第10話 まるでアナタは久遠に続く迷宮のように―2


 朝食を終え、ルミナに用事があると呼び出された俺は外出の支度をして、宿のロビーに降りて来た。


「これからは一生ついて参りますわルミナ様~♡」


 そんな俺の目に飛び込んで来たのは非常にうっとうしそうな表情のルミナと目をハートにしてルミナの脚にしがみついている女将さんの姿だった。


「えっ……ナニコレ……」


 俺は女将さんがストックホルム症候群にでもなってしまったのかと目を疑った。


「あら、旦那様。お出かけですか?」

「旦那様!?」


 女将さんが眩しい笑顔で俺を「旦那様」などと呼び始めたので、いよいよ彼女の精神が心配になって来た。


「せ、先輩、この方が宿を買収されてからなんだか様子がおかしいのですが……」

「あらあら、私がおかしいとはご無体なことをおっしゃらないでくださいませ。私は最早ルミナ様の犬! いただいたお金の分、靴の裏でも喜んで舐める気持ちであなた様にお仕えいたしますわ!」


 俺は女将さんの豹変ぶりにドン引きを通り越して哀れみすら感じた。

 ルミナも自らの脚にへばりつく金に魂を売った惨めな存在に憐憫の眼差しを向けていた。


「出来れば私はアナタにさっさと荷物を纏めて出ていって欲しいです」

「いえいえ、いずれ大金が手に入るとはいえ、今の私は財産を全て失っているのですから、責任は取っていただかないと! 大それたことは申しません! ですから、振り込みが終わるまでは私を女中としてあなた様に雇っていただきたいのです! どうか、どうか、ご慈悲を!」


 女将さんがルミナの前で手を組み、神に祈るようなポーズで懇願する。


「おい、ルミナ。元はと言えば、お前が蒔いた種なんだぞ。原因である俺が言うのもなんだが、女将さんがちょっと可哀そうだと思う」

「………………仕方がありません。しばらくの間はアナタを追い出したりはしないことを誓います。私とて貴族の端くれ。しもべの懇願を無碍にするようでは貴族としての誇りに傷がつきますから」


 女将さんがその台詞を聞いてパッと顔を輝かせる。


「ありがとうございます!!!!!!」


 ルミナはうんざりした様子でため息を吐き、咳払いをして言葉を続ける。


「――ですが、私に許可なく先輩と接触したりはしないでくださいね? 先輩のお世話をするのは私だけで充分です。もし、指の一本でも先輩に触れたなら、アナタの薄汚い指を一本ずつ落として差し上げますよ」


 凄みのある表情で言われたその言葉に俺と女将さんは身体を震え上がらせた。


          @ @ @


「なあ、ルミナ、今日は一体俺をどこに連れて行く気なんだ?」


 俺はニコニコとしながら腕を絡ませているルミナに問う。

 ルミナは白いワンピースに水色のカーディガンというシンプルながらに清涼感のある上品な服装をしており、背筋を伸ばして歩く姿はいかにもお嬢様と言った風貌だった。

 昼下がりのアンコールの街中を俺とルミナは傍から見れば、まるでカップルのように思われることだろう。

 だが、実際はルミナが俺の腕を恐ろしい力で締め上げ、強引に引っ張っているのである。

 俺はルミナの腕力に負け、大人しく歩かされていた。

 ……決して、腕に当たっているルミナのフニフニとした胸の感触に誘惑されている訳ではない。


「もうすぐ着きますよ。用件は着いてからのお楽しみです」


 ルミナは俺の問いにもったいぶった言い方をする。

 彼女の恐ろしさはすでに知っているというのに、どことなく無邪気な彼女の態度は俺の理性を吹き飛ばしてしまいそうな程に魅力的だった。

 よく考えてみれば、この状況はデートと呼んでも差し支えのないものだろう。


「それにしても、どうして俺だけなんだ? ラビィは一緒じゃなくても良かったのか?」

「いいんです。今日はツヅリ先輩と二人きりでいたいんです」


 甘い声で俺の肩に自らの頭をすり寄せてくるルミナの姿は正直に言って凄く可愛い。

 俺には椎名さんという心に決めた人がいるけれど、ルミナのような美少女にこうして大衆の面前で甘えられるとなんだかリア充オブリア充になった感じがして気分がいい。


「……例え、ラビィちゃんのような子供でも私と先輩の間に入る虫はいらないんです」


 前言撤回。

 やっぱり俺この子怖い。

 忘れかけていたが、ルミナは昨日、ラビィの首を絞めていた前科がある。

 彼女なら、子供相手でも平気で物騒なことをやりかねないだろう。


「ところで、ずっと気になっていたことなのですが、先輩とラビィちゃんはどういう語関係なんですか?」

「えっ……俺とラビィの関係? それはその……」


 さっきまで笑顔だったはずのルミナが突然光の宿っていない目で俺を見つめながら尋ねてくる。

 俺はルミナと目を合わせないように視線を逸らして言葉を濁す。

 ラビィと俺の関係について本当のことをルミナに教えても良いものか、俺の中では葛藤が生まれていた。

 ルミナは俺と同じ世界から来た人間であるらしい。

 しかし、彼女に真実を教えても良いという確証はまだ持てない。

 俺とラビィの関係を説明するためにはラビィがキューピットであることをルミナに明かさなくてはならない。

 だが、それをすると、ラビィの正体を誰にも明かさないという約束を破ることになる。

 だとすれば、残る手としてはなんとかルミナにバレない嘘を吐いて誤魔化すしかないのだが、仲間だと言ってしまえば、俺とラビィの仲を怪しんだ彼女は何をしでかすか分からない。

 かと言って、妹と言うにも外見が違い過ぎる。

 こっちの世界の俺の記憶によると、この世界ではハーフという概念が存在しておらず、例えば人間と獣人が子供を作っても、人間か獣人のどちらかしか生まれないらしい。

 なので、俺とラビィが人間とハーピーの間に出来た兄妹だと言うことも出来なくはないが、流石に遺伝の影響を受けないのは種族だけで、生まれついた外見の違いを指摘されたなら、嘘の吐きようがない。

 しかし、そこで俺は名案を思いつく。


「あ、ああ……ルミナ、よく聞いてくれ。俺とラビィなんだが――実は親子なんだ」


 これが俺の行き着いた回答。

 俺とラビィがどちらもルミナから危害を加えられない最善の選択肢。

 ラビィとの間に恋愛関係を疑わせる要素がなく、上手くいけば、ルミナはすでに伴侶がいる俺を諦めてくれるかもしれない。


「…………母親はどなたですか?」


 だが、そう言って静かに殺気を放ち始めたルミナの様子を見るに、俺の名案は上手くいかなかったようである。


「お、おい、ルミナ、なんでお前はそんなに怒っているんだ?」

「怒ってなどいませんよ。ラビィちゃんに先輩の血が流れているのなら、私はあの子を攻撃したりはしません。だって、愛しい先輩の子供ですから。……けれども、母親は別です。その女はまだ年端もいかない先輩を惑わして、産んだ子供の育児さえも先輩に押しつけるような浅ましい雌犬です。そのような雌犬は先輩の伴侶に相応しくありませんよね」

「待て待て待て待て! 早とちりするなルミナ!」


 俺は慌ててルミナをなだめる。

 どうやらルミナは俺の嫁(仮)に対して相当お怒りのようだった。

 ルミナの頭の中では、ラビィは俺がまだ第二次性徴期の最中だった頃に産まれた子供であり、ラビィの母親は育児の責任を放棄した女だと考えられているらしい。

 確かに、俺とラビィの歳の差や母親不在の理由を考えれば、そのような結論に行き着くのかもしれない。


「いや、違うんだよ。そうじゃないんだ。ラビィの母親は…………もうこの世にいないんだ」


 俺はルミナの怒りが爆発してしまわないようにどうにか母親のいない理由をでっち上げる。


「それはいい気味で――いえ、すみません。それなら、仕方がないですよね」


 ルミナは一瞬本音を漏らしかけたが、不謹慎だと思ったのか俺に謝ってくる。

 狂っている彼女にしてはやけに常識的な反応だった。

 自分たちの身を守るための嘘だったとはいえ、真に受けられて暗い顔をされるのは俺としても心が痛い。


「ラビィの母親はラビィが物心つく前に亡くなっているからアイツには母親の記憶がない。アイツも普段はあんな感じだけど、母親がいないことに関しては気にしているんだ。だから、母親の詮索とかは止めてくれないか? ラビィのトラウマを掘り返したくはないんだ」

「…………ええ、分かりました」


 俺の大嘘にルミナはまんまと騙される。

 しょんぼりとしているルミナはいじらしい感じがして彼女のしたことを何もかも許してしまいそうな気になるが、決して絆されてはいけないと俺は自分に強く言い聞かせる。

 そうしている内に俺とルミナは街の端に位置する一軒の邸宅に辿り着いた。


「あ、着いてしまいましたね。ここが、今日の目的地です」


 ルミナは邸宅の前で足を止める。

 ルミナが目的地だと言った邸宅はとてもではないがデートスポットと呼ぶにはいささか地味な場所だった。

 邸宅はアンコールの中でも未だ人の手がほとんどつけられていない所謂未開発地域に建っており、周りに他の住宅や商業施設などは見当たらない。

 舗装された道もなく、木々や草花が自然のままに生い茂る森の奥深くにひっそりと佇む邸宅は二階建ての豪邸だったが、木造の外壁を蔦で覆われ、塗装もところどころが剥げている。

 建物自体は俺たちが今寝泊まりしている宿よりも遥かに立派だが、長年の間、住民はいなかったことが見て理解出来る。


「ここはメルトリシア家の保有する別荘の一つです。とは言っても、今使っているのは私一人なのですが……」


 ルミナは俺の腕を引いて、錆びついた鉄の門を開け、敷地内へと足を踏み入れる。


「見た感じ廃墟みたいだけどデートスポット的にはどうなんだ?」

「何をおっしゃっているんですか? 私はデートをするだなんて一言も言っていませんよ」


 俺の呟いた一言にルミナが首を傾げる。

 彼女は俺の腕から手を放し、南京錠で門の鍵を閉める。


「……へ? じゃあ、なんで俺をこんなところに?」

「何故って、ここなら、どんなに大きな声を出しても問題ありませんからね」


 俺はようやく自分の置かれている状況の不味さに気づいた。


「気づいても遅いですよ♡ 先輩はもう逃げられません♡ やっと二人きりになれますね♡」


 騙されていたのは俺の方だった。

 これはヤンデレの女の子が出てくる作品ではテンプレのように起こるシチュエーション。


 ――すなわち、俺は監禁されたのである。

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