恐怖! 闇女(2)

 僕は驚いて、一気に覚醒した。


「あれ? あれ? ここは……」


「目をお覚ましになられたようですね」


 篠田さんは微笑みながら言った。


「あの……ここは……僕は予備校で、眠ってしまって……」


 しどろもどろになりながら記憶を辿っていたところ、篠田さんが説明を始めた。


「あれから、うちの運転手に、貴方を担いでもらい、この車まで運んでもらった次第なのですよ」


 なるほど。眠った僕を、家まで送り届けようとしてくれているのか。


 しかし、周囲の景色に見覚えがない。そもそも冷静に考えると、篠田さんは僕の家の住所を知らないため、家まで送り届けるなんてできないわけである。僕は彼女に、聞いた。


「あの……どこに向かっているのでしょうか」


「宇宙ですわ」


「はい?」


 ……宇宙? 彼女なりのジョークだろうか。しかし、ジョークを言っている様子ではない。


「実は最近、民間の会社が、宇宙旅行のサービスを行っておりまして、その搭乗権を買ったのです。まあ、宇宙旅行といっても二時間程度、成層圏を出てから、またすぐに地球に戻ってくるだけなので、厳密には旅行とは言わないかもしれませんが一人二千万円もするのですよ。気に入って頂けると幸いなのですが……あと、これはパスポートです」


「パスポートって、僕のですか?」


「ご名答です。これから海外に行くので、こちらで用意しました。宇宙旅行のサービスを提供しているその民間会社が、海外にあるのです。日本にあれば便利ですのにね?」


 同意を求められたが、返事ができない。パスポートを開いてみたら、僕の写真が貼り付けてあって、名義も僕のものにだった。


「ね? って言われても……どう返事をしたらいいのやら。というかこれ、おかしくありませんか。僕本人がいなくちゃあ、パスポートって発行されないんじゃ……」


「でも発行されましたわ」


「………………」


 パスポートって、第三者でも勝手に発行できるようなものなのだろうか。僕は混乱して、吐き気をもよおしてきた。


「あの……僕にはさっぱり……今の状況が……そして意味も分からないのですが……」


 篠田さんは一体、さっきから何を言っているのだろう。それとも僕はまだ目を覚ましていなくて、夢の中にいるのだろうか。


「ごめんなさい。ちょっと……強引なやり方でしたわよね……でも、私、こういうのに慣れていなくて。単刀直入に言わせて頂いても、宜しいですか?」


「……はぁ、いいですよ」


 頬をつめったが、痛みがあった。夢ではないようだ。


「私、あなたと交際してあげます」


「え?」


 僕は首を傾げた。


「ですので……私、あなたと交際してあげます、と申したのです。先程の料理、塩加減などの味付けが濃くはありませんでしたか」


「は、はい。実は、そう思っていました」


 重箱に入った料理を思い出す。僕が口にいれた料理はどれもが、すごくショッパイ味付けだった。


「強力な睡眠薬の味をどう誤魔化せるか四苦八苦した末、どうしてもそういう味付けになってしまったのです」


「す、睡眠薬の……味?」


 睡眠薬の味なんて知らないが、篠田さんによると、その味を感じなくさせるように、ショッパイ味付けにしたということだ。なんだか変な汗が出てきた。


「本当に、強引で申し訳ないと思っています……。でもね私、強引じゃないと……今回のような目的意識がなければ……あなたに声もかけられませんでした……口下手なんです……」


「あの、頭を整理させてもらってもいいですか。あなたはまず僕を、睡眠薬で眠らせた。その後、宇宙旅行に連れて行こうとしている、という事で、いいのですか?」


「はい。ご名答です」


「………………」


 全く、意味が分らなーーーい。僕は途方に暮れた。人間、理解を越えた時に『途方にくれる』というが、まさに自らそれを実体験するとは思いもしなかった。


 そういえば『交際してあげる』とも言っていた。


「あと、交際って……?」


 彼女は、ネコ科の動物のように目を光らせて僕の手を掴んだ。僕は、彼女の手のぬくもりを感じて、こんな非日常なよく分からない状況であるにも関わらず胸が高鳴る。なんだかんだで、篠田さんは僕の想い人なのだ。


「だってあなた、いつも私の事、見つめていたではありませんか」


「す……すみません……」


 僕は恥ずかしさを覚えた。胸の高鳴りが一気に消えて、暗い気持ちになる。目の保養とばかりにチラチラ見ていたが、バレていたようだ。バレていないと思っていたのが、恥ずかしい。


「それに、私がシフトに入っている曜日にだけ、アルバイト先の喫茶店に来られていたではありませんか。私を……目当てに……つまりは、そういうことなのですよね? 違いますか?」


「ち……違い……ません……すみません。本当にすみません」


 僕は頭を下げて謝罪する。とても、恥ずかしい。穴があったら入りたい気持ちだ。


「いいのです。私も実地調査として子会社が運営している店舗でワンシーズンだけ働いてから辞めるつもりだったのです。でも、同じ予備校で見覚えのある、あなたが通い続けてくれましたから勤務を継続していたのです」


「え?」


 もしかして、それはつまり両想いだったという事なのか。僕は現在の異常な状況を、この時ばかりは度外視して純粋に喜んでしまった。男という生き物が全てそうなのかは知る由もないが、僕という男は、単純で馬鹿なのである。それは自覚している。


「実は当初、チラチラと視線を送ってこられます、あなたのことを気持ち悪い人だと感じていました。私のバイト先にも、私の出勤日にピンポイントで通われるようになったあなたに不快感を持っていたのです。しかし、なのにどうして、勤務期間を継続したのか、自分自身分かりませんでした。そしていつしか、私の出勤する曜日にあなたが来店されなくなりまして……混乱しました。正直、ショックでした。私に興味が無くなったのだろうかと、心にポッカリと穴が空いたような気にさえなり、食事も喉を通らなくなって眠れなくもなりました。病院で睡眠薬を処方してもらった次第です。情緒不安定になったようなのです。そして、苦しんだ挙句、私はあなたに恋していた事に、ようやく気付いたのです。私が誰かに恋心を抱くなんて、自分でも信じられない事でした」


「……何と言えばいいのか分かりませんが。本当にすみませんでした。あと店に行かなかったのは実は、出入り禁止になっていまして……」


 モンスター娘のせいで、出禁をくらったのだ。


「ええ。存じています。元店長から、そう聞きました」


「元?」


「はい。彼は今頃、海の藻屑となっている事でしょう」


「え? え? え?」


 篠田さんは、一体なにを言っているのだろう。


「山か海か、せめてもの情けとして、どちらかは選ばせてあげました。そして海を選択なさったのです」


「仰っている事が、どういう意味なのかよく分かりませんが、まさかですが、死んだ、という事でしょうか」


 彼女は小悪魔的な笑みを浮かべたまま、首を傾げる。


「さあ……運が良ければどこかで生きている事でしょう。さあ、こんな話はもうやめて、明るい未来について話し合いましょうよ」


「………………」


 僕は片想いだった目の前の彼女に、何やらとてつもなく深い闇があることを感じ取った。僕の理性は彼女と接近したがっている一方、本能はどういうわけか拒絶反応を示している。ヤバイぞ、と警鐘を鳴らし続けているのだ。


「私は法的にもうOKなのですが、あなたは後1年間ですわよね。待ち遠しいです。本当に待ち遠しく思います」


「1年間……それは一体?」


 1年後に一体、何があるというのだろうか。


「正確には1年と56日」


「1年と……56日……」


 まさか……。


 ある可能性に思い至った。


「ほら、あなたは今16歳ではありませんか。56日後に17歳になり、さらに1年が経過すれば18歳になるわけですよね。女は16歳以上。男は18歳以上。ようやく一緒になれます」


「あの。それは、結婚ということなのでしょうか」


 恐る恐る確認してみた。


「何を仰っているのやら。勿論、そうではありませんか。私たち、お付き合いをするのですから」


 どうやら彼女は、まだ交際もしていない僕と、結婚する気でいるようだ。


「あの。僕は、まぁ交際に関しては願ったり叶ったりといいますか、望んでいたところもあったりするのですが、さすがに結婚までは……」


 全く、考えていない。そりゃあ、いつかは結婚したいと思っているが、それは高校、大学を卒業して、社会人となって一人前になってからだと考えている。


 僕が押し黙っていると篠田さんは僕の腕を握ってきた。しかも、ものすごい握力で。


「まさか……まさかですが。私とのこと……遊びだったのですか? 私のことをちらちらと見つめてらしたのも、店に通われてましたのも、全て遊びだったのですか?」


 目を見ると、瞳孔が開いている。


 なんだか怖い。


「あ、遊びと言いますか何と言いますか……」


 皮膚に、彼女の爪が食い込んできた。激痛が走り、血も出てきた。


「痛いっ! は……放して、ください」


 しかし、彼女は放してくれない。


「どうなのですか! 正直に仰ってください! 私の心を、弄んだのですか! 私の心を……どうなのですか! お答えください」


 篠田さんは真剣な表情で僕を責めてくる。まだ交際もしていないのに、まるで浮気がバレた結婚秒読みなカップルの修羅場のような空気だ。とにかく宥めなくてはいけない。


「弄んだりなんてしていません。だ、だだだ、断じて、そんな事はしていませんよっ」


 真剣な目で見つめながらそう言うと、彼女の手の力が緩んだ。


「ほっ、良かったです。私、もし遊びと仰られていたのでしたら、あなたのこと、殺していたところでした。女の子をからかっちゃ、だ・め・で・す・よ」


 ………………。


 今、僕の背筋から、冷たい汗が流れ落ちた。


「あの、そろそろ、家に帰りたいのですが」


 おうちに帰りたい。泣きそうになってきた。


 しかし、篠田さんは帰してくれなかった。


「どうしてでしょう? 今週末は、義父様も、義母様も、妹さんも家にはいないはずですよ。再来週の火曜日まではご両親はどちらも仕事の関係でアメリカのロスに滞在されております。一方、妹さんの方は本日、友人宅でお泊りの予定ですよね。更に妹さん、来週末は部の宿泊合宿もありますよね」


「どうして僕しか知らない家族の事情を!」


 なぜ知っているのだ、そんなプライベートな情報を!


「うふふふふ。調べましたの。だから、お家に帰られても一人ぼっちです。なので、遠慮なさらないで下さい。そして、もうしばらく、お眠りになられていて下さい」


「え、え……ちょ、ちょっと……」


 彼女はポケットからナイロン袋を取り出し、中にあったハンカチを手に持つと、僕の口に当ててきた。どこにそんな力があるのかというくらい力強い。細い腕なのに、僕よりも腕力があるようだ。


 なにかの薬品のような匂いを感じた直後、僕は再び眠気に襲われて、瞼が落ちてしまった。


 その後、僕と篠田さんはオランダの某会社が提供している小型ロケットで『宇宙旅行』なるものをしてから帰宅した。


 まさか、近くの遊園地にジェットコースターでも乗りに行くか的なノリで宇宙に行くとは思ってもいなかったので、週末を終えても、本当に宇宙に行ったという実感はなかった。ただただ、地球は青かった事だけは鮮明に覚えている。


 そして、再び予備校のある曜日がやってきた。

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