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国道20号線をひた走り、都会の喧騒を抜け、バイクは郊外の生活沿線の辺りへ差し掛かる。

春秋の週末は熱気であふれ、今はただ月夜に照らされて、巨大な輪郭だけが闇に浮かび上がり、週末の11レースのファンファーレが鳴り、大勢のファンで沸き立つ時を待つ東京競馬場を通り過ぎ、わたしの住処へ一筋にライトを照らしたバイクが闇を割る。


私の住処までは残り5~6kmほど、もうじきこの夜のツーリングも終わりと思うと、どこか寂しく感じた。



六本木の路地からバイクで1時間半ほど、煌々と光るネオンはそこにはなく。やがて現れたのは東京というにはあまりに寂しいアパートや小綺麗なマンション群。

それなりに年数の経ったのであろう煤けた外装の一軒家と背の低いアパートやマンションが集まっている住宅地の中、いかにも苦学生が住んでますと言わんばかりの煤けた外装とさび付いたフランス落としのついた門をあけた先のアパート、それが今の私のねぐらである。




「ここか。いいとこ住んでると思ったんだがな」

「屋根と壁があればいいんじゃないんですか?嫌なら、他をあたって下さい」

「いや、悪かったよ……」

バイクのエンジン音も消え、私と彼の声だけがそこにある。

一階の角部屋、塀に遮られ、日当たりも良くもないこの部屋。私の城。

「どうぞ、なんもないですけど」

私は徐に扉を開け、彼が入るのを促す。

「あ、あぁ……。いいのか?お前も一応女だろ?」

私の事を容赦なく殺そうとした奴が何をそんな事を。と鼻で笑いたくなる。


「今更ですか?……別になにもないですから」

「まぁ、ならいいけどよ」

扉をあけて、彼の後に付いて中へ入り、手探りで廊下の電気タップをパチンと弾く。

数秒。

廊下の電気が輝いて、わたしの城の内部が露わになる。

狭い廊下のような台所のような部分を抜けて、私のねぐら、六畳半ほどのリビングへと彼が足を踏み入れた時。


「ぶっ、ふははっ!はははっ!まじでなんもないのな!人住んでんのかよ」

「私、住んでますけど。イヤなら外で寝てください」

「何も無いじゃねぇか」


殺風景な部屋を指摘され、人住んでんの?なんて言われたらいくら私でも少しは不機嫌になるというものだ。

ましてや初対面で、刃を交わし、殺されかけて、無理を言って家に押しかけて来るような人間を受け入れた私の恩義を笑うような人をどうして家にいれてしまったのか。


まぁ、止むに止まれぬ事情があったのだが……。主に金銭的に。

「私、先にお風呂入ります。……タバコ外で吸って下さいね」

「俺も人様の家の中で吸うほど非常識じゃねぇよ。それに、今のお前よりタバコの匂いの方がいくらかマシ——いってぇ!物投げてくんな!」

「そっちが、そんな事言うからですよ!とにかく、私お風呂いきますから」

悪態をついて、私が投げた弾の入ってないマカロフをぶつけられ、文句を垂れる彼を放って、この豚骨の匂いを洗い流す為に、一度もお湯を張ったことの無い湯船に、お湯を張り始める。

恐らくこんなことがなければ、私がボタンを押したこの給湯リモコンパネルは、ずっとなんのボタンも押されずに、今吐き出されるお湯が何度に設定されているかを、分かりやすく示す為だけに存在する物になっていたに違いない。

まぁ、今の私もこの給湯リモコンの様にただ恨みや私怨という、人間の根源的な負の理性に縛られていて、それは最早、人ではなく決められたコード通りに動く物の様な物だと思うけれど。


いや、心が読めるという時点で、もう、私は怪物なのだ。

物でも人でもない、異端の存在。今更そんな事思っても仕方ないけれど。


心が読めるからこそ、私自身は心情なんかに縛られちゃいけない。

とことん理性的でないといけない。

なのに私は、機械の命令の様に怨みと言う意識に支配されている。そんな自分をせせら笑っている時だった。


聞き馴染みのない間の抜けたメロディーの後、

『お風呂が沸きました』と言うシステム音が私の思考を遮って遮ってくれる。


私は底無し沼の底に沈殿したようなヘドロのような濁った感情を胸に抱えて、湯船に浸かるのだ。

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