禁断の果実は要りません!(2)
僕は急いで股を閉じて、自分の大事な部分を隠した。
「うわ、うわああ。な、なに? なんでいるの、お前。信じられねえ。びびるわー」
「私ね、お兄ちゃんのお背中を流しにきたのー」
「だから、なんでだよー」
「だって、背中は手では洗い難いでしょ? それが理由なのです」
「理由になってねえよ。そもそも、もう背中も体も洗い終わったんだよ。お前の役目はない」
「だったら、もう一度洗えばいいじゃん」
妹は、スポンジに手を伸ばすと、それを石鹸で泡立てて、ごしごしと僕の背中をこすってきた。僕はなすがままになる。
「………………」
「なんだか懐かしいねっ。昔は私たち、毎日一緒にお風呂に入っていたのにね」
「それは、まだ幼かった頃の話だろう」
「その頃、お兄ちゃん……私のことをお嫁さんにしてくれるって言ってたの、覚えてる?」
「うーん。かすかに覚えているような、覚えていないような………………」
そういえば、僕は幼い頃、誰にでも将来結婚しようと手当たり次第に言っていたような気がする。
「私は覚えているよ。鮮明にね」
「そうなんだ………………」
その日、僕は妹に、背中を20分以上ごしごしとこすられ、赤くなってヒリヒリした。止めなかったら、妹はずっとこすり続けそうな勢いだった。
風呂から出た後、篠田さんに拉致られた際の疲れもあったのだろう。得体の知れない薬で眠らされた後だったが、僕はすぐに眠りの世界へと誘われた。きっと、ハンカチで嗅がされたのは、眠り薬でなく、失神させる薬だったに違いない。失神と睡眠は厳密には違うと聞いた事があるので別途、体が睡眠を要求していたのだろう。
意識が薄まり、まもなく消えようとした時、何らかの異変に気が付いた。重い瞼をあげて、その異変を確認したところ、僕の布団にパジャマ姿の妹がゴソゴソと侵入してきていた。
………………。
「おいっ」
「あれ? お兄ちゃん、起きてたの? 寝てたと思ったのに」
「夢の世界に行く寸前で、連れ戻されたんだよ。お前にな。僕の布団から、出て行ってくれ」
「なんで? お兄ちゃん、私の事を好きって言ってくれたじゃない。銀河系で一番好きって」
「確かに僕はお前の事が好きだぞ。誰よりも好きだ。一番大事だとも思っている。でもな、それは妹としてだ。女としては、気持ち悪い」
「妹として……だけ? 女としては気持ち、悪いの?」
月明かりに照らされた妹の顔が、悲しみで歪んだ。
「同族嫌悪っていうのかな、ごめんな。お前のこと、お前が僕に見てほしいと期待しているような……そんな風には見れないよ」
妹の顔が、更に悲しみの色で染まる。じんわり目の端に、涙がにじんでいた。
「やだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだ。だって、好きなんでしょ? 妹としてでもいいから、私の事、好きなんでしょ?」
「……まあ、そりゃそうだけど」
「また、背中を流しに行ってもいい?」
「うん……いいよ」
そう許可すると、悲しみに暮れていた妹の顔が、コインの裏表を返したかのように、明るくなった。
………………。
「わーい。だったら……今からお布団の中に忍び込んでも、いい?」
「それはダメッ! 頼むから、もう、寝かせてっ!」
「えーー。いいじゃんー、いいじゃんー。ケチンボ」
僕は上布団を引っ張ると、それにイモムシのように包まって、目を閉じた。妹はしばらく僕の部屋に留まった後、自室に戻っていった。
僕は非常に残念な気分になった。どうやら妹は僕に恋したらしい。兄ではなく一人の男としてだ。
漫画やアニメ、ラノベでは、妹が兄に恋心を抱くシチュエーションは幾つかあり、それらは全て、読者に妹萌えを抱かせるポイントになっている。しかし、リアルでは話が違う。
リアルでは一般論として、兄は妹に萌えないのだ。性欲を感じないのだ。大抵は僕が今、感じているように、こう思うのではないだろうか。
『こいつ、頭大丈夫なのか? 気でもふれたんじゃないのか?』――と。ただただ、不安になる。とはいえ、好きだと言われて、嬉しいと思う気持ちがないわけでもない。その点が葛藤を生むところだろう。
その翌日以降も、妹のアピールは続き、僕を悩ませた。アピールは、日に日に過激になりつつあったのだ。
この日、三時間目の休み時間、モンスター娘が僕の席に顎を乗せて、じっと僕を見つめてきていた。
「な、なんだよ……」
「なんだか最近、元気がないなーと思ってさ。どれどれ、お姉さんに相談してみなさい」
「お姉さんって、あんたと僕は同学年だー。それに誕生日だって僕の方が早いんだぞ」
「おおぉー。私の誕生日を覚えていてくれてたなんて感激っ! たださー、私の言っているのはダーリンと私の精神年齢の差ってやつなのさー」
「………………ムカ」
「私は働いている。ダーリンは無職、それだけでも精神年齢に大きな違いが生まれるんじゃないのかい? んんっ?」
「無職というか『学生』な! というか、君が働いているだなんて初耳だから」
「だって、言ってないんだもーん」
彼女は立ち上がると、僕の耳元に口を近づけて、ボソボソと言った。
「あんな、実は言っちゃいけない事になってるんだけどさー。私さー、ねーちゃんの代わりとして、アイドルのバイトしてるわけよ」
「アイドルのバイト?」
「しっ! 声がでかーい」
「意味が分からん」
「もうすぐ一年は経つかなー。つまり、ねーちゃんが、心を病んで、とある精神病になってさ。でも、どーしても出なくちゃいけない選挙っぽいイベントがあって、マネージャーさんが家にねーちゃんの参加を説きに来たことがあったの。でも、ねーちゃん、首を縦に振らなかったわけ。そしたら、マネージャーさんのやつが、近くで菓子を食ってた私に目をつけて、替え玉になってほしいと頼んできたの」
「確かに……中身以外はソックリさんだもんね。喫茶店で撮られた写真を、出版社が疑わず買う程に……。でもさ、君のその話が本当だったとして……だけど。バレたら、まずいんじゃないの? お姉さんにとっても、そのアイドルグループにとっても」
「その時はその時。お笑い話になるだけさ。あははは。日本国民も、わーい騙されたーって笑って許してくれるさ」
………………。
そうだろうか?
「というか、バイトしてるって、まだ続いているような言い方だったけど」
「そうだよ。最近はずっと、替え玉になってるよ。ここんところテレビに出て、歌って踊っているの、みーんな私」
「………………?」
「ほら、こうしてダーリンの教室に通って来ない日が、ちょくちょくあるでしょ? そんな日は、ねーちゃんが私の代わりに学校に来て生徒してて、逆に私はアイドルになってバイトしている日なんよー」
「? ? ?」
「このことは、内緒な。絶対に内緒な。歌っている時、口パクしている事はもっと内緒なっ!」
「口パクの件は初めて聞いた! つーか……」
僕は、この時点で一つの可能性が頭に浮かんだ。姉が精神病にかかっている。そして、一年前から替え玉。精神病であれば、通院していてもおかしくなく……かつ、目の前のモンスター娘の日頃の常軌を逸した行動を見る限り、普通の神経をしているとは思えない。
となると……。
「君がその……心を病んだ、『お姉さん』の方……だったり?」
篠田さんが妙な本を、精神科の待合室で見つけた言っていた。もしモンスター娘も、精神科に通っていたのなら、本棚に本を置くチャンスはあった。
モンスター娘は意味ありげに僕を見つめ、満面の笑みを浮かべた。
「あははは。面白い推理をするんだねー。まあ、私の話なんて、どーでもいいじゃないか。それよりダーリンは、一体何について悩んでいたのさ? 顔を見れば分かるんだぞー。教えろー。教えろー。悩みを、教えろー」
「僕は悩んでなんかないよ。仮に悩んでいたとしても、君なんかには絶対に教えないっ」
「ムームームー。そんなことを言うのなら、ダーリンのリコーダーを、こっそりと不在時に持ち出して、女子トイレに持ち込んでピーしてプーしてパーして、再びこっそり元に戻しておくぞおお」
「一体、何をするつもりなのかは分らないけど、するどく悪寒が走ったぞ。そして君は、口だけではなく本当に実行するタイプの子だから、なお怖い!」
「ヒントは、世界中の男子が喜ぶ事」
「異議あり! おそらくそれは、君の独断と偏見によるヒントだ」
「ベトベトしても、すぐに乾くから、無害だよー」
「音楽の授業の時、僕はそれに口をつけるんだぞ! やめろよ。マジでやめろよ、お前!」
「だったら教えてよぉぉぉ。知りたいのぉぉ。ダーリンの全てを知りたいの。私の秘密だって、教えたじゃんよおお」
………………。
モンスター娘は僕の腕を揺らしてきた。鬱陶しい。しかし……確かに、第三者の意見を聞いてみたい気持ちがないわけでもない。
僕は頷いた。
「分かった分かった。だったら話すよ。あと、僕のリコーダーには絶対に触れるなよ。手を出すなよっ」
「うん。リ○コ博士の計算するエ○ァが使徒に負ける確率くらいは、しないと約束するよ」
「待て! 確かに博士は、限りなく0%近い勝率をよく口にしてたけれど、結局は毎回、勝ってんだからなっ」
「あははは。じゃ、もう次の授業始まっちまうから、夜、電話するよ」
「電話?」
「したいのぉ。したいのぉ。恋人同士がするような夜中の長電話を一度してみたかったのぉ。こっちが電話代もつからさあ。いいでしょー。お悩み相談を電話でしたいのぉー」
「………………。まあ、いいけど」
そうして僕はこの日の夜、就寝前に、モンスター娘と電話し、妹についての悩みを打ち明けた。
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