管理人さんは玄人の香り(1)
僕は現在、モテキを経験している。一般的に人生のうち3度は訪れるといわれている特別な期間のことだ。
モテキになると、これまで全く異性と縁がなかった人でも、様々なタイプの女性から言い寄られる事がある。
漫画やアニメ、ラノベなどで、主人公がたくさんの女の子たちから好意を寄せられるという、あのハーレムものシチュエーションに似ている場合もあるかもしれない。創作物の場合、読者はそうした主人公にシンクロする事で、そのモテモテな状況を疑似体験して、楽しむ事が出来る。実は僕も、かつて同じくそれを楽しんでいた消費者の一人だった。
ハーレムが嫌いな人が、この世に存在するのだろうか? いや、存在しないだろう。異性にチヤホヤされて、嫌だと思う人はまずいない。それは人だけではなく、生物界全ての動物にもいえるはずだ。ダーウィンの法則により、後世に種を残したいう欲求のない生物は、駆逐されたのだ。つまりは、現存する動物は遺伝子異常がないという前提で、異性に対しての多大な関心を持っているといえる。
僕は『平均的』こそが自分のシンボルだと思っている。容姿も性格も全てに至って平均的だ。秘めている潜在能力すら、きっと平均的だろう。
そんな僕は、3人の美少女(うち1人、妹含む)と、ゴリラ顔のカリスマ、ガチムキ美男子の計5人から、熱烈なアピールを受けている。
かつてハーレムものの創作物で楽しんでいた僕ではあったが、リアル世界での僕のハーレムが拡大している事についての危機を抱いている。そして今、彼女(&彼)らのアピールを意識的・積極的に拒絶し、ハーレムの解消に努めている。しかし、僕にどうしてこんなにも執着しているのかは謎であるが、その拒絶はことごとく無視されてもいる。
ハーレム・ヘル。モテキな僕にマイナスな影響を与えてやまないハーレムメンバーが、またもや一人、新規で加わろうとしていた。
アパートでの一人暮らしを始めて、2か月が経過した。部屋に新しく備えた卓袱台に向かって、宿題をしていた時、ピンポーンとチャイムが鳴った。同時に、僕は身をすくませた。実はチャイムの押し方で、来訪者が誰なのか見当がつくのだ。
ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン――とチャイムは鳴り続く。僕は物音を立たせないよう息も潜め、じっとドアを凝視した。
しばらくして、チャイムが鳴り止むとガチャガチャと音がし、施錠が開いた。鍵を使って、普通に開けられたのだ。
ドアノブがまわり、ゆっくりとドアが開いた。顔を覗かせたのは、このアパートの管理人さんである。実は、大家さんでもある事が、最近になって判明した。やたらと美形なこの大家さんは完熟した大人の女性特有の色気がムンムンといった容貌だ。個人的にはゴリラ娘よりも断然、男を虜にするフェロモンを撒き散らかしている、と思っている。
大家さんは、エプロン姿でニコニコしながら、通路に置いていた鍋を持ち上げて、僕の部屋に入ってきた。
「ひぃぃぃぃぃぃぃ」
「ごめんくださーい。入ってもいいかしらー」
「ちょ、ちょっと。なに勝手に開けて入ってきてるんですか、大家さん! 入ってもいいかしらー、って入った後に言う台詞じゃありませんよー」
「あら。だって、窓から明かりが洩れてたんだもの。うふふ。それに私、大家ですもの」
「話がかみ合ってません! そもそも親しき者にも礼儀ありじゃないですか。職権乱用だー」
「ねえねえ、桜田くーん。そんなことよりね、何で、居留守を使っていたのかしら? 職権乱用とか言う前に、これは礼儀の問題よ。謝りなさい」
「ごめんなさい……。って、何で僕が謝らなくちゃいけないんだああー」
大家さんは、うふふ、と笑いながら腰を下ろし、鍋を机の上に置いた。
「大家さん、なんで最近はちょくちょく来るのです? いえ、ちょくちょくではなく……毎日」
「今日はね、鍋を作り過ぎちゃったのよ。その、おすそ分けのためよ」
「大家さんの場合、毎日作り過ぎちゃってるじゃないですか。僕には意図を感じます。本当に……」
僕がそこまで言ったところ、ピシッと、部屋の空気が張り詰めた。僕は咄嗟に口を閉ざす。そして、おそるおそる、大家さんを見た。
「ああんっ? 何か文句あんのかっ? この、クソブタがっ」
大家さんは、般若の様な顔で、カタギには到底出来ないような、するどい視線を飛ばしてきた。実際、この人はカタギの人ではないのだ。つまり、あちらの世界のお人なのだ。
僕はガタガタガと身を振るわせながら、ペコリと頭を下げた。
「ご、ごめんなさい……」
大家さんは般若のような顔から一転し、ニコニコ顔に戻ると、鍋のふたを取った。
………………。
「じゃーん、牡蠣鍋よ。美味しい牡蠣が手に入ったから、何にしようかと悩んだけれど、やっぱり鍋がいいんじゃないのかなーって思ってね。さーて、お椀、お椀っと!」
「あのー。僕は今、勉強中でして……」
「ん? なんだテメー。腹減ってんだろ? 私の作った鍋、クエネーってことか?」
ああん? っと戸棚からお椀を出しながら、大家さんは再び般若なお顔になって、僕を睨んできた。元レディースの総長でもあるらしく、めっちゃくっちゃ怖い。『負』のオーラというより恐『怖』のオーラが部屋中に迸った。まるで僕は、蛇に睨まれたカエルのような心境だ。
「い、いえ……そんな事はありません。お鍋を、頂戴、いたしますっ!」
「それは良かったわ。うふふ。きっと、喜んでもらえると思うのよ」
コロリと再び180度、表情を変えながら、お椀と箸を持ってきた。お玉もだ。
「ねえ、桜田くーん、何が食べたい? 好きなのをよそってあげる」
「じゃあ、ニンジンを……ください」
「だーめ。牡蠣鍋なのにニンジンって、ギャグかしら?」
「だったら、牡蠣ください」
「うん。そういうと思ってた。身がポコポコしているこの牡蠣をよそってあげるね。あと、リクエストした、このほくほくのニンジンもよそってあげる。まだ熱いから、冷ましてあげるわ」
「………………ぅわーい」
大家さんは、牡蠣とニンジンを箸で同時に摘まむと、フーフーと息を吹きかける。
その唇が、とても艶かしい。
「私が食べさせてあげる。はい、アーンして」
「………………あーん」
僕が口を開くと、大家さんは、僕の口付近まで具を箸で運んできた。それを食べようとしたところ、フェントとばかりに大家さん自身の口に放り入れて、パクパクした。
僕は、ムカっとした。
「なんですかー。結局、意地悪して自分で食べるつもりだったんじゃ………………んんんん」
一瞬にして、猛烈に心臓が高鳴った。
大家さんは、パクパクしながらも箸とお椀を机に置き、僕の顔を両手で掴んで、キスしてきたのだ。
ブッチュ。チュチュチュウウウウ、と。
いや、実際にはキスではなく、大家さんの口の中の物を、僕の口の中に挿入するという行為。つまりは口移し、である。
僕は、それらの挿入物をゴックンした。
ぎゃああああああああああ。
顔を真っ赤にしながら、抗議した。
「な、なななな、何をするんですかー!」
「噛むのが面倒だと思ってね。うふふ」
「ほくほくのニンジンも、ポコポコの牡蠣も、食べるのに苦労しません。噛むのに苦労しません。なんて変態的な行為を……」
「むむむ。失礼だなあ。私はね、昭和の時代のとあるラーメン屋奮闘記的な映画を見て、一度、真似をしたいと思っていたのよ」
「僕、その映画を知ってます。日本を代表する有名な映画で、夜の9時からテレビで頻繁に流れていましたからね。ただ、それはあれですよね。海女さんが牡蠣を、見知らぬ男性に口移しで食べさせるの!」
「うん。それよ、それ! やってみたかったの。ようやく夢が叶ったわ」
「映画のあれは、牡蠣を咀嚼してませんでしたからっ! あれはエロス。僕らの場合はグロス。うう、どんな見た目な状態で、口移しされたのか、想像しただけでグロテスクです」
「なによー。いいじゃない。お腹に入ってしまえば一緒よ!」
「その言葉の使い方、なんだか違う気がします。それにさっきの、僕のファーストキスだったのに……う、ううう。泣きそうです……」
「何よー、そんなに落胆しないでよ。桜田くーん、これはキスじゃないわ。単なる口移しよ。ね? ね?」
「ね? って言われても……ディープキスよりも、もっとディープでしたよ。身も心も、げっそりとしてしまいました」
「そんな事を言われたら、何だかガッカリよ。私って、そんなに魅力ないかしら? 喜んでくれると思ったのにな」
「魅力は……」
目の前の大家さんはボンキュッポンの学校では決してお目にかかれない、ナイスバディーをしていた。なんといっても、バストが『Kカップ』もあるそうなのだ。『Kカップ』の女性なんて、大家さん以外とはきっと、すれ違った事すらないだろう。
僕は胸元に視線が釘付けになっていた事に気づくと、すぐにそらした。
「……あります。大家さんは、美人ですし、トップクラスの女優さんと言われても、誰もが納得してしまうでしょうね。女性としては、一流中の一流ですよ……。ただ……」
「嬉しいわ。だったら、私達、交際しましょうよ」
「え? え?」
「ここに入居して来た日から、ずっと可愛い子だなって思っていたのよ。その普通顔がたまらないっ! 運命的な何かを感じたとも、いうのかしら。こんな気持ちになるの、これまでで一度もなかったの。もし私と交際してくれたら、この豊満な肉体を桜田くんの自由にしていいわよ。好きなプレイ、何でもし放題よ。駄目かしら?」
「何ですかプレイって! 駄目もなにも、駄目に決まってるじゃないですか! 僕は世間から後ろ指をさされたくはありませんし、死にたくもありません!」
「えーえー。本気で言ってるの? 快諾してくれるかと思ってたのにな。人生楽しまなくちゃ損よ?」
目の前の、この大家さんは実は既婚者である。幼稚園に通っている幼い子供がいるのだ。交際するという事は、すなわち不倫関係になるという事。そして、彼女の夫は天下のヤクザ様なのだ。しかも若頭という、かなり偉い役職についている。バレたら指が全てチョッキンされるどころではないかもしれない。だからこそ、僕は彼女に部屋に来てもらいたくはないし、関わり合いも持ちたくないのだが、なぜか気に入られてしまったようで、毎日のように何かと理由をつけて通ってくる。
数日後の朝。目を覚ますと、布団を片づけた後、カーテンと窓を開けて、朝陽を浴びた。朝陽を浴びる事で、体から肉体を覚醒させる体内物質が分泌されると聞き、日課にしている。
しかし、この日ばかりは、この日課に対し、後悔の念しか覚えなかった。
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