2

血生臭い匂いで目が覚める。

あぁ、私は死ぬんだ……そう思った。


なのに、あれ……腕も足も動く。少し痛みはあるが、関節も無事だ。ネオンと照明の狭間に輝く月も見える。

しかし、この匂い、獣の匂いと血の匂いが合わさったような匂いが私の鼻腔を突き刺してくる。


「よう……目ぇ、覚めたか?」

「ッツ!」

今一番聞きたくない声に身体が反応する。

私はガバッと身体を起こして後ろに跳ぼうと踏み切った。

――が、綺麗に転けた。路面が凍っていた中を歩く革靴のサラリーマンなんかよりも綺麗に転けてしまう。

「ぷっ、っははっ!お前、意外と鈍いのな」

キッッ!と呑気に警戒心なく笑う男に私の最大限の鋭い視線で牽制し、

「それで?私を殺すんですか?殺すなら、私だってーー」

私の最大限の啖呵……強がりを見せて、私と共に落下したであろう黒星を求め、何やらヌルッとしていて、パンパンに詰まった巨大な袋の山を漁る時、

「….…無駄だ。諦めろ。」

無機質な血の通っていない機械音にも聞こえる声で私の額に銃を突きつけられる。

男の目に人を殺すときに現れる迷いや感情の高波はなかった。べた凪の海の様に冷静な瞳。

「……私の銃、返してください」

私は、激しい心音の弾みを押さえ込み、努めて冷静を装って対峙する。

数秒。

「お前みたいな奴には余りある代物だーーっよ!」

男に引鉄を引かれた事によって至近距離で放たれた銃弾は、瞬きする間もなく、私に当たる事もなく、掠めていった。弾は明らかに私を狙ってはいなかったのだ。

「どうして、殺さないんですか……」

「丸腰なやつを殺すのは闇討ちの時だけで十分だ」

「それに……」

言葉を切って咥えた煙草に火をつけている。私に興味など無さそうな横顔で、煙たい息を吐く。

「……それに、もうお前をどうにかする意味も無いしな。あ、これ返すわ。ほらよ」

私の事を飽きたおもちゃの様に興味を示さない

それどころか、私に武器を返してくるなんて、よほど舐められているのか、悔しさではなく、可笑しくなる。

無防備に背中を見せて、煙草にご執心の男の背中目掛けて私は返された赤星を構える。私が1発、男が1発打って、弾はあと6発はあるはずだと、6発有ればここをひっくり返せると自らに暗示をかけて奮い立たせる。

彼が煙草を吸って、煙を吐き出そうとしたその瞬間。

私は引鉄を引いた。

「カチャンッ」

ハンマーが虚しく空倉を弾く音。

ーー弾は、出なかったのだ。

「無駄だ。弾、抜いてるに決まってんだろ」

勝ち誇った様子も見せず、それどころかそもそも眼中にない様子の後ろ姿にそう諭される。

私は惨めな想いと男の余裕に心をかき乱される。

「じゃあ、わたしを、私を殺してくださいよ!惨めでしょ!だって……結局私は!……貴方に負けたんだから殺さなくても、私が泣き喚くまで犯し尽くせばい……ぃっ!」

「ぎゃあきゃあ喚くな。小娘が……」

私の発狂とも言える感情の発露に対して無表情に、そして深海の如く冷たい眼差しで、私の口にどこからともなく取り出した拳銃を喉元目掛けて突っ込んだのだ。

(私のマカロフ……っ、どうして)

私に銃口を突っ込んで、再び、殺気を纏う男に見下ろされ、またしても極めて平静に問われるのだ。

「選べ。今ここで死ぬか、それとも、風呂屋に売られるか……それとも、地獄の業火に焼かれても生きて、生きて生きて、お前の望む未来を迎えるのか!」 

スライドストッパーを引いて、トリガーに手をかけ、私の顔前に迫る男の瞳には、まだ燃える炎を滾らせる私の姿が写っていた。

「ーーぃ」

「なんだ、聞こえねぇな?」

男の安い挑発と共に、

無機質な撃鉄が引かれるカチカチカチッと言う音が聞こえてくる。

「ーーたいっ。生きたい……っ。生きたい生きたい、いきたいっ!……生きて、私はあの男を殺すのっ!災害を使って、私の友達も、家族も、故郷すら地図から消したあの男を!」

私の、心からの本心、いろいろなキャラクターを演じて男に取り入ってきた私を捨てて、私は、多賀野江 藤乃は初めて本音を叫ぶ。19年間の人生で初めての咆哮、激情を押し出したのだ。

「そうだろうな。お前の眼はそう言ってるよ。……なら、生きろ!例え、足が飛んでも、腕がちぎれさったとしても、こうやって、口に人殺しの道具を突っ込まれたとしても……」

カチカチと限界ギリギリまで引かれた撃鉄が軋み、叫びの様なを出す。

「……それでも、それでも俺たちは!……生きながらえるしか、道はねぇんだよ……」


その夜、六本木の酷く豚骨の匂いのする路地裏で乾いた銃声が一発、虚空へ鳴り響いた。

その音は、どこか切なく、彼らの、命の火を燃やす徒競走のスタートラインを切る号砲の様な、そんな音だった。

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