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まだ少しばかり濡れた髪の毛に鬱陶しさを感じつつも、リビングとなる6畳半へ戻ると、つまらなさそうに煙草を燻らせる彼がそこにいた。

「部屋の中で吸わないでくれます?部屋に匂いつくでしょ?さっきは人ん家じゃ吸わないって言ってたくせに」

「……ったく。めんどくさくなったんだよ!けどまぁ、分かったよ」

私を殺気を纏った視線で突き刺しながら、ぶつくさと文句をいって、部屋の最奥の引き違い戸から外に出ていく彼を見て少し口角が上がるのを感じる。

思えば、初めてかもしれない。ある時点ときからの私の人生で、私や以外の人が登場することが。

まさか、それが自分を殺そうとしたぶっきらぼうで心が読めない人で、人の部屋で無神経に煙草を吸えるような人だとは思わなかったけど、それはそれで私らしいのかも知れない。

なんて、思っていると、『部屋に匂いがつく』という私の言葉の意を理解できていないのか、網戸だけを閉めて、くたびれた煙草にご執心の男は私に問う。

「お前さ、改めて名前は?」


私は少し迷った。仮にも自分を殺そうとした男だ。私の方が悪いのだけど、正々堂々なんてものをドブに捨てて、闇討ち同然に殺気を振り回した私と主人を守る彼に自分の事を教えるべきかどうか。

だって、ロクな事は起きないだろうことは分かる。それにクビは嘘で、もしかしたら私は首元から下が分かれたいるかもしれないし、大動脈を的確に切り裂かれているかもしれないし、私みたいに毒を用いてほぼ外傷を残さず殺す。なんていう事をしてきてもおかしくない男なのだ。そんな男に自分を教えるのははばかられると思った時。

「まぁ、俺が先に名乗れ。って事だよな。その無言は……。

俺は冬馬。穂高冬馬ほだかとうまだ。よろしくな、可愛くねえお嬢さん」


なんの邪気もなく、悪態も心なんか読まずとも解るほど単純な心の開き方に、私は少し気圧されつつも応える。


「……多賀野江 藤乃たがのえ ふじの


それだけ。確かに可愛くはないは余計だが、名乗られて、無視するほど私も腐っちゃいないのだ。だからこそぶっきらぼうにでも名を名乗る。

「やっぱ、咲良は偽名だったな……」


私に背を向けて、確信を持って語る彼に少し恨めしさを覚える。

私の偽名を見抜くなんて、やはり、死線をくぐってきたこの人には、小細工なんて、通じないのか。


心が読める私が読めなくて、そんな能力なんてないだろう彼にそんな事を読まれるのは癪に触るというものだ。

「本当の名前は……藤乃か。しばらく世話になるわ。そんで……歳は?」

「あと二日で二十歳になります。確か。……まぁ、誰からも祝われてなんかないですけどね、今までも、これからも」

矢継ぎ早に飛んでくる質問に私は少し気怠さを覚えつつも答える。事実とはいえ、

自分でも今日が3月31日ということも、来たる四月二日が私の二十回目の誕生日であるという事を忘れていたのだ。

それは自分の存在を消そうとしているようで、そんな答え方しか出来ないことに少し切なくなるけれど、仕方ない。事実だし。


「そうか……。俺の方が一つぐらい歳上だな。すまんな、殺そうとして。あと、住むとこも借りちまってよ」

どうやら私の歳と、つい最近誕生日という情報を適当に流した穂高冬馬と名乗る彼は, 21歳か22歳そこらのようだった。

少しボサついた髪に、今時、ハイライトを咥えた少し髭が伸びかけの口元からは、とても1つ上とは思えないけれど。

私とは目を合わせずに先の事について謝ってくる。気持ちがあるかなんては分からないけど。

そんなことより、誕生日の事を触れて欲しいものだ。

せめてなにかの反応をして欲しい。する気がないなら聞くなと思うけれど、グッと堪えて大人の対応を演じる。

「別に、いいですよ。根を張るところがない時の不安は……私も解るから」

「確かに、そうかもな……」

先ほどまでの口の悪さも鳴りを潜め、物憂げに残り少ない煙草にご執心で、急に大人びて見える冬馬と名乗る男、もとい冬馬さんは、どこか悲しそうな瞳をしていた。どれがこの人の本質なのだろう。私が本心を見抜けない人の気持ちなんて、きっと誰も、それこそ神様すら窺い知れないだろうけど。そうやって、思考の底の底に落ちて行く時だった。


それは、不意の一撃だった。どんな神速の居合なんかより、西部劇の早撃ちなんかよりも対応できない一言の弾丸。


「誕生日、おめでとう。少し早いけどよ。早割効くかもってな」

「……そんなの、ありませんよ」


煙草の火をもみ消しながら彼が吐いた、なにげない一言。

けれど、歪んだ自己承認欲求の塊で自分を顧みない私には、傷口の塩なんかより、乾いた大地に垂らした一滴の水なんかよりも心の奥底に染みる。

そんな言葉だった。そんな言葉に私の瞳から、ポロリと涙がこぼれるのは……おかしかったのかな。



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