禁断の果実は要りません!(3)

『あははは。なるほどねー』


「気味悪いだろ?」


『気味悪いというか、可愛いねえ。思春期の妹がお兄ちゃんを好きになるは、よくある事さ。ほら、『ブラコン』って言葉があるでしょ? 『ブラコン』だけに『ブラ婚』してやれよー。あはははあはははは』


「そんな用語は、存在しない。そして僕は決して『ブラ婚』なんてしない」


『妹萌え、って用語ならあるじゃない。ダーリンにはないの? 妹萌え?』


「確かに二次元の世界には、そういう用語は存在するね。でも、リアルだと、それはないよ。血統が近い異性には、愛情と同時に本能的な嫌悪感を抱く生物界のシステムがあって、例に洩れずに僕の中にもあるんだよ。君だってさ、実の父から『性の対象』として見られたらどう思う? 嫌悪感を抱かないかい?」


『なーるほどね。一理あるね!』


「だろう?」


『ねえねえ、実は妹は、子供の頃に父か母のどちらかの連れ子だったり、とか?』


「そんな設定はない」


『実は、血が繋がっていなかったとか?』


「そんな複雑な設定もなーいっ! 正真正銘、血の繋がった実の妹だよ」


『でもねダーリン、妹に好きって言われて、特に怒ったりは、しなかったんでしょ?』


「そんなことしたら、妹はショックで落ち込むだろうからね。妹は、ガラスのように脆いハートなんだよ。図太い君と違って、純真なんだ」


『あははは。私もガラスなハートだよー。話を聞いたところダーリンも、かなりのシスコンだと思うなあ。でもまあ、いずれ、妹さんにも好きな男が出来るさ。そしたらお兄ちゃんへの興味も失せるって。男はマザコン。女はファザコン。兄姉も含めて大なり小なり、身近な異性に憧れの心を持つのは、人間としての普通の心理でもあるから、心配はいらないと思うなー』


「好きな男が出来れば、解決するの?」


『ふぁあああ。もう眠くなってきちゃった。なんだか思っていたより、つまらない悩みだったなぁ。私の損失した時間、今度、プレゼントでもして補てんしてよー。私も暇じゃないんだから。あははは。じゃーねー』


「え? え? 寝るの? あと、悩み事を話すようにって、そっちから脅迫して……あっ、切られたっ!」


 僕の耳にはプープーという機械音だけが聴こえた。


 それにしても、ブラコン、つまり妹が兄に恋心を抱くケースがよくあるという情報は朗報だった。きっと今回の妹の一連の不可解な行動も反抗期と同じ、そんな成長過程の一つに過ぎないのだろう。将来、妹に好きな男が出来た時、僕への恋心なんてきれいさっぱりと消えるのだ。きっと僕は、その男にジェラシーを感じるかもしれない。でも、それが自然な事なのだ。


 僕は、妹について、深く悩むのを止めた。もっと悠然と、大地のように、どーんとした態度で受け入れてやろう、と思う事にした。


 少なくともこの時は――。この後、事態は予期せぬ方向へと動き出した。


 翌朝、目を覚ますと、隣に妹が寝ていた。全裸で。


 最初、寝起きという事もあり、意識が朦朧としていたが、急速に覚醒した。


「え……え?」


「うわああい。お兄ちゃん、やっと起きたんだね。ずっとお兄ちゃんが起きるの、寝顔を見ながら待っていたんだよ」


「え……え? お前の、言っている意味が……」


 僕が妹に言いたい事を言い終える前に、ガバっと妹は、僕の上に乗ってきた。


「な……ななな、なんでお前、素っ裸なんだよ」


 ただし、やはりというか、妹の裸を見ても、僕は何も感じなかった。


 ただただ、全くもって意味不明なこの展開に圧倒されている。


「ねえねえ、興奮した? 興奮したでしょ? だって、ずっとおっきしてるんだもん」


「それは、生理現象だー。お前が原因じゃねえええ。興奮なんてしてないぞ、アホ! 僕は、妹の体を見て欲情する変態でも鬼畜でもないんだからな。自分の体を鏡で見て、興奮する人はいるのか? それと同じ事だからねっ」


「じゃあ……お、お兄ちゃんの体を見て、よ、よよよ、欲情しちゃう、私は……変態なの? 鬼畜なの?」


「うーん。端的にいえば、そうなるね」


 とはいえ、いつかは正常に戻るのだろうが……。


「うっうっう……わあああああんうわああん」


 妹は、急に顔をくしゃくしゃにしながら泣き出した。


「お、おい……泣くなよ……」


 その時だ。僕の部屋のドアがドンドンと叩かれた。そして……。


「は、吐きそう。変態……鬼畜だと言われた事がショックで……吐いちゃい、そう……」


「え? え?」


 僕は、妹とドンドンと叩かれているドアを交互に見た。


 ガチャ、とドアが開いて父が入室するのと、妹が僕の胸元にゲロを吐くのは同時だった。


 ………………。


 現在、僕は父と一緒にとあるアパートの一室にいる。部屋に家具などの類いは何一つない。そして、やたらと美形なこのアパートの管理人なる女性に、一緒に頭を下げたところだ。


「これから息子がお世話になります。どうかなにとぞ、よろしくお願いします」


「……おねがいします」


 目の前の管理人さんも、ニコリと笑って、お辞儀した。


「こちらこそ宜しくお願いします。ゴミの日などは、先程ご説明した通りです。何か分からない事があれば、その都度、ご連絡下さい」


 そう言って、管理人さんはドアを閉め、パタパタと去っていった。


「………………」


 しばらくの沈黙の後、父は僕を睨んで、こう言った。


「おまえ、二度と家には戻ってくるなよ。ゲス息子め。高校だけは、これまでと同じく通わせてやるが、それっきりだ。これにて、勘当だあああ!」


 父は、最後にもうひと睨みして、玄関のドアを力一杯閉め、出て行った。


「………………」


 僕は、勘当されてしまった。父は優秀な娘を溺愛しており、兄である僕が妹を泣かせ、裸にして、乱暴しようとしていたと思い込んでいるようなのだ。まさに『激オコぷんぷん丸』状態であり、どんな言い訳をしようにも、聞く耳を持ってくれなかった。


 その日のうちに、父は僕を家から追い出すことを決断し、一人暮らしをさせるためのアパートを探し出した。そして現在に至る。


 まさに半日とかからない時間によってなされた、劇的な状況変化だ。


 確かに一人暮らしには憧れを持っていた。しかし、こんなに唐突にその日がやって来るとは思ってもおらず、まだ一人暮らしを始めたという実感がわかなかった。勘当されたという実感も、わかなかった。


 しばらく呆然と立っていたら、再び勢いよく玄関のドアが開き、妹が入ってきた。目からは、ポロポロと涙をこぼしている。


「お兄ちゃあああーーーーん」


 僕に、ぎゅっと抱きついてきた。


「お家に帰ってきてよーー。やだよーやだやだ」


「お……おい……」


 すぐにバタバタと父も入ってきた。


「こら、お前は来ちゃいかん。ここには二度と来ちゃいかん」


「やだやだやだああー」


「駄目といったら駄目だ。我がままをいうなら、パパは、こいつをこのアパートからも追い出さなくちゃいけなくなる。それはさせたくはないだろう? パパだってしたくはない」


「い、いやだ……そんなのいや」


 力の抜けた妹の腕を掴んで、父は妹を連れていった。


「先程も言ったが、今後の卒業するまでの学費と今月分の生活費に関してはこちらが負担するが、それ以降の食費等はバイトして自分でまかないなさい。お前とこの子はもう、近くにいさせる事はできん。わかるな? 兄と妹、だからな?」


「う……うん」


「よい人生を送れよ。母さんについては、出張から帰ってきた時にこっちから説明しておくから心配するな」


「うん……」


「お、おにいちゃあああん。おにいちゃああああああん」


 ぐずる妹の手をひっぱり、父は玄関を出て行った。


 一人ぼっちになると、涙と共に、内心が口から自然と洩れる。


「あ……あれ? 家族の絆って、こんなに脆いものなの? あれれ? あれれ? なんてこったあああああああああああああ」


 勘当されてしまったことについて、徐々に実感し始めてきた。


 どうも腑に落ちない。一体、僕が何をしたっ!

 皆が学業だけして、のほほんと遊んでいる時に、僕は食べる為に、働かなくてはいけないくなった。母を通せば、大学進学への道も何とかなるだろうし、家に戻る事も出来なくはないだろうが、可能性としては半々かもしれない。妹の僕への恋心がある限りは……。


「うがあああああ。なんてこった。なんてこった。なんてこったあああ」


 僕は畳に寝そべり、ゴロンゴロンと頭を抱えて、もがいた。


 その時の振動でか、何匹ものゴキブリがカサカサカサと、わき出てきた。


「ひぃぃぃぃぃいいいいいい」


 僕は自分の行く末について、不安と悲観で一杯になった。


 そして、どんよりと落胆したまま、数日間、このアパートを居城として生活を送った。

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