恐怖! 闇女(4)

 僕は恐怖で背筋が冷たくなった。胸の中で、関わり合いになりたくない、という気持ちが大部分を占めている。しかし、どういうわけか、僕の中には、まだこの人の事が好きだという気持ちも残っていた。一年以上もずっと想い続けてきたからだろうか、怖いと思いながらも、幻滅しながらも、そんなに単純に嫌いにはなれないという不思議さが、僕の中で入り混じっている。


「うふふふ。まあ、もう一口食べてみてください」


「確かに味は悪くはありませんでしたが、食欲がわきませんよ。手足も縛られているし」


「もう一度、私が食べさせてあげましょう。はい、あーーーーん」


「………………あーん」


 篠田さんは、僕の隣の席に座ると、真紅の卵焼きを箸でつまむと、僕の口に入れようとしてきた。数日前にモンスター娘が作った赤い卵焼きとデジャブするが、本能的にこちらの卵焼きの方が危険度が高いと察知した。


「ちなみに、話は戻りますが。それ……クレヨンを入れてないのに、どうして赤いのですか?」


 もぐもぐしながら訊いた。


「それはエンジムシと……血です」


「……血?」


 エンジムシという単語も気になったが、『血』の方がインパクトが大きい。


 これをご覧ください、と言って彼女は傍においてる鞄から一冊の本を取り出し、その表紙を僕に見せてきた。


『魔女学専門書』と書かれている。なんだコレ?


「カエルの血、ヘビの血、犬の血、猫の血……あっ、犬と猫については殺してませんのでご心配なさらずにね。あんなに可愛いのに殺せるわけありません。近所にいる子たちから注射器でちょっとずつ抜き取って頂きました」


「カエルとヘビは殺しちゃったのですね!」


 カエルの血ってなんだよ。ヘビの血ってなんだよ。たしかに生物である以上は、血は流れているのだろうけれど、普段それほど接する頻度が少ない生き物なので、それらの赤い血を想像することができない。


「でも、命は無駄には致しません。今、目の前にいますわ。ほら、ここですわ」


 彼女が指差しところに視線を送ると、これまた不思議な色をしている『ハンバーグ』があった。


「まさか……」


「うふふふ。あと、全ての料理に私の血も含まれております」


「え? え? 何を、とち狂った事を言っているのですか。僕、知らず知らずに食べちゃったじゃないですかー」


 喉の奥から吐き気が湧き上がるのを感じた。目の前にある料理は全て、篠田さんの血が混じっているというのだ。しかし、彼女は何食わぬ顔で説明をはじめた。


「あなたも、母乳で大きくなったのですよね。あれって『血』なのですよ。牛乳って、血と同類だという事を知らない方が多いのですが、それと同じものだと思えばいいではありませんか。これも必要なものだと、この本に書かれてありました」


 そう言って、再び『魔女学専門書』を見せてきた。


「血って、おかしいですよ! なんですか、この変態的なシチュエーションは! 一体、どうしちゃったのですか! 僕はそんな卵焼き食べたくありませんでした」


「でも……栄養が……一日の活力は、朝食から……」


「本当におかしいですって。本の通り、本当に魔女の作った料理じゃないですか。そもそも、なんですか、その胡散臭い本は」


 僕は篠田さんが手に持つ本を、憎々しい目で凝視した。


「胡散臭いだなんて……。ちなみにほら、こちらのページを見てください」


 見せられたページには、『惚れご飯。異性をあなたの恋奴隷にする方法。良い子は真似しちゃダメよん(笑)』と書かれてある。


「う、うわああ。嘘くさい。嘘くさすぎる! (笑)って何? というか、血の他の材料に『陰毛』って書かれてますけど、それも入っているのですか?」


「それは……ノーコメントです」


 彼女は顔を真っ赤にしながら、僕から目をそむけた。その仕草が超ド級に可愛かったので、不覚にも胸がキュンとした。僕という男は憐れな男である。


「もしかして僕、食べちゃったわけですか、篠田さんの……大事なアソコの毛を……」


 気持ち悪いやら、嬉しいやら……これまでの人生で経験したことのない不思議な気分になった。RPGでお馴染みの混乱魔法でもかけられたら、きっと今の僕ような状態になるのだろうな、と思った。しかし、彼女の次のひと言で、僕は一気に正気に戻された。


「私のではありませんわ。あなたのです」


「え?」


 僕は首を傾げた。僕の、というのは、一体どういう意味なのだろうか。


「あなたの陰毛を、寝られている間に、ちょっとだけハサミでチョキンと……」


「ええええええ。げろろっろろろろ」


 一気に血の気が引くのを感じた。


「ノーコメントと言ったのは、私があなたの毛をと採取したことを知られたくなかったからです。はしたないのですが、少しばかりは手の甲がアソコに触れてしまったかもしれません。でも、信じてください。見てませんの! 目をつぶって、ハサミでチョキンとしましたから。力一杯チョッキンしましたからっ」


 篠田さんは、そう力強く訴えるように、言ってきた。


「危ない! 危ない! 僕の大事なものがチョキンされるところでした。というか、さっきの僕、なんて事をしちゃったんだ! なんてものを食べてしまったんだっ!」


 そして、見た目に反して旨いと不覚にも思ってしまった。


 そんなこんなで葛藤していたところ、篠田さんは、得体の知れないハンバーグの箸で一口大にすると、それを僕の口まで運んできた。僕は拒否の意を示すために、唇をぎゅっと閉じるも、鼻をつままれたら、口を空けるしかない。


 そのタイミングで口の中に入れられたハンバーグを咀嚼しながら、『意外にも不味くないなあ』と場違いな感想を抱きながらも、重大な発見をした。


『魔女学専門書』なるものが篠田さんの前のテーブルに置かれているのだが、そのPNを見て僕は目を剥いた。それはモンスター娘のPNが数日前に教えてくれたPNでもあった。モンスター娘は、趣味で漫画なども描いているそうで、中身は観てないが、僕に押しつけるように読ませようとしてきたことがある。その時、目に入って『PN』だけは記憶していた。僕は篠田さんに、おそるおそる尋ねた。


「あの……ところで、その本はどこで手に入れたのでしょう?」


「この本ですか? つい先日、情緒不安定になりまして病院の精神科に通った時、待合室の本棚に置いてありました」


「絶対に、ないです! 普通、精神科の本棚にそんなおかしな本が置いてあるわけがないです。そもそも心が弱っている状態の患者さんがそんなものを見たら、いつもなら馬鹿にして終わるものであっても、本気にしちゃう可能性だってありますから。というか、篠田さん、本気にしちゃってますよね?」


 僕がそう指摘したところ、篠田さんは不愉快な表情をしながら頬を膨らませた。


「何をおっしゃっているのですか。これは本物なんですよ。何か大きな力を、この本から感じるのです。おそらく著者は、本物の魔女なのでしょう」


「いやいやいや。それは断じて違いますから」


 著者は悪ふざけが大の生甲斐な、あのモンスター娘だ。誰の手に渡るか想定はしていなかったのだろうが、おそらく精神科の待合室にこの本を置いたのは、まず彼女に違いない。訪れた患者の誰かが、本気にして実行するのを見越した、確信的なイタズラだ。


「私が、待合室で名前を呼ばれるまで座っていたところ、この本の表紙が目に留まり、気になりだしていました。それからすぐに看護士さんが、この本を本棚から見つけたようで、他の看護士さんと共に、病院の本ではないという内容の会話をしておりました。そして、捨てようという話になりました。その時、私は看護士さん方たちに、捨てるのならば譲ってほしいと申し出ました。実際に読んでみて衝撃を受けました。今では愛読書となりました」


「それは運命的な出会いでしたね……。愛読本なんて、そう簡単に巡り合えるものではありません。ただし、断言します。この本に書いてある内容は、悪意満載な絵空言ばかりですからっ。単なる悪ふざけです。だって……」


 この本のPNの著者は、頭のイカレタ同級生なのだから、と言おうとした時に、電話が鳴りはじめた。篠田さんは席を立つと、パタパタと移動して、受話器を取った。


「はい。もしもし、どなたさまでしょうか」


 僕はそれをみてぎょっとしながら叫んだ。


「出ないでー。普通にひとんちの電話に勝手に出ちゃダメーー」


 しかし、篠田さんはマイペースに電話応対を続けている。


「いえ。いませんわ。……えっ? 声が聴こえた? 幻聴でしょう。……はいはい。分かりましたよ。仕方がありません。代わりますね」


 彼女は僕のところに受話器を持って戻ってきた。子電話なので、本器から離すことができる。篠田さんは子電話を差し出しながら言った。


「しつこい人で、あなたを出さないとこちらに来るとか言っていました」


「何で、いないなんて嘘をつくのっ!」


「すみません。食事の時間を邪魔されたくなかったもので……では電話をどうぞ」


 彼女は、子電話を僕の耳と口に合わせるように固定してから、保留のボタンを押した。


「もしもし……」


『おおーう。私だよ私。ダーリンのスマホにつながらねーから、家の電話にかけてやったんだ』


 モンスター娘の声だった。

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