管理人さんは玄人の香り(2)

 大家さんの家はこのアパートの裏側にある、どえらい敷地面積の屋敷だ。そして、この屋敷はただの屋敷ではない。ここらの地域一帯を治めるヤクザさんの本拠地でもあるのだ。屋敷内には『若い衆』とやらが、居候しているそうで、このアパートも元々は『若い衆』とやらのために建てられたものらしい。


 大家さんの話では、大家さんの組織は数年前から他の地域の組織と抗争中らしい。そして、とある事情により『空室』となったこの部屋を、元管理人である『若い衆』がカタギに貸して、小遣い稼ぎを目論んだところ、父が賃貸者に名乗りを上げたという。しかし、すぐに元管理人のその小遣い稼ぎの目論みがバレてしまった。本来、一般人が住んでいいアパートではなく、これまでも、そしてこれからも『若い衆』しか住めないというアパートでもあるのだ。元管理人に組独自のお仕置きをした後、臨時管理人となった大家さんは、僕の入居を断るつもりだった。しかし僕と実際に会ったところ、一目惚れをし、入居を許可したという。


 とまあ、実態はヤクザさまのアジトなるアパートに、一般人の僕がイレギュラーで住んでいるという事もあり、むこうも油断していたのだろう。このアパートは屋敷の『塀』のような役割もしていた。そして、その『塀』の中に住んでいる僕はこの朝、見てはいけないものを目撃してしまった。


 ボンヤリとしながら、気持ちよく太陽にあたっていたところ、下から声が聴こえた。


 大勢の黒服の『若い衆』に見送られながら、屋敷から風格のある老人が出てきた。そして、着物姿の大家さんも出てきて、老人に駆け寄った。


 そして、とんでもないものを手渡した。


「お父様。チャカを忘れておりますわよ」


 モデルガン……と思いたい。老人は、拳銃を頭をかきながら、笑顔で受け取った。


「いやあ。すまんすまん。今日はちょいと向こうの組とドンパチ抗争する事になりそうだから、これがなくちゃあ、話にならねえ。恩に着るぜえ」


「まあ、お父様ったら」


 二人は、あははは、と笑った。


 僕は、こっそりとカーテンの脇に隠れて、観察を続けた。


 続いて、再び屋敷から、どこかで見覚えのある、これまた貫禄のあるガッツリした男が出てきた。そうだ! 思い出した。男はいつぞやの、僕がモンスター娘に痴漢撃退用スプレー「メガシミール」を購入してあげた日、篠田さんが勤めていた喫茶店で、そのスプレーをぶっかけられた客だ! やはりカタギではなかったのか……。


 そして更に屋敷から、他の黒服たちがボコボコに顔を腫らした男を、引きずるように連れてきた。縄が口に食い込んでいる。服には出血した血痕がついており、痛々しい。


「オジキ、お待たせしやした」


「おう。こいつかあ。娘を付け回したあげく、駆け落ち話まで持ちかけた、ふてえストーカー野郎は」


 老人に続いて、大家さんもこの男を睨んだ。


「全くよ。ちょっと優しくしたくらいで本気になるなんて、何を考えていたのかしらね。あなたは、私のちょっとした火遊びの相手。なのに、本気にしちゃってねぇ。自分の組の若頭の妻である私に、しつこく結婚を言い寄るだなんて、馬鹿なまねしちゃって」


「ごらああ、てめえぇぇ、姐さんにちょっかい出して、楽に死ねると思うなよ。ごらあああああ」


 黒服たちは怒鳴りながらも男を引っ張っていき、敷地内に停めていた車のトランクに乗せようと開いた。すると、トランクの中には先客がいたようだ。手を縄で縛られていたが、足のロープがほどけたのだろうか、素っ裸な男がトランクから飛び出し、逃げようとした。しかし、すぐに黒服たちに掴まり、ずるずると引きずられた。


「てめえ、おとなしくしてやがれ」


 ボキバキ。ガチャン。ボカスカ。ボカスカ。


 ………………。


 涙目のその男と僕は、視線が合った……。


 ………………。


 老人は、銃に何かを取りつけながら男に近寄って……発砲したっ!

 発砲音は、そんなにしなかったので、おそらく映画などで見かけるサイレンサーというものを取り付けているのだろう。


 ま、まさか、殺したのだろうか?

 しかし男は死んでいなかった。尿を洩らしながらも、まだ生きている様子だ。銃弾は彼のこめかみのすぐ横の地面に着弾したらしい。煙がふわああと出ていた。


 大家さんと火遊びしたという男も、それを見て失禁していた。


 ………………。


 ひぃぃぃぃいぃいいいいい。なんだこれは。なんだこの治外法権は! どこのヤクザ映画だあああああ!

 2人が、同じトランクに詰め込まれている様子を見ていると、ふと大家さんが僕の部屋をじっと見つめている事に気付いた。カーテンの隙間から片目だけを覗かせている状態のため、僕の顔は見えないとは思うが……どうなのだろうか。一応、念の為に、僕は完全に身を隠した。


 外からは、引き続き、声が聴こえた。老人が叫んだようだ。


「誰だああ? さっきの野郎はっ」


「あいつは、ヒットマンっす。先日、オジキの命をライフルで狙っていたところ、事前にポイントを予測していた組員がラチったっすよ」


「なーんだ。だったら、殺しちゃってもよかったのかよ。ミネ撃ちしちゃったじゃねーか。歯には歯を、ライフルにはチャカドキューンを。ばーい、ハンムラビ法典」


「駄目っす。オジキ。こんなところでチャカ使っちゃ、まずいっすよ。殺しちゃまずいっす。血がどばああーって、掃除が大変っす。それに目撃者がいたら、なおまずいっす」


「心配いらねえよ。目撃者がいたなら、拉致って殺しゃちまえば、仕舞いだ。がっはっは」


 車のトランク……かはどうかは分からないが、何かが開く音がした。そして何かの落下音……。がっはっは、と再び笑い声もした。


 な、なんだこれは。


 安っぽいヤクザ映画にありがちな掛け合いと展開だが、リアルでも、このような会話が交わされているというのか? 敷地内で、銃を発砲してもリスクはないのかだろうか? 色々と疑問が浮かぶが、一般人の僕には分からない。


 もしかして、僕はまだ夢でも見ているのかもしれない。本当の僕はまだ就眠中なのだ。しかし、頬を引っ張ると、痛かった。僕は再び、窓の隙間から片目を覗かせた。同時に『パン! パン!』と、か細い銃声がした! やはり先程の音は、再びトランクが開かれる音だったのだ。そして、とんでもない現場を目撃してしまった。ジーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーザス! なんてことだ……。僕はふと、大家さんが、まだじっと、こちらを見つめていた事にも気づいた。その目は、猛禽類が獲物を狙っている時の、そんな目を連想させた。覗いてた事が、バレたかバレてないか、微妙なところではあるが、僕は急いで再び身を隠した。背筋から汗がどっとふき出した。


 まるで別世界に彷徨い込んだような感じだ。ブルルルルンと車が遠くに行く音がしたので、もう一度窓の外を見ると、誰もいなくなっていた。


 妙にムズムズする気分だ。深呼吸をし、何も見なかった事にして、いつものように学校に行こうとバッグを手にした瞬間、ピンポーンと、チャイムが鳴った。


 僕は、しばらく逡巡した後、押し入れの中に隠れることにした。


 まもなく、ガチャリ、とドアが開く音が聞こえた。


「あらあら? いないのかしら? 桜田くーん。おーい、いるの?」


 大家さんの声だ。足音より、部屋の中に入ってきたようだ。


 僕は押し入れの中で息を潜め、隙間から大家さんの姿を確認した。一体、何の用事だろう。まさか、先程の一連の光景を僕が見ていた事について、何かしらの用件があって、やってきたのだろうか。


「おかしいわね。確かに彼の視線を感じたのに。窓も開けっ放しだし」


 ガラガラガラ、と窓を閉めた。


 はっきりと僕の姿を見られたわけではないらしい。しかし、視線を感じたって、どれだけ第六感が強い人なのだ!


「もしかして、どこかに隠れているのかなあ。えいっ!」


 大家さんは、台所のシンク下の戸を開けた。そして……エ、エロ本を見つけられたっ!

 はぁはぁ……。


「いないわね。学校に行ったのかしら」


 その時、玄関に別の足音がやってきて、止まった。


「姐さん。ここにいやしたか」


「あら、おまえかい。どうしたんだい?」


 押入れの隙間からは、玄関側が見えないため、声しか聞こえない。しかし、どうやら『若い衆』の一人らしい。


「姐さん、若頭が姐さんの事を、また疑っているみたいですぜ。今度の相手は、高校生じゃないそうですか」


「私がどうしようが、私の勝手だろう? それともおまえ、私に意見したいとでもいうつもりかい?」


 ヤバイ。大家さんが押し入れに近づいてきた。


 僕は音を立てないように移動した。そして、ガラガラと、押し入れの襖が開いた。


 ………………。

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