恐怖! 闇女(5)
「どうして僕の家の電話番号を知っているんだい?」
スマホの番号は半ば強制的に、盗まれるように知られたのだが、家の電話番号は教えた記憶がない。
『あははは。細かい事を気にする人だなー。タウンページで調べたからに決まってるじゃねーか。私、新しい替え歌作ったから、まず最初にダーリンに聴かせてやろうと思って電話したんだけど、今の人誰? なんでいないなんて、嘘つかれるわけ?』
「えーと。……妹。えーと、嘘ついたのはね……。そう、妹は最近いたずらっ子なんだよ」
ちらりと篠田さんの顔を見てから、そう言った。にこにこしているが、拘束されているという事実を話せばどうなるか分からないぞ、という強い意思を直感で拾い取ったのだ。
『なるほどー。お年頃だもんなー。じゃあ、そろそろ電話切るぞ。私は忙しいんだ。ダーリンなんかの相手をしてやってる暇なんて、これっぽっちもねーんだよ。あはははは。じゃーねー』
「おーいおいおい。待て! なんで、僕から電話をかけたような言い方になってるんだー。そもそも、君が替え歌を……」
ガチャ。
いつもながら、全くもって意味不明な子だ。彼女の行く末が心配だが、僕は彼女よりも、自身の身の危険を第一に心配しなければならない事態となっていた。子電話をすっと持ち上げた篠田さんの顔を見上げると、真っ黒なオーラのようなものを、発していた。
「ひぃぃぃぃぃぃぃ」
ふいに悲鳴が漏れた。
「今のどなたなのでしょう。『ダーリン』と呼ばれておりましたよね。まさか……そのようなお関係なのでしょうか?」
「えっ……いや。いや……何でもない関係です」
僕はぶんぶんと首を左右に振って否定した。
「ふーん」
そういいながら、篠田さんは椅子に座っている僕の太股に、馬乗りになってきた。顔が近いっ!
僕は手足を縛られているので抵抗することができない。篠田さんは、僕の目をじっと直視しながら、おでことおでこをピタリと合わせてきた。
「聞かせてください。では、どのような関係なのでしょう。正直におっしゃってください」
「ただの友達……です」
これはある意味、嘘が混じっている。本当のところは『友達でもなんでもない迷惑な人』なのだから。しかし、そう正直に言ったとしても、その言葉は篠田さんが求めているものではないと思ったので、もっとも無難だろう返答をしたのだ。
「なるほどなるほど。では、その方のお名前と電話番号と住所をお教えくださいませんか。これからお会いしてきますので」
「え? なんで?」
僕は目を大きく開いて、聞いた。
「金色の和菓子をお届けに向かうだけです。その理由はお聞きにならないで」
「いえいえ、めっちゃ気になりますから!」
そう言うと、篠田さんは艶やかに、ため息を吐いた。
「………手切れ金です。こう見えても私、嫉妬深いんですよ。男女の間に友情なんてものが成立すると言っている人もいますが、私は否定派です。男女間の友情なんて、存在しません」
「なんで、そう断言できるのですか。そんな事ありませんから!」
恋愛感情ぬきで親しくしている男女も世の中にはいると思う。しかし、篠田さんはゆっくりとかぶりを振るだけだ。
「きっと、友だち面して、あなたの身体を、虎視眈々と狙っているのでしょう」
「いえいえいえいえ。なんでそんな考え方にっ!」
「ちなみに私、殿方のなさる浮気の発生率を限りなくゼロに近づけるためにはどうしたらいいのか、考えた事があります。精神科の待合室で名前が呼ばれるまでの間、暇で何もする事がないので、その時間を有効利用しようと、考えていました。その結果、二つの方法を思いつきました。一つ目は、てっとりばやい方法ですが、殺しちゃう事です。殺してしまえば、逆立ちしても浮気されませんもの」
「精神科に行ってますます、悪化してるんじゃないのですか!」
邪魔者がいたら殺して排除するだなんて、まるで獣じゃないか。いや、獣でもそんなひどいことはしないはずだ。
「うふふふ。さすがにこの方法は妄想すれども実行はしませんよ。単なる冗談の類です。人道から大きく外れていますものね。では、浮気防止に有効な方法の二つ目も聞いてください。宦官ってご存知でしょうか。昔の中国に、そのような人達がいたそうです」
「え? え? すみません。そんなに歴史に関する知識はないもので……」
『宦官』って、一体なんだろう?
「宦官の方々は、しきたりとして自身の男性器を切り捨てるそうです。つまり、暴れん棒がなくなるというわけです。浮気しようにも暴れん棒がいないんじゃ、できませんわ」
「まさか……まさかですよ……」
僕の全身がカタカタと震えはじめる。篠田さんが何を言っているのか、理解したからだ。
「最近は、精子をフリーズ保存させる事もできますから、子作りが出来なくなるとか心配なさらないで。ほら、夫婦間でも男性がパイプカット手術をよくされるというではありませんか。その変化形です。同じようにお考えください」
激しくかぶりを振って応える。
「いえいえいえ、全然違います。というか、怖い事を考えますね。その方法だって十分に人道から大きく乖離してますよ。正直に言うと僕、篠田さんへの見方が、変わりました。悪い意味で、です」
「………………え? え? それは……つまり」
「大暴落ですっ!」
「大……暴落……」
呟くように、僕が発した言葉をなぞる。
「僕の中での篠田さんの株が大暴落した、という事です」
「大暴落……」
篠田さんは、顔を真っ青にしながら、僕の太股から、おりた。
「そ、そ、そうですよね。体を縛ったり、メンヘラなことばかり言って……確かにあなたがまだ喫茶店に通ってこられていた時の私は、決してこのような考えなんてしなかったでしょう。そのような思考回路をしていませんでした……」
「篠田さん……」
篠田さんは自分の頬を平手で、ぱんぱんと二度叩いた。
「すみません。正気に戻りました。私の中の悪魔が、知らない間に増幅していたのだと思います。先週の件も含めて、著しく馬鹿げた事をしたものです……。こうなった以上はケジメを、とらせていただきます」
篠田さんは覚悟を決めたと言った表情になると、調理台のところまでいって包丁を手にした。そして、僕をじっと見つめてきた。
「な、ちょっと、何を……何を……?」
「これで許してくださいますか? 私、自害いたします」
「え? え? 何を言っているのですか」
途端に頭が真っ白になった。自害するって、何を言っているのだろうか、この人は。
「ほら、スリラーやホラー映画なんかに登場する自己中なサイコは、主人公を多大に怖がらせますが、最後は例に洩れずに死ぬか、行方不明となってのエンドロールが流れるではありませんか。今の私は、もはやそんなサイコの仲間入りです。この幕引きは、自害エンドとします」
「それは物語ですよ。フィクションの話ですー」
「では、これまでのことを、全て水に流してくださいますか? 許してくださいますか?」
「そしたら、自害するなんて、言わないのですよね? しないのですよね? でしたら許します! 許しますから!」
僕は必死になって、そう言った。
「自害しなければ、これまでやってきた私のメンヘラ行為の数々を許して、私の株価暴落をなしにして下さる……ということで、いいのですか?」
「いいです。だから包丁を腕から離してっ!」
「嫌です」
彼女は左腕の動脈部位に包丁を置くと、すっと切った。すると、まもなく傷口から、赤い煙が噴き出した。
「う、うわああああ」
って……赤い煙? なにかおかしい気もするが、あまりにも混乱していて、僕は無様に慌てふためいた。
篠田さんは顔を苦痛に歪ませながら、片足を引きずりつつ僕の方にやってきて……僕の目の前までくると、なんと『腕』をとった。マネキンの腕のようなものから、絶えず赤い煙がもくもくと出ている。
僕は、何がなんだか分からずに、ポカーンと口を開けて放心していた。篠田さんは、そんな僕に笑みを向けてきた。
「うふふふ。びっくりしましたか? これはマジックなどで使われるファミリー向けの小道具です。ただ、赤色のアロマを撒いただけですわ。つまり、偽物の腕を本物の腕のように見せかけて、誤魔化していただけのトリックです」
「え? え?」
いつの間に仕掛けたのだろうか。最初から偽の腕だったのか? それとも、たった今、取り替えたばかりなのだろうか。まるで、本物のマジシャンが披露するマジックのように、種の存在に気付かなかった。
「驚きとは、人生における最大のエンターテインメントです。私があなたに恋をしたことは事実です。こんな気持ちになったのは、初めてでした。新鮮な気持ちでした。だから、そのお礼をしようと思い、色々と思案しました。同時に、どうやって困らせてやろうかとも考えていました。嬉しい気持ちの反面、悔しい気持ちにもなったのです。こんなにも自分自身で制御出来ない日々を過ごしたのは、これまでになかった事でしたから……。先週の宇宙旅行もその一つです。そんな困惑も含めて、今週はまた違った『驚き』をプレゼントをしようとドッキリを仕掛けたのです」
「え? え? ドッキリ」
「騙される驚き。これらは快感の一つです。ストレス解消にはもってこいですよ。うふふ」
篠田さんは、そう言いながら、僕を拘束していた縄をほどいてくれた。
自由になった僕は真剣な顔で、篠田さんをじっと見つめながら言った。
「篠田さん、僕はあなたの事が更に分からなくなりましたよ。ただ者ではない。普通の人ではないという事は、よく分かりました。というか、こんな心にトラウマを植え付けるようなマジック小道具がどこに売られているのですか!」
「ドン○にです」
「本当に? 嘘だー。僕は信じない! 篠田さんという人物像がますます分らなくなりました!」
綺麗な薔薇には棘があるというが、篠田さんの場合は、棘だけではなかった。棘に毒も塗られていた!
「うふふふ。ミステリアスな女だと思ってください。ちなみに先程の……教えてくれます?」
「え? え?」
「電話の女性の件です」
「……芝居だったんじゃ?」
「9割はマジですわ。うふふふ」
包丁を片手に真っ黒なオーラを体全体から出して笑う篠田さんを見ていると、心底恐ろしい気持ちになってきた。
その後、僕は血入りかどうか不明であるものの、見た目の割には味は良い朝食を(半ば強制的)に食べ終えて、二人でテレビゲームをして過ごした。彼女が帰ったのは、この日の夕方だった。夕食も作るつもりだったらしいが、そこは辞退した。僕の本能が妙な危険を感じたからだ。玄関で靴を履いた篠田さんは、くるりと回って、見送りにやってきた僕を見つめてきた。
「今日は楽しかったです。あと、株価暴落の件、ノーカウントにしていただけますね?」
「え……えーと」
「して頂けます……よね」
「う、うん。するっ……」
僕は頷いた。約束もしたのだから、なかったことにするしかない。篠田さんは満足げな表情になって、微笑みながら言った。
「良かったです。それじゃあ、また予備校でお会いしましょう。喫茶店の職場はもう辞めてしまったのですが、お望みとあれば週末にならずとも復帰、もしくは……」
「うわあぁー。週末に予備校で会うの、楽しみだな」
僕は急いで喜ぶフリをした。
「………………」
篠田さんは意味ありげに、僕を見つめてくる。
この沈黙が、なんだか嫌だ。
「それではまた、週末に……」
彼女は深くお辞儀をして、玄関のドアを開けて、出て行った。いつのまに呼んだのだのか、家の前にはリムジンが停車していた。彼女は、リムジンに乗り込んだ。
お別れの間際、手を振ってきたので、応えた。車が見えなくなると、急いでドアを閉めて、鍵をかける。
僕の背中は、冷たい汗でびっしょりだ。篠田さんはドッキリであんなことをしたと言っていたが、どうにも、僕にはそれが本音だとは思えなかったのだ。ゲームをしていた時も、機嫌を害さないように、気を遣っていた。
そして週末となり、僕は予備校に通った。
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