禁断の果実は要りません!(4)

 ある雨の日、アルバイト情報雑誌をコンビニで購入した。アパートに帰宅した頃には、雨はどしゃ降りになっていた。コンビニで漫画の立ち読みをし、長居したため、周囲はもう暗い。アパートの階段をのぼり、部屋の玄関まで来た時、誰かが座っているのを見つけた。


 妹だ。


 僕は駆け寄り、すぐに部屋の鍵を開けて、中に妹を入れた。妹は部屋の中を興味深そうに見回した。


「わあ。こないだよりも生活してる感が上ってるね。さすがお兄ちゃん。さすおに! さすおに!」


「なんだよ、その『さすおに』って。僕は聞いた事もないフレーズだぞ」


「『さすがお兄ちゃま』、の略だよ」


「………………あっそ」


 僕はコンビニで購入した商品を袋ごと床に置いた。部屋に、机はまだない。


 妹は、袋の中を覗いて、顔をあげた。


「お兄ちゃん、バイトするの? バイト情報雑誌があった……」


「お前のせいでな。お前のせいで、僕は一介の高校生はなかなか経験できない、非常に『底辺』な生活を送る事になったじゃないか。『平均的』だけが僕のシンボルだったのに、なんてことだー」


 妹は申し訳なさそうに、僕の手を握って、見つめてきた。


「仕方がないよ。これも愛の試練なんだよ。本来はくっつくはずのない二人がくっつくには、愛の試練を乗り越える必要があるの」


「はあ? お前……」


 頭、大丈夫か? 真剣に、大丈夫なのか?

 僕の内心を知ってか知らずか、妹は潤んだ目で、かぶりを振った。


「お兄ちゃん、言いたい事はたくさんあると思うの。でもね、こう考えたらどうかな。ここが出発地点だって」


「出発地点もなにも、お前がここにきちゃ、このアパートからも追い出されちゃうんだ。在学中はアパートの家賃も親父持ちだからさ」


「大丈夫。そしたら私が体を張って仕事をするから。汚い仕事だって、ペケペケな仕事もなんだって! お兄ちゃんは何の心配もいらない! 私には確固たる覚悟があるんだからっ!」


「お前にあっても、僕にはないっ! そして僕は、中学生なお前が、そんな仕事をする事を許可しないっ」


「えへへへ。お兄ちゃんの愛を感じちゃった。るんるんるん。さーて」


 妹は担いでいたリュックをおろしてジッパーを開け、中から『枕』を取り出した。


「お、おい……」


「私ね、枕が代わると眠られなくなっちゃうんだー。だから、これは必需品なんだぞぉぉぉ」


「必需品なんだぞぉぉぉ、って言われても……。って、おいおいおーい、一体、なんてものも持って来てるんだよ!」


 僕は、枕の次に妹が顔を赤らめながら取り出した物を見て、驚愕した。


 それはとある『ゴム製品』だった。


「えへへ。これ、薬局で買うの、すっごく恥ずかしかったんだよ。でも、私達には、必要ないかなあ? 驚愕の0・001ミリって書いてあるけど、それって……スゴいの? 知ってるかな、お兄ちゃん?」


「知るかーーーー。アホおおお! 僕とお前の間では、確かに必要にならない。永遠に必要にならないし、お前の考えているような展開には決してならないぞー。僕にそれを渡すんだ」


「きゃんっっっ」


 僕が妹の手からゴム製品の箱を奪うのと、ガチャっと玄関のドアが開くのは同時だった。部屋が一つしかないので、玄関と部屋はくっついている。


 開いたドアの隙間から、父が顔を出し、妹と僕を見つめた後、視線を枕に移動させてから、僕の手に持っている『ゴム製品』に移動させた。その直後、父はこれまでに見せたこともない程に大きく目を開いた。なお、僕の足元にコンビニの袋が転がっていた事も大事なポイントである。僕は父の脳内に流れている内容を、いち早く察し、口を開いた。


「お、親父。ご……誤解だから……」


「ほう……言いたい事は、それだけか?」


 父はドアから半身を入れ、そして完全に体を入れた。その手には、いつもは客間に飾ってある、見慣れた日本刀が握られていた。


 ガラガラガラドーン、と大きな雷鳴が轟いた。ザーーーと、雨の勢いも強まる。この時の落雷が原因なのかどうかは分からないが、パチン、と停電となった。非常用電灯が、部屋をうっすらと照らす。


 しばらくして、父から声をかけてきた。


「娘をたぶらかす変態は、うちの息子ではない……。いや、息子の不貞は、それを育てた大人の責任だぁぁああぁぁ。お前を斬って、私も死のうぞぉぉぉぉっ!」


「ま、待ってくれ親父ーーーー」


 再び雷鳴が轟いた。稲光が窓から射し込み、抜刀した刃先の煌めきが、人を殺傷できる本物である事を、僕に瞬時に気付かせた。そもそも、幼い頃から、父にこれは本物で危ないから、決して触れちゃ駄目だよ、と言われ続けてきた刀なのだ。


 ドタドタドタと、狭い8畳の部屋を、父は刀を振り上げて、僕との距離を一気に縮めてきた。


 しかし、父の抜刀した刀が僕を襲う事はなかった。


 僕は目をつぶり、身を守るように腕を交差しながら身を丸めていたので、何が起きたのかは見てなかったが、どうやら、妹が正拳突きを父の顎にかすらせたようだ。父は泡を吹いて、気絶していた。妹の話によると、顎をかするように正拳で突けば、脳をグラングランと揺らすことができ、相手を気絶させることが容易いのだという。まあ、僕には確実に出来ない芸当だ。まさに異次元の所業。


 忘れがちだが、妹は実兄の僕が平均的であるにも関わらず、かなりの高スペックを携えている。そういえば妹は小学校の頃、空手を習っていた事も思い出した。


 窓の外を見ると、雨は止みはじめていた。


 現在、僕は父をおぶりながら、家に向かっている。停電も回復したようで、家々から明かりが洩れていた。そして、雲の間から、綺麗な月も見え出した。


 僕の隣を歩いている妹が、話しかけてきた。


「あのまま部屋でパパを寝かせておけばよかったのに」


「いいや。目を覚ました時、お前がアパートにいたら、また勘違いして激昂するかもしれないだろ。かといって、お前を一人で帰宅させるわけにもいかないからね」


 僕よりも明らかに戦闘力は高いのだが、一応、見た目はか弱い女子中学生である。一人で夜道を帰らせるのは、兄として心配だ。


「パパ、重たくない?」


「そりゃ重たいさ! 親父は、親父の年齢における一般男性の平均身長・体重と同じなんだもん。といっても、僕も自分の年齢における一般平均の筋肉量はある。だから、担げない重さじゃないさ」


「お兄ちゃん、ごめんね。本当にごめん。私のせいだよね。おうちに帰ったら、絶対に誤解を解くからね。絶対に説得してみせる」


「………………本当に?」


「うん。パパ、完全に誤解しているみたいなんだもん」


「本当にその通りだ! 頼むぞ! そして、僕を家に戻すように、納得させてくれっ」


 僕と妹の間には、性的な関係は何もない。こないだの朝の件も、僕が乱暴したわけでない事、『ゴム製品』も僕が購入したものではなく、父の勘違いだったと、全ての誤解を解いて、納得させてもらいたい。


「任せて! 私は、これが『真実の愛』だと、納得させてみせるからね。絶対に」


「うん! 頼むぞ。期待している。僕はお前を信じているから……って、へっ?」


「真実の愛だと、説得するの。納得させるから。もしも納得できないのなら二人で、樹海にいって一緒に死んで、あの世で結ばれるって、そうちゃんとパパとママに説明するから。お兄ちゃんは、何の心配も要らない!」


「こらああ。待てえええ。心配だらけだろ。なぜ僕が樹海で死ぬ事になってるんだー」


「ああ。なるほど、そこ心配なのね。別にいいよ、あの世じゃなくて! 来世でもいいよ。結ばれるのは!」


「『さすおに』の、話を聞けえええええ」


 僕は父の体の重みを背中で感じながら、家に戻った。到着した頃にはヘトヘトになっていた。アパートと実家は、駅二つ分そこそこの距離がある。父を布団に寝かせると、自室に戻り、必要なものをバッグに詰め込んで、アパートへ戻った。


 アパートに到着する直前、再び雨が降ってきたので、タイミングが良かった。


 翌日。僕は登校しようとアパートを出た時、ちょうど、妹が会いにきたようだ。なぜか大きなリュックサックを担いでいた。目の下にはクマがある。どうしたのだろう。


「お兄ちゃん。おはよー。あのね、頑張ってパパを説得したのに、全然分かってくれなかったよ。だからね、一緒に樹海に行こ?」


 まるで、一緒にコンビニに行こ、的なノリで、そんな重たい事を言ってくるこの妹を見つめながら、僕は大きくため息を漏らした。そして僕は、はっきりと言った。


「あのな、僕はお前の事を大好きだ。愛している。でもな、それは妹としてなんだ。こないだも言ったけど、僕はお前を女性としては好きになれない」


「あの世……でも?」


「あの世でも、来世でも。その次の来世でも、だ。僕はお前を妹以外には見る事はできない」


 一時の、沈黙。


 そよ風が、流れた。


 そして――。


「えっ。えっ。えぐうううう。うわああんうわああん」


 妹は激しく泣き始めた。優しく頭を撫でて、落ち着かせてやりたい衝動に駆られるも、僕は心を鬼にして、じっと睨み続けた。


「わ、私のこと、遊びだったのねえ。うええん。うわぁああああああん」


「へ? 遊び? え? え?」


 妹の泣き声は大きく、気付けば、通行人や近所の人たちの視線を浴びていた。わざわざ、窓を開けてまで何事かと見てくる、やじ馬なご近所さんもいる。


「うわぁあああん。うぴぴぃぃいいいいい。うえぇええええん。うぴぴぃぃぃぃぃぃぃぃぃ。うぴぴぃぃぃぃぃぃぃぃぃ」


 妹は、泣き続けた。


 僕は、体中から冷たい汗が流れるのを感じた。きっとすぐに近所で、変な噂が流れるに違いない。


 僕は果たしてこのアパートでこの先、平穏に暮らしていけるのだろうか。


 泣きじゃくる妹を見つめながら、僕まで泣きたい気分になった。将来の不安……。気付けば、知らないうちに泣いていた。泣いたその原点には、どちらも『自分可愛さ』というものがあるのだろう。やっぱり、僕たちは兄と妹だ。似ているところだって、あるんだ。

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