山陰の狼、穂高冬馬

1

「おーい、当たってきたんだから……金。置いてけやぁぁ!」


日が暮れるのと対照的に、高級車やハイヤー、予約車と表示されたタクシーが増え、いかにも勝ち組、上級民といった洋装に身を包む人、これから出勤なのだろう、全く乱れのなくセットが施された髪の毛、そして和装に身を包むクラブのキャストと思わしき女性達がスポットライトを浴びる街、六本木。今日の仕事場であるこの街に似つかわない、少しくたびれたスラックスにワイシャツ、適当に締めたネクタイをふらつかせて、仕事道具の入った黒塗りのキューケースを背負って街を歩く。なんて、そんなプロローグを優雅に語ろうとしていた。

しかし現実というのは思い通りにはいってくれないのだ。当たり屋と思わしき、痩せた考えの自分と同世代の男3人組に絡まれて端金をせびられている。そんな状況。全く、この上なく不愉快である。そんなイライラを沈めるため、ごそこぞとスラックスのポッケを漁り、クシャクシャになったソフトパックから、くたびれた煙草を取り出し、咥える。

「おい、火、持ってねぇか?」

「……は?お前が金出せよ!」

当然だ、金をせびり上げている相手は慄きもせず、かと言って戦う意志も見せずに、事もあろうに悠長に煙草を吸おうとしているのだ。それは目の前の奴も困惑するだろう。

「しゃあねぇなぁ……」

ごそこぞとスラックスにポッケを再び手を突っ込んで火元を探そうすると、男達は身構えた。

「「っ!!」」

「別に火、探してるだけだよ……お、あったあった」

ポッケの中から『クラブ貴子』と印字された箱マッチを取り出して、擦り上げて、その火を煙草に付けて、白い息を吐く。

「それで?金やったか?」

「お、おう……そうだよ!早くしろよ!」

凄みのない声でせっつかれて、三度ポッケを漁りクシャクシャの一万円札を地面に3枚投げつけた。

「ほらよ、やるよ」

「案外素直だな……」

グループの一人が投げつけた一万円札を拾うために身を屈めた時だった。

彼の頭に踵が入ったのだ。やったのは言うまでもなく俺だが。

「がっ……」

「てめぇ!ふざけんなぁ!」

「おうおう、怒んなよ……、ピンチの時こそ冷静になれ、よっ!」

倒れた男の仲間の一人が激昂げきこうし、顔面目掛けて殴りかかってくる。が、その拳を寸前で交わし、お返しに膝蹴りをお見舞いする。

「ぐっ……」

二人の乞食を地面に伏させて残りの一人と対峙する。

暗くて、表情は窺い知れないが、息遣いから、極度の緊張状態に陥っているのが分かる。

「おい、どうすんだ?今なら逃してやるが……」

俺は、努めて平時の声色で残った一人に語りかける。

「うるせぇ、うるせぇうるせぇ!くたばれや!」

男は俺の忠告も聞かず、かと言って何か策を持つ訳でもなく、怒りとアドレナリンとやらに身を任せ、愚直に殴りかかってくる。それを眺めて煙草を一吸い。

「全く。だからこういう時こそ冷静にと、言ってるだろう……がっ!」

拳が届く瞬間に腕を握り、思い切り投げ飛ばす。

「っ……」

地に伏せた投げ飛ばした男の髪を引っ張り上げて

至近距離で煙草の煙を吹きかける。

「汚ねぇ事も楽じゃねぇだろ……。その金はやるよ。……さっさと伸びた奴ら連れて行く事だな」

無言でうなずく男を解放し、再び根元近くまで燃えた煙草の最後の味を堪能する。

「ったく、腐ってんなこの国は……」

10年前の台風で、この国は変わった。先のような喧嘩の延長線上で押し込みや窃盗を働く若い奴らが増えた。食うために、生きていくために、自らネズミになったのだ。シンギュラリティ・チルドレン――「特異点の子供達」

元々は科学技術の進歩によって別世界のようになる特異点、転換点を言い表した『シンギュラリティ』が、台風による技術の衰退、国の構造を変えた事に用いられたのはどこか皮肉な気がしてしまう。

「ま、俺も人のこと言えないけどな」

吸い終わった煙草を踏み消して、夜へ消える。

穂高冬馬ほだかとうま、彼もまた、その世代。

この階級社会に唾吐く問題児だった。 

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