レアサキュバス登場(2)
「は、はあ。そうですけど……」
「降りるわ」
そう言って、落馬したゴリラ似の女は、こちらに歩いてきた。ふと、なんだか、いい香りがした。
「あなた、私を見つめて、見惚れていたでしょう?」
「はい?」
「正直に言ってもらえないかしら。アンビューティフォーな私を見つめ、胸をドキンドキンとときめかせていたのよね?」
何を言っているのだろうか、このゴリラ女は。しかし、『アン』と否定を示すアルファベットを『ビューティフォー』の頭につけたところから、美しくはないことを自覚はしているようだ。僕がただただ、呆然としていたら、集団内の男たちが、僕を睨んでいる事に気が付いた。
「おい、てめえ。我らが愛しきプリンセスが、口を聞いてくださってるんだ。返事をしろおお」
「あ、はい。えーと。えーと。ときめかせて……ません」
「嘘をつくなあああ。てめえ、ぶちころすぞーー」
「ひぇえええ。ほ、本気で怒ってるの。なんで……なんで?」
ゴリラ女は、みんなにニコリと微笑んだ。すると男たちは、僕を睨んでいた時の鬼のような顔が見間違えだったのかと思うぐらい、顔中の筋肉が弛緩させ、デヘデヘとした仏顔へと変わっていった。
一体、なんだろう? 早く、帰りたい気持ちが高まってくる。
「彼らが怒っている理由が分からない? それはあなたが嘘をついたからよ。ときめいているくせに、ときめいていないとね。ダウト! 次は私のターン」
「は、はぁぁ?」
………………。
僕は、あんぐりと口を開いた。
「私、来月の頭からこの学校に転校してくる事になっているの。親の仕事に振り回される子供って悲劇よね。こればかりは私の魅力でも、どうにもならないわ」
「そう……ですね……」
「あなた、ラッキーよ。特別に、私に学校内を見学させる権利をあげるわ」
「はい? はい? はい? 意味が全く解りませんが。それに僕、もう帰るんで……」
「一期一会! 全ての出会いを大事にしなくちゃ、いけないわ。さあ、誰か、彼の為に馬を作ってちょーだい?」
「はいっ。マイ・モナ・リザ。俺がなります」
「ボクも」
「俺っちもっす」
僕がポカーンとしている間に、女が騎乗していたのと同じような、人間馬が作られた。女は先程の馬にまたがり、こっちを見つめている。待っているの……だろうか?
「ほら。何をぐずぐずしてらっしゃるの? 早くお乗りになりなさい」
「ええええええー。なんで? なんで?」
「こらあ。俺の高嶺の華を待たせるんじゃねーー。早く乗りやがれ」
「は、はい……」
分けも分からず、僕は人間馬にまたがった。すると、僕を先頭に馬たちが校内に入っていったではないか。
一応、靴は脱いでいるようだが、僕と彼女は脱いではいない。
他校の生徒が、学校に勝手に入って良いのかどうかはわからないが、この日、教師らとは出くわさなかった。
ただひたすら、僕は馬に乗り、右に曲がれやら、左に曲がれやら、階段を昇れやら、先陣を切って指示し、60人近くいるだろう、この不思議なパレード団体を先導し、ゴリラ女に校内見学をさせた。
当然だが、とてつもなく恥ずかしかった。廊下ですれ違う生徒らが、音楽やワッショイという掛け声と共に進んでいる僕たちを、目をまん丸くしながら見るのだから。しかし、同じ騎馬に乗っている彼女の方は、とても堂々としていた。
そして、40分くらいかけて、校内をまわった後、再び校門に戻ってきた。すでに外は夕陽が落ちかけていた。
「あなたのおかげで、今日はとても有意義な時間を過ごせたわ。お礼をしなくちゃね。キスでいいかしら? ホッペにね」
「いえ、お礼なんて別にいいですので……」
「駄目よ。そうだわ。あなた、私の親衛隊に入れてあげる?」
「は、はあ? 親衛隊って、なんですか?」
「この子たちの事よ。魅力的過ぎる私を守る騎士たちのこと。申し訳ないけれど、私はみんなのものなの。だから、あなたの独占物になることはできないの。でも、あなたにも私を守る権利を与えてあげる事くらいは、許可できるのよ」
「いえ、別に守りたくないですし……それに」
僕よりもあんたの方が強そうだ、とまでは、さすがに言わなかった。
「それに、なにかしら?」
「………………とにかく、丁寧にご辞退させてください」
「仕方ないわ。だったら、ファンクラブメンバーのナンバー1をあげる」
「ファンクラブ、メンバー?」
「どうせ、転校したら、すぐに私のファンクラブがたつのよ。その、記念すべき1番の称号をあげるっていうの」
「はあ……ま、まあ。そういうファンクラブが本当に出来るのなら、それでもいいですけど。やっぱり、それも辞退させてください」
「あ、あなた……本気で言っているの? 魅力ある私が、じきじきに許しているのに」
「魅力があるって……。正直に言いますけれど、別に魅力は……感じません」
「し、ししししっし、信じられない」
彼女は顔を真っ青にして倒れかけた。その体を『親衛隊』らしきものたちが、押さえる。
「マイプリンセス。あなたの魅力を分らない下郎も、世の中にいるのです」
「そうです。あなたは僕の永遠のエンジェル! いえ、僕なんかでは、許容しきれない世界中の人々のスーパーエンジェルなのです」
「そう……ね? そうよね。ファンタスティックな私としたことが」
「こんな馬鹿には、愛しのプリンセスの美しさは判りませんよ」
「それもそうね。ねえ。あなた、見てらっしゃい」
「は、はあ?」
「私の力を」
そして彼女は『親衛隊』たちに言った。ハンカチを取り出して……。
「これが私の多分、あなた達にあげられる、きっと最初で最後のプレゼントになるわ。でも、残念ながら、一つしかないの。存分に奪い合う事を許してあげるわ」
そういって彼女は、何をとち狂ったのか、ハンカチで鼻をかんだ。そして、それを宙へと放り投げた。
そして、それが落下した瞬間、親衛隊という親衛隊たちが奪い合いを始めた。
彼女の騎馬だった男たちも彼女を下ろすと、その奪い合いに参加する。
一人が、ハンカチを拾い上げても、他の者がその男をぶん殴り、力づくでハンカチを奪う。そして他の男が再びブンなぐり……と、凄まじい阿鼻叫喚な様子となった。
僕はあまりの唐突なバトルが開始された事に、唖然として、まさか大掛かりなドッキリ企画なるものなのだろうかと疑った。そして、周囲をくまなく見回すも、カメラらしきものはない。これは、マジなのだ。リアルなのだ。
どういう事かはわからないが、ゴリラ的な彼女が鼻をかんだ、その汚いハンカチの所有権を巡り、彼らは本気の争いをしている。鬼の様な必死の形相で……。一人の女を巡ってこんなにも熱い戦いが起きるなんて、僕には理解が出来なかった。
僕はこっそりとこの場から逃げる事にした。そんな中、親衛隊の一人がどさくさに紛れて僕に殴りかかってきた。
「てめええ。俺達はプリンセスとお別れなのに、てめえはこれから、プリンセスと一緒の学校に通う事になるんだ。羨ましい。妬ましい。そして、さっきはよくも俺を馬にして乗りやがったなああ」
「それは、僕は望んでいなかったのに……。やめてええ」
男は、ボカスカと殴ってくる。
僕は、この親衛隊なる彼を押しのけると、死に物狂いで立ち上がり、校門に向かって駆けた。そして、この混沌とした場所から抜け出して、家へと向かい、逃走した。
家に帰った時には、僕の顔は腫れており、鼻から血が出ていたので、それを見た妹は、顔を真っ青にしていた。薬箱を早急に持ってきてくれた。
まるで、夢を見たような、そんな気分だった。思い出せば、親衛隊は誰もが美男子だった。ブスに美男子が付き従う図――。一体、何が起きていたのだろうかと疑問に思うも、すぐに意図的に考える事を止めた。これは、あれだ。世にも奇妙な物語的な、あれだ。
部屋で寝転んでいたら、母に夕飯の支度が出来た、と呼ばれた。
「はーい。今、行くー」
その後、数日間で、僕の中から彼女の存在が完全に無くなった。
そして、彼女の事を忘れた状態で、来月となった。
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