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「なんですか!これぇぇ!」
開店前のお店に響いたのは始業のチャイムでも、ドアの軋む音でもない。
私の驚きと困惑に少しばかりの羞恥が差した叫び声だった。
昼間、まんまと無銭飲食をしてしまった後、鈴衛さんは意外なほどすんなりと私を開放してくれた。
「身体で払ってもらう」なんていう大仰な事を言った割にはすぐに開放してくれたことには少し驚いたが、チャンスは逃さず穴倉のような住処へと帰ることにした。
しかし、開放されたらされたでこれでいいのかな。なんていう私の中にある良心がチクチクと刺激されることに気づく。ここに来て私の僅かばかりのいい子ちゃんの思考が頭の中を駆けるのだった。
そして結局、悪い子になれない私は、あの店に夕方戻ることを決意した。
ボロボロで首ヒモが片方、服の中に隠れたパーカーにボサボサの髪なんかじゃなくて、いつ買ったか或るいはパパに買ってもらったギンガムチェックのワンピースに甘い匂いの整髪料と熱々に熱したコテで造り上げたふわっとカールさせた巻き髪という男受けの良さそうなよそ行きの装いで。
髪の毛を調えている時にふと、こんなに真面目に身支度を整えているのはいつぶりなのだろうと思った。これを思う20歳の青春ド真ん中の女子は色々と終わっている気がするが仕方がない。
だって普通じゃないし、多分……そもそも青春なんてものは、復讐の為に若さを消費して、パパ活なんてしてスパイごっこなんかに興じていた私には無縁の代物だからと、最もらしい理由を頭の中で捏ねて正しいと思うように成形した。
少しばかり自嘲気味になりながらも身支度を整えて、進まない気持ちとお世話になったという義理の板挟みに遭って、まだ看板下の今時珍しい白熱灯ランタンが灯らぬお店に足を踏み入れた私を待っていたのは、
性欲を持て余した男の人達でも、悪い顔を浮かべる美味しいナポリタンを振る舞ってくれた人でもなく、
おおよそこんな東京郊外の街の風景では異質な、おおよそ都心の日本有数の電気街がよく似合いそうなフリルとエプロンが特徴的な衣装を持った沙華さんと、
おおよそ出先でちょっと直す程度では済まない程のメイク道具を抱えた、いつぞやこのお店で出会った女性であった。
「似合ってるね、メイドさんのかっこ。藤乃ちゃんって女の子!って感じだから似合うと思ってたんだけど、こんなに似合うとは……ちょっと悔しいかも」
「まぁまぁ、私からしたら今の沙華ちゃんも十分可愛いけどね。
この子とタイプは違うけど。けど、いろいろお化粧道具とか必要って言ってたのに、いらなかったね。元から可愛かったし。合法的にお触り出来て、私は幸せ!」
「なんですかそれ、ちょっとおじさんみたい」
二人にもみくちゃにされ、カウンターでぐでーっと溶けている私の横で、満足そうに話す二人の女性達。
どうやら今回の首謀者は沙華さんのようだった。
「罠だったんですね。私をご飯で釣って何が目的ですか。鈴衛さんまであんな演技して……、そこまで私に何か執着があるんですか?」
「よっとと……、違う違う!用があるんわ俺じゃ。その服は沙華の独断やがね」
頭の上に乗せられたヘッドドレスの感触が少し慣れないままに憮然とした態度で訊ねると、
カウンターの奥の扉から大きな箱を二つ抱えても余裕が見える大男、鈴衛さんが姿を現した。
「もうオーナー!バラすの早くないですか?」
「そりゃ、俺の指示で若い子を無理やりそんな恰好にしたら訴えられるじゃろうが!」
「たしかに、オーナーがこんな事させたら気色悪いもんねぇ」
「楓ちゃんは、オブラートって知っとるか……?」
どうやら沙華さんを疑ったのは、半分私の見当違いだったらしい。しかし、私になにをさせるつもりなのかという疑問は残る。
それに答えたのは、鈴衛さんだった。
「なぁ、お前さん。この店で働かんか?」
「え?」
「え、じゃない。どうなんだ?こっちからのオファーを受けるのか、受けないのか」
ポカンとカウンター越しに見上げる鈴衛さんの表情は真剣だった。どうやら本気で私を雇うつもりの様だ。
さっきまで喧しかった沙華さん達も、今は黙ってこの行く末を見ている。
「一つ、聞いてもいいですか?」
「なんだ?なんでも聞いてみろ。時給か?それとも勤務体系か?」
自信ありげに煙草を蒸す鈴衛さんに私は、一つ質問した。
たしかにお金は大事だ。
今現在、推定千円くらいのナポリタンの代金すら持ち合わせて居ない上に、目的もなくパパ達からお手当をもらうように努力する気力も、新しいパパを探す熱量もない私には、渡りに船の提案だろう。
が、問題が一つ——この私の今の服装について。
「ここって、メイド喫茶でしたっけ?私の記憶が正しいならビリヤードできるバーだったはずですけど」
ヘッドドレスを指差して聞いてみた。
「あ〜、それは俺じゃねぇ。服は別に用意してやるよ。それでどうだ?」
「ダメです。藤乃ちゃんにはこれで働いてもらいます」
横を向くとキラキラとした目で自信ありげに言い切る沙華さんの姿と、それに同調する様にうなずく女性。名前は確か、玖波楓香と言ったか。そんな名前。
「あ!?沙華お前なぁ、そこまで固執する理由がわかんねぇよ……」
「だって、可愛いじゃないですか!大学も近いし藤乃ちゃん目当ての男の子がたくさん来るの間違いなしですよ!」
少し、呆れるオーナーと、第一志望の会社の面接かの様に掛かり気味にメイド服の良さをアピールする沙華さん。
「はぁ……。わかった。すまんが服はこれで頼む、そのかわり、いくらか上乗せするからよ。それで頼む」
申し訳なさげなオーナーに告げられ、渡された紙切れには、私がよく見るコンビニの求人のチラシに書かれた時給より400円程高い値段が二重線で消され、さらに高く、五万円の家賃くらいなら本気で働けば、1週間ほどで稼げるくらいの値段が書かれていた。
「いいんですか!?」
「まぁな。仕方ねぇよ。羞恥手当ってやつだ」
煙草を半分ほど吸って灰皿に押し付けながら、オーナーが言葉を吐いた。
「で?どうする?」
私の中の天秤はこの膝上丈ののフリルの付いたメイド服を着る恥ずかしさより、お金がない中での好待遇に振り切れていたのは、言うまでもない。
今の私にはお金、大事だし。
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