよく分かるのかも知れないが……。

 かと言って、今更昔の馴染みのパパ、もといお客さんとデートして手当てをもらうというのも違う気がする。

 元々は、河野の尻尾を掴むために始めた事で、河野の側付きだった冬馬さんと生活するようになってからはやっていない。昔のお客さんも新しい女の子を見つけて、身体を目当てに目をギラつかせて、薄汚いどどめ色の感情剥き出しでお盛んな事だろう。

 そうなると、新しい食い扶持を見つけねばならない。可及的速やかに。

 そんな悩んでいる時、沙華さんが口を開く。


「じゃあ、藤乃ちゃん。——うちで働く?」

「そうだな……。この金。身体で返してもらうか」


 私は結局、どこまでいってもなにかを搾取される側の人間なのだと思う瞬間だった。




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