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「それで……」

 手に持った、高そうなウイスキーと丸氷の入ったロックグラスが小さく見えるほど大きな手のした大男が私の前、カウンターを挟んで立つ。私の両隣には先程来た男女二人が横に同じく高そうなウイスキーのロックと水割りを飲んでいる。

 逃げ場がない。その上、目の前から鋭い眼光で見られては、何も出来ない。先程出できた隣の女性と同じ高そうなウイスキーも水割りに手を伸ばす事さえ憚られる。


 まさに、蛇に睨まれたカエル状態である。早く帰りたい。


 そして、マスターと沙華さんは、奥のテーブル席のソファーで谷川さんの世話をしていてここにはいない。孤立無援である。いや、仮に居たとしても、助けてくれるとは限らない、このお店の関係者だし。


「それで、お嬢さんの名前は?」

「え?」


 あまりに突拍子のない質問に私思わず、聞き返す。


「なんだ。えっていう名前なのか?変わったやつだな」

「いやいや、そんな人いないでしょ」

「オーナーも若い子虐めてると嫌われますよ?あと直ぐネットに書かれる」

 人の揚げ足を取るのが趣味なのか。このおっさんは。

 という私に同調するように、両隣に座る二人はオーナーと呼ばれるその人をたしなめる。どうやら根っこから性根の腐った悪い人達でもないようだ。私と違って。


 確かにオーナーと呼ばれた男の言う通り、

「え」っていう名前の人がこの世にはいるかもしれない、江さんとかが中国とかに。あとはエさんとか……。

 がここは日本だ。苗字が一音の人はもちろん、名前が一音の人には出会ったことがない。もし居たとしたら。素直にごめんなさい。


「それで?名前は?」

 少しイラつく不愛想な私の表情を感じ取ってか、先ほどよりは幾分か柔らかい口調で同じ質問。


「多賀野江 藤乃です。今年二十歳になりました」

 極めて機械的な自己紹介。正直それ以外の情報がない。相手に何を求められてるのかもわからないし。


「鈴衛 竜宏すずのえ たつひろ、ここと立川の店のオーナーよ。普段は立川におるわ。喋りの通り、生まれも育ちも広島じゃ。歳は四十過ぎてから数えるを辞めた。好きな酒は、気の知れた奴らと飲む酒よ。よろしく、お嬢さん」

 それと同時に伸びて来た手はゴツゴツとして、いかにも職人の手と言った感じがした。


「次はどっちや?」

 私と握手を交わした後、私の両脇に座る二人を交互に見て、促す鈴衛さんに乗せられたのか、右に座る女性が口を開いた。


「私は、玖波 楓香くば ふうか。依月くんに振られたアラサー。沙華ちゃんとは依月くん取り合ったいい関係。依月くんが男にしか興味ないから、どっちもフられたけどね!よろしくね藤乃ちゃん」

「変なこというなや!ちゃんと女が好きや!」

「どうだか……」

「沙華も根に持ちすぎや!」

「私がわざわざ東京戻ってきた依月さんのせいなんやからね!」

「私達の乙女の純情を笠に着て好き勝手にしてくれちゃってさ~」

「おい!それは言い方悪いやろ!それに、楓香さんあの時も乙女って歳じゃ――」

「あ?」

 谷川さんの世話をする横で、沙華さんと楓香さんに詰められ反論する依月さんの絵はなぜが初めて見る私でも年季が入っているのが分かる。


「あ~はは……。まぁ見慣れた光景だね」

 そう苦笑いを浮かべて呟く鈴衛さんと同じか、少し小さい大男その2が、私の方を向いて笑いかける。


「どう、喧しいでしょ?」


 その問いに私は首を縦に振る。


「みんな、このお店ができる前。まだ依月くんが立川の一号店にいて、沙華ちゃんもあんな立派なバーメイドさんになる前からの常連だからね、新参者が入るには大変だと思うけどね」


 そういって、こちらにグラスを突き出す大男。

 乾杯しようという意思をくみ取って、コツンっとグラスを合わせる。

「俺は峰浦慎二。立川の夜の案内人。まぁ、キャッチの兄さんだよ。よろしくね藤乃ちゃん。ところでさ!君可愛いからさ、もし夜のお店に興味があるなら……」


 そういったところで、峰浦さんが、目の前を通り過ぎる新幹線ほどの速度で視界から消えた。


「峰ぇ、うちの店でスカウト行為はどうなるか、わかっとるんやろうなぁ」

「い、いやぁ、本気じゃないから!」


 カウンター越しで鈴衛オーナーが腕一本で峰浦さんの首根っこを摑まえ、持ち上げていた。「ぐえっ」といった擬音が似合うほど苦しそうな峰浦さんと、大の男を腕一本で持ち上げるその怪力具合に、少し恐怖する。ほんとに四十歳を超えているのだろうかと疑ってしまう。


「おいジジイ、その辺にしとけよ、藤乃ちゃん引いてるぞ。それに今年六―」

「えっ?」

 その瞬間、私の頬を何か円盤のようなものが掠めていった。

「―ぃってええな!」

「ごほっごほっ……助かったぁ」

「次はないで。貴様ら」

 頭を抱えながら痛がる依月さんと床に落ちた円形の灰皿らしきもの、そして、首を緩め、未だに嘔吐えずいている峰浦さん、そしてその依月さんを詰めていた沙華さんと、楓香さんを見回して、最後に苦笑いを浮かべてソファーの背もたれに触れないように座る谷川さんと視線を交わす齢六十を過ぎた鈴衛さん。


「よっしゃ。谷川も無事やったし、新しく可愛いお嬢さんもいるし、今日は飲むか!」

 そういって、置かれたのは高そうな桐の箱に入ったお酒だった。


 その日、私は初めて視界が揺らぎながら朝日が空を赤らめる時間に歩いて帰った。

 次は、冬馬さんもいたらいいな。でも、あの人お酒弱いからなぁ~と、心の内で心配しながら、そして、こんな出会いをくれた冬馬さんに感謝して、彼が待っているであろうの家に帰るのだ。

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