第2話ハードボイルド()幼女2
ディープワンズ・ビルの裏手に回り、ハッキングツールを使ってアグニは非常口から内部に侵入した。
巨大な円形状の建造物──地上二十階、地下四十階のフロアを持った実験施設。
このビルには、外壁と窓ガラスに太陽光発電システムが備わっている。
他にも風力や水力を利用した発電機能を持ち、それらがこの無人となった施設の一部の電力を賄っていた。
だからオートメーション(全自動化)化されたこの施設は、人の手を離れた今でも活動し、クリーチャーを生産しているのだ。
エレベーターは停止しているので、アグニは階段を使って、最初に地上階のフロアを探索することにした。
だが、数時間ほど探しても手掛かりは何も見つからない。
嗅覚センサーで探ってみても、対象者の探知はできなかった。
途中のフロアで見かけたものといえば、せり出した筒状の三つの眼球を持った身の丈二メートルほどの獰猛な半魚人や、
通路を我が物顔で練り歩く巨大な肉食蟹くらいなものだ。
この施設がディープワンズ・ビルと呼ばれるゆえんだ。
元々が魚介類の研究所なだけあって、施設を徘徊するクリーチャー群は魚類、甲殻類、無脊椎動物、軟体生物が多い。
ちなみにどちらも味は悪くなかった。
むしろ蟹のほうは身が引き締まっていて、旨味成分である遊離アミノ酸が多く含まれているせいか、大変な美味だ。
(ああ……また食べたいぜ)
蟹肉の味わいにすっかり魅了されたアグニは、思い出すたびに生唾を呑み込んだ。
プリプリとした身の食感、軽く火を通すと溢れ出てくる肉汁の旨味、そして味わい深いあの蟹みそ。
以前来たときは、ただ殺しただけだったが、まさかこんなに美味いとは思わなかった。
なるほど、確かに旧時代の庶民が喜ぶはずだ。
勿体ない。あの時食っておけばよかったな、アグニはそう思いながら、次は地下へと足を運んだ
柱に絡ませたナノチューブワイヤーを伝って、地下通路へと飛び降りる。
すると暗い通路の向こう側から、早速熱い出迎えが来た。
胴体からいくつもの触手を生やした巨大な黒いイソギンチャクと、触覚がアシメントリー(左右非対称)になっている紫のウミウシだ。
どちらも口腔からは、粘っこい灰色の毒液を垂れ流している。
よほどの強酸なのだろう。
床に落ちるたびに白い煙を上げ、タイルの表面を焦がした。
プルプルと胴体を震わせていたイソギンチャクが、獲物を絡め捕らんと、アグニ目掛けてその触手を伸ばした。
「お前さんは食っても美味くはなさそうだな」
両方の掌の間から飛び出したビームサーベルで、イソギンチャクの触手を切断すると、前方へと跳躍する。
そのままイソギンチャクとウミウシをサーベルで縦に切り裂いた。
濃青の体液をまき散らしながら、身悶えるイソギンチャクとウミウシ。
身体が二つに分かれても、まだ生きている。
高い生命力だ。
アグニは液体燃料の入ったカプセルを放り投げると、着火させた。
瞬時にオレンジ色の炎に包まれるイソギンチャクとウミウシ。
通路内に肉の焼ける匂いが広がった。
悪臭だ。
やはり食えない類のクリーチャーだったのだろう。
クリーチャーが息絶えたのを見届けてから、アグニが地下フロアと通路の探索を開始する。
その途中でY字路の右側にハンターのものと思しき持ち物を発見した。
まだ真新しいアサルトショットガンといくつかの医療品の入ったバックパック、死体は見当たらない。
持ち主はすでにクリーチャーの胃袋の中だろう。
壁には銃痕と血が付着していた。
恐らくは、この場所でクリーチャーと抗戦したのだ。
そして血痕の乾き具合から見て、恐らくは二日も経過していないだろう。
アグニは血痕を採取すると、アサルトショットガンとバックパックを拾い上げた。
もしかすると、これが依頼者の兄──イズクの遺品になるかもしれないからだ。
それからいくつかの地下フロアを見て回っていると、固く閉ざされたチタン合金製の扉の前に出た。
**
手持ちの水と食料はまだある。
武器、弾薬も十分だ。
問題は、生き残っているのは自分ひとりだけで、おまけに外には血に飢えたクリーチャーが、徘徊しているということくらいか。
護衛として雇った六人のハンターの内、五人が殺された。
生き残った一人は自分を置いて逃げ出した。
そして今の現状がある。
イズクは剥き出しのコンクリート壁に囲まれた室内を見渡した。
以前は何かの倉庫だったようだ。
もっとも、今はだだっ広いだけのガランとした空間でしかないが。
とにかくここから脱出する方法を考えなければならない。
このままではジリ貧だ。
手持ちの食糧が尽きれば、待っているのは餓死だろう。
(サトミ……)
イズクは心の中で愛しい妹の名前を呟いた。
サトミが自分の帰りを待っているはずだ。
気力を振り絞るように立ち上がると、イズクはアサルトショットガンを手に取った。
その時、ロックしたはずのチタン合金製の扉がゆっくりと動き始めた。
扉に銃口をむけ、イズクが身構える。
「何だ、先客がいたのか」
軽口を叩くような口調の人影。
イズクは一瞬、目を見張った。
燃えるような紅い髪を揺らし、エロティックなビキニアーマーを身に纏った幼女がそこにいたからだ。
サングラス越しにこちらを見やる幼女、驚きのあまりイズクは我を忘れた。
「その顔は……あんた、イズクか。まさか生きていたとはな。こいつは驚きだ」
ヒューっ、と口笛を吹きながら言うアグニ。
「僕の名前を知ってるのか、いったい誰なんだ?」
「あんたの妹に頼まれて、あんたを救助しに来た、ただの助っ人屋だよ」
「……君の他に仲間は何人いるんだい?」
イズクが注意深くアグニを観察しながら訊ねる。
「仲間なんざいないさ。生憎と俺ひとりだ」
「……君ひとりだっていうのか?ほかに護衛はいないのか?」
イズクはにわかに信じられなかった。
幼い少女が、たったひとりでディープワンズ・ビルに救助に来たということが。
「俺一人だけじゃ、何か都合でも悪いのか?それでどうするんだ。そこから出たくないってんなら、俺は別にかまわんが」
「いや、出来ればここからすぐに脱出したいところさ」
「それなら長居は無用だ。いますぐおさらばするとしようじゃないか」
咥えた茶色いリトルシガーに火をつけ、鈍色に光るジッポーライターの蝶番を鳴らすと、アグニはイズクに向かって顎をしゃくった。
それからふたりは、すぐにディープワンズ・ビルからの脱出を図った。
だが、施設内をさまようクリーチャー達は、この二匹の獲物を易々と逃がすつもりはないようだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます