恐怖! 闇女(3)
しかし僕はこの日、予備校を休んだ。
なぜだろう。それは自分でも分らない。ただ重かったのだ。足が重くて、色んな意味でも重くて、予備校に行きたい気分にはなれなかった。
その日の夜は家で一人の夜を過ごした。父と母は出張で海外に行っており、妹は合宿で留守にしている。家には僕以外は誰もいなかった。
しかし翌朝、目覚まし時計が鳴った時には、そんな家の中に家族以外の何者かの気配を感じた。さらに僕は手足を縛られて、ベッドの上で拘束されていた。
「え? え? なに……ど、泥棒?」
目覚まし時計が鳴り響き、イモムシのように僕がガサゴソと動いていたところ、その何者かがやってきた。その人物は――篠田さんだった。なぜか包丁を片手に持っていた。
「ひぃーーー」
「おはようございます。起きられましたのね」
「ななな、なんで僕の部屋に……」
僕は窓を見た。確かにカギは閉まっている。以前、モンスター娘に部屋に侵入されて以来、窓の鍵の閉め忘れはしていない。
「なんで、ここにいるのか、という疑問に対する回答ですが、もちろん玄関から入りました」
「そ、そんな……鍵はしっかりと閉めたはずなのに……」
「私は、この鍵で開けたのです」
「ま、まさか……」
篠田さんはポケットから鍵を取り出して、僕に見せてきた。
それは、新品のような光沢があるものの、僕が普段から携帯している家の玄関の鍵とよく似た形状をしていた。
「こないだ、車の中でお休みになられている間に、あなたのポケットに入っておりました鍵の型を粘土を使ってとらせて頂きました。そして後日、鍵屋で合鍵を作らさせて頂きましたの」
そう自慢げに語った。内容については、全く自慢できるものでははずなのに!
「部屋に入ってこられた経緯については納得しました。でも、どうして僕は手足を縛られているのでしょう」
「そんな事……私に言わせるおつもりなのですか。昨晩は、XなプレイやZなプレイなど……あんなに激しい夜を過ごし合ったではありませんか。詳細を全部……私に言わせるおつもりなのですか?」
「嘘だー。僕は何もしてません」
彼女はもじもじしている。
本当に、何もしていない……よね?
「うふふふ。冗談ですよ。男の方は、二人きりになった場合、特に自室に女性を連れ込んだ場合、オオカミさんになられると聞いております。私達はまだ結婚もしていない間柄ですもの。そんな行為は、まだ早過ぎます」
なるほど。僕に襲われたくないという理由で拘束したようだ。うーん、なんというか、ツッコミどころが満載すぎる。
「だから僕を縛ったとっ! 僕は二人きりになっても、そんな事はしません! そもそも、自室に連れ込んだのではなく、あなたの方から勝手に訪れたのではないですかっ!」
「はて、確かに私の方から来ましたが、何も手を出さないと仰られたのは、私に魅力を感じていないから……という事でしょうか? お答え次第によっては……」
彼女はキラリと光る刃物を持った手を持ち上げた。
「わああああ。魅力はあります。包丁怖いぃぃぃ! 包丁、持ち上げないでくださーい」
「ほっ。良かったですわ。もしも、私に魅力を感じておられないのでしたら、私……大いなる決断をしなくてはいけませんでした」
「そんな大いなる決断は、しなくてもいいですー。そもそも、なんで包丁を持ってるのですか!」
怖すぎる。
「あっ、そうでした。今、朝食を作っていたところでした。いけません。お味噌汁が煮立ってしまいます」
彼女は小悪魔的にペロリと舌を出すと、慌てて階下にある台所へと駆けていった。
「縄、ほどいてー」
そんな僕の声は、彼女に届かなかった。
それから十分後、再び篠田さんは僕の部屋を訪れ、僕は彼女にお姫様抱っこをされて、台所に連れていかれた。身長は僕よりやや低めなのに、どこにこのような力があるのだろうかと不思議に思う。それより、お姫様抱っこされた事で、かなり男としてのプライドが傷ついた。
食卓を見ると、世にも奇妙などんよりとしたオーラを放つ惣菜たちが並べられている。
僕は椅子に座らされると、それらの料理をじっと見つめた。すぐに彼女は箸で料理を持ち上げて、僕に食べさせてきた。
モグモグ……。
意外ではあるが、見た目とは裏腹に、味は普通に美味しかった。しかし、色が気になって仕方がない。
「あの、もしかして、クレヨンでも入れたのですか」
そう質問すると、彼女は驚いたように目を丸くした。
「クレヨンを、お食事にですか? うふふふ。冗談がお上手ですね。クレヨンなんて食べられるわけがないではありませんか」
「いいえ、最近は食べられるクレヨンがバカ売れしているそうなんです。なんでも、園児がクレヨンを誤って食べても平気なように作られたそうで」
「なるほど。子供を持つ親にとっては、それは大切ですね。子供は何をするか予測不能ですし、何でも口に入れたがるそうですしね。しかし、クレヨンは所詮はクレヨン。食べ物ではありません。……もしかして、その話題をなさったのは、子供が欲しいから……でしたか?」
「いえ……そういうわけでは……」
勘違いをさせてしまったようだ。ただ、色の出所が気になっただけである。真紅の卵焼きだなんて、モンスター娘の作ったクレヨン入りのもの以外、見たことがない。
「私も女である以上は、子供を産みたいと思っていますよ。野球の試合ができるくらいは欲しいです。あっ、9人ではありませんよ。一チームでは試合ができません。9×2の18人です。きっと楽しいです。私一人っ子ですし、両親が幼い時に他界しちゃったものですから、賑やかな家庭に憧れていましたの」
「あは、あははは。そちらこそ、冗談がお上手で……」
「冗談ではありませんっ」
彼女は、目を尖らせながら凝視してきた。眼光がとても怖い。一時的に部屋中に冷たい緊張が走るも、彼女はすぐに表情を和ませた。
「あの、僕が言いたいのはですね」
「うふふ。わかっています。18人も私一人で産むのは不可能、とそう仰りたいのでしょう。私の身体を気遣ってくれるなんてお優しい方。でも、大丈夫です。日本ではまだ法律が許してくれてはいませんが、海外では代理母の制度を法律で許可している国があるそうです。希望としましては、全ての子供を自分のお腹の中で育んで、苦労した上で出産したいと思っています。だって、その方が感動が大きい気がするのですもの。楽をして得られるものなんて、苦労して得られたものより価値が薄いのが道理なのです。でもね、一人の女が一生涯で産める子供の数なんて、限られてもいるんです。私の卵子とあなたの精子をお医者様に預けて、海外で代理母を探して産んでもらいましょうよ。そして、18人の子供たちが野球をするのを観戦しましょう。でも待ってください。女の子も生まれる場合だってあるわけですよね。女の子は野球というよりソフトボールをするというイメージがあります……でしたら、18人じゃ足りませんわ。子供たちに野球をさせるには、男の子が18人必要ですから。でしたら、計算し直しますね。えーと、ああ、36人必要ですね。あっ、これは単純計算しての人数ですよ。女の子ばかりが産まれたら、もっと産む必要があります」
「あの……先程から……一体何を、言ってるの、ですか?」
意味が分からない。目の前の彼女はなぜ、具体的な子供の話をしているのだろう。
「未来確定図の話です。ほら、男の子と女の子が生まれる確率は、二分の一でしょ?」
「未来予想図ではなく、確定図ですかあああー。僕は未来の話も子供の話もしていません。確かに、男子として生まれた以上は、子孫をたくさん残したいという本能は持っていますよ。しかし、36人も子供を持ちたいなんて、これっぽっちも思ってません! 野球チームが作れるほど子供がほしいねって、よくアニメなんかでも、さらにはリアルなカップルでもしがちな掛け合いでしょうけれど、それを実践しようとする人は皆無ですかねら! ほとんど、皆無ですからっ!」
8人も子供を産めば、大家族としてテレビに取材されることもあるくらいだ。大抵の夫婦は、二人か三人の子供は作るが、それでも大変だと聞いている。
「うふふ。大丈夫です。私はこう見えても、親から継いだ会社を持っておりまして、その事業を拡大させる事にも成功させました。なので資金はありますわ。施術費や養育費など諸々がご心配なのでしょ? であれば……」
「いいえいいえ! そもそも、なんでこんな話になっているのですか。僕がクレヨンの話をしたのは、子供が欲しいからではなく、料理の色が深紅だからです。こないだの重箱の料理は見た目はまともだったのに、どうして、こうなるのですか」
料理の話から飛躍し過ぎだ。目の前には、依然として珍妙な料理たちが並べられている。食欲とは違った意味で、ごくりと喉を鳴らした。
「それは、これが私の『本気』だからです。こないだのは、本気を出したら気味悪がられると思ってまして、そこそこに手を抜いてました」
「手を抜いた方が、美味しそうに見えるだなんて、おかしいですぅー」
しかも、本気で調理したら気味悪がられるという自覚はあるようだ。
僕はショックを覚えた。これまでずっと好きだった人。片想いをしていた人。高嶺の花だと思いながら、目の保養として遠くから眺めているだけだった人。毎週のようにシフトの曜日に合わせてバイト先の喫茶店へ足しげく通った目当ての人。それが、モンスター娘と同じレベルのイレギュラー。病み……いや、闇のお人だったとは!
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