3
――谷川が撃たれた。
その一言が私の心をかき乱す。
「あ、あの病院に――」
私は震える声を堪えて、そう声を発した。
撃たれた傷は背中に1発、腿の裏に一発。後ろから撃たれたようである。しかし、即死になるような傷はない、でもだからといっても病院で手当てをしてもらうのが賢明だろう。という心配の気持ち、
そして銃を扱う者として谷川さんの傷は、相手も殺す気があるわけでないことが見て取れる。同時にこれをやった犯人が相当な腕利きということもわかる。
「っぷ。次はなにやって撃たれてんだよ」
私の重い空気を破ったのは、谷川さんの無様な姿に噴き出すマスターだった。
「いやぁ、不覚を取ったね。まさか撃たれるとは思ってなかったよ」
私が下を向いているうちに大男に椅子に座らせてもらい、なにやらこのお店のマスターである依月さんに笑われる谷川さん。本人も、大したことなさげに笑うのをみて私がおかしいのか心配になる。
「しかし、お前よかったな、掠っただけでよ。弾抜くってなったら警察に通報されてるぞ」
「うん、それはほんとに――いだだっ、ちょっと包帯巻くなら優しくっ」
「ええ歳のおっさんがそんな甘えたこといっとんなや!だから、離婚したときも刺されかけるんだよ!」
「うっ、心も痛い……てかいまそれ関係ないでしょ!」
銃で撃たれたという、非日常のイベントがあったというのに、みんなの反応は、平時のそれだった。
みんな肝が据わっているのか、これが当たり前の環境なのか、私には想像できないが。
「お邪魔しまーす。谷川さん生きてる~?」
「谷川のおっさん、平気か?!……なんだ平気そうじゃないか、面白くねぇなぁ」
ギシッっと蝶番を軋ませて開いたドアの向こうから、
少し頬を赤くし、レーススリープのブラウスに、裾の長いフラワースカートを纏ったガーリーな恰好の小さな女性。
そして、しっかり糊の利いたシャツに黒のスラックスにダークブラウンのウィングチップの革靴と、いかにも夜に生きていると言わんばかりの洋装のこれまた大きな男性が入ってきた。
なんというか、見た感じは皆知り合いのようであるが、誰一人として、本気で心配している者はいないのだ、実際に患部に包帯を巻いて、その包帯に血が滲んでいるのに。
おかしい。
みんな、不安ではないのだろうか、これが日常だと思っていた光景が、人が、ある日突然無くなってしまうことに。それとも、知らないのだろうか。その恐怖と虚無感を。
「生きてるよ、残念ながらね、いやでも今回はさすがに参ったね、こんなに困ったのは――」
「離婚話で元のカミさんに刺されそうになった時。だろ?」
話の途中に谷川さんを担いでやってきた男に差し込まれ、うっという痛いところを突かれたという顔を浮かべる谷川さん。
「それは、谷川さんが悪い」
「依月くんの言った通り、あれは谷川さんが悪いよ」
「二人の言った通り谷川のおっさんが悪い」
「みんなの言った通り谷川の自業自得だな」
「私も、あれは、谷川さんが悪いかと……」
「みんなひどくないかな!ねぇ!」
ボコボコである。こんなにも集中砲火を浴びる別れ方とは、一体谷川さんは何をしたのだろうか。そんな酷い別れ方、不倫とかそんな類の別れ方でもしたようなヘイトの集め方である。
そんな中で私は一つ変に思うことがある。
ここにいるみんなの口振りから、負の感情重たく、冷めた感情を感じ取れなかった。
冬馬さん以外に私が心を覗けない人は居ない。……と思う。
その証拠にあれだけ寄ってたかってフクロダダキにしていた面子の方々からは安堵の色を感じる。淡い黄色や、黄緑色といった色が見える。なんだかんだいっても、仲が良いらしい。
と一通りヤキモキしていた心に安寧を取り戻した時。
「それじゃあ、そろそろそこのお嬢さんにも話を聞こうか。色々と聞きたいことがあるわ」
先程の黄緑や淡い黄色ではない、黒く赤い、炉で熱した鉱物のような紅蓮の感情で、私を見下ろす少しモスグレーの混じった髪色の大男の前で、私は静かに息を吐いた。
そして悟る。多分自分に良くない方向に傾いていることを悟ったから。
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