モンスター娘(4)

 日曜日、僕は彼女と近くでも最も人の多い繁華街で待ち合わせをした。合流後すぐに近くの百貨店内の雑貨屋を訪れて、『痴漢撃退用スプレー・メガシミール』を購入してあげる。


 レジで代金を払った後、商品の入った袋を渡してあげたら、彼女はそれを宝物のようにギュっと抱き締め、天使のような笑顔でお礼を言った。馬鹿な僕は、嬉しい気持ちになった。自分でいうのもなんだが、僕の学習能力は平均以下なのかもしれない。


「スタンガンじゃなくて、危なくなったらこれを使うんだよ。スタンガンは、君に常識というものが芽生えるまで使っちゃダメだ」


「えー。そんなあ」


 彼女は顔をしかめてみせた。


「このスプレーは、ダーリンからの初めてのプレゼントだから、勿体無くて使えませんよーだ。べーだ、べーだ。ずっと使わずに大事に宝物箱の中に保管しておくからね。えいや」


 プシューという音と同時に、僕は腕で目を被った。彼女は、使わないと言いながらも、さっそく僕に向けて使ってきやがった。


「だーーかーーらーー。僕に使うな! 有言実行ではなく有言不実行だ。いや、君の場合は有言逆実行だな。ふふーん。とはいえ、君の行動パターンは、ここ数日間の付き合いとはいえ、ある程度は読めてきたよ。そう簡単に、くらってたまるか」


 目潰し攻撃を回避できたのは、彼女のモンスター属性を把握していたからである。女の子には、ヤンデレやらツンデレなどの色々な属性があるが、彼女の属性はそれらのどれにも属さない。ただただ、頭がおかしい人なのだ。


 そんな彼女と会話を強いられている現在、僕にとって不運だという表現でしか言い表せないだろう。


「ムームー。ブサッチョロのくせにー。生意気だぞ! 効果を試させてくれたっていいじゃんか。この、ケチンボめー」


 プシュー。プシューとスプレー攻撃を繰り返してくる。僕はそれらを全て回避した。こうなる事を見越して用意しておいた、ゴーグルをつけたのだ。


「だったら、自分自身で試せっ」


「痛いから、ヤーに決まってんじゃないか」


「僕だって痛いんだ!」


 約束事を果したと言ってその後、すぐに帰ろうとするが彼女はそれを拒否してくる。仕方なく、しばらく一緒にいる事にした。そして、会話が飲食店の話題となって、僕が週に四回は通っている喫茶店があることを話したところ、彼女は興味津々といった様子で行きたいとせがんできた。現在地から距離的にもそれほど遠くなかったので、渋々ながらも店に連れていくことになった。


 なお、実は僕がこの喫茶店に通っているのは一目惚れしているアルバイトの女の子が働いているからだ。そうでなければ、高校生ごときの小遣いで、わざわざ週四回も喫茶店に通ったりはしない。その女の子とは予備校が一緒だ。予備校では話しかけた事もないが、たまに喫茶店内で、彼女がオーダーを取りに来た時に交わす僅かな言葉が妙に嬉しく感じる。僕にとっての高嶺の花な存在であるその子は今日は休みの曜日で、このモンスター娘を連れてきても問題はないと判断して、入店した。


 片想いの子であるが、異性と一緒にいるところを見られたくないと思う心理は男女関係なく、きっと誰にでもあるはずだろう。


 僕とモンスター娘は、どちらもコーヒーとケーキを注文した。


「洒落たお店じゃない。ダーリンは、全てにおいて駄目駄目かつブッサイクな奴だけど、喫茶店を見極める目だけは確かなようだねー」


 さりげなく、僕を貶める発言をした彼女を、じろりと睨みつける。


「ブサイクで駄目駄目だと思っているのなら、もう僕に執着するなよ」


「なんだよ、なんだよ。女の子にチヤホヤされて、嫌がる男子なんているのかよー」


「相手にもよるでしょう」


 鼻で笑いながら言った。すると、彼女は顔をみるみる赤らめていく。


「ムッカー。それはつまり、私にチヤホヤされても嬉しくないってことかい。不愉快だ。私は不愉快だぞー! あやまれー。あやまれー」


「はいはい。ごめんなさい」


「駄目。万年許さない」


「結局、あやまっても意味ないじゃーん」


 そんなこんなで、僕と彼女が不毛な掛け合いをしていたところ、ピタリと、彼女は停止した。


 どうしたのだろうか。


「どうしたの?」


「パパラッチがいる」


 そう小声で言ってきた。


「は?」


「誰かが、私たちの様子を撮っているんだよ」


「は? はあ? なんで、また」


 僕は首を傾げてみせた。


「私をねーちゃんとでも勘違いして、出版社に撮った写真を売りつける気かもしれねー。恋愛禁止のアイドルが男と密会とかなんとかって売り込んでさ。そういうカスなパパラッチがこの世には大勢いるんだよ。この店内の、どこかにいるっ!」


「ええぇー。勘違いじゃないの?」


 僕は周囲を見回した。しかし、なんの以上もないように思える。


「いーや、視線を感じた。カメラ越し独特の視線を感じたっ! 間違いないっ」


「僕にはそんな気配は感じなかったけど。ねえ……ちょっと……」


 彼女は勢いよく立ち上がると、一人で歩いていき、太っちょで人気アニメ少女キャラの顔がドアップで描かれたTシャツを着ている強者――秋葉原でも見かけないだろう、明らかなオタクの前で立ち止まった。そして……。


「没収ー」


「ナリ? なんナリか、君は?」


「てめー、さっき、そのスマートフォンで、私を撮影していただろー。だから、没収ー」


 男性は不思議そうな目でモンスターを見つめた。


「ナリ? 何言っちゃってるナリ、この子。そんなわけわからないこと言ってたら、ユーを今夜の僕ちゃんのオカズにしちゃうナリよおぉぉ……」


「おらああ」


「へぶし!」


 モンスター娘は、男にワンパンを食らわせた。殴りやがった! そして、スマートフォンを奪い取った。


「証拠は揃ってんだ! ほーら、カメラのデータ内に……、な、なんだ、これ!」


 勝手にスマートフォンの画像データを確認していたところ、なにかしらの映像をみて、驚いたようだ。


「コスプレとパンツの写真が、たくさんあるっ!」


 後ろから覗くと、目の前の男のコスプレした姿と、女性のパンツばかりが撮られていた。


「リアル盗撮クセー写真がたくさんあるけど、私を盗撮した写真はないみたいだね。動画も」


「だったら、返してほしいナリー」


 男が殴られた頬を抑えながら、言った。


「しかし有罪、処刑ー! コスプレがキモ過ぎだからっ」


 彼女はスマホからカードのようなものを出すとポキンと地面に捨てて、蹴り折った。オタクは目を剥いた。


「あああ! なんて事してくれるナリ~。僕のスマホデータカードが! ひどい、ひどすぎるナリ~」


 明らかに盗撮していたと思われるので、そこまで同情はしなかった。顔を覚えて、警察に通報しておこう……。


 モンスター娘は、てくてくと歩いて、次は二人組の女性のいる席の前で立ち止まった。じっと、見つめている。


「な~~に」


 二人組の一人が、笑顔で聞いた。止めに入ろうとした僕だったが、彼女らの顔を見て、体が硬直した。彼女達ではなく彼らだったのだ。


「さっき、私たちを盗撮していただろう」


「してないわ。そんなことするわけないじゃないの」


 モンスター娘と彼等は、じっと見つめ合った。女と思っていた二人は、どちらも男性のオカマさんたちだった。なぜかどちらも、わざわざ濃いヒゲを生やしていた。


「ほ、本当だぁ。す、すみません。あなたたちじゃないみたいですね。オカマさんに悪い事をする人なんていません」


 彼女はあっさりと非を求めて、申し訳なさそうに体を折り曲げた。これは偏見ではないだろうか。腑に落ちない。


 次に彼女は、スポーツ新聞を読んでいるサラリーマン風な中年男性の座席まで歩いていった。店内には三組の客がいたので、話しかける最後の客となる。


「残りはあんたしかいないわけだ。おっさん。消去法で犯人はお前に決定だ。白状しろー。自白する猶予くらいは待って………………やらねーけどーよっ」


 モンスター娘は、片方の靴を脱ぐと、それを投げつけた。靴は男の頭の上に、カポンと落下した。


 ………………。


 男が持ち上げていた新聞を下げた時、僕はぎょっとした。現れた顔があまりにもアレだったからだ。極道だ。典型的な極道顔だ。高級スーツと高級時計をしていた。


 男は、如何にもカタギではなさそうな様子で、すごんできた。


「おいおい、何言っちゃてくれてんの、おじょーちゃん。おじちゃん、普段は温厚だけど、ことによっちゃ……っておい」


「盗撮したこと白状しねーと、卓袱台返しすっぞごらああ。ごらあああ」


「し、正気か、おじょーちゃん。や、やめろ。やめねえか。うぐぐぐっぐぐ……」


 彼女は思いっきりテーブルをひっくり返そうとし、ヤクザ風の男がテーブルを押さえつけるという奇妙な光景が現われた。


 僕は、はらはらしながら事の成り行きを見守った。完全に彼女を止めに出るタイミングを外してしまった。


 5分後、僕と彼女は店から追い出されていた。さらに店長に、もう二度と来ないでもらいたいと言われ、出入り禁止となった。まさか、あのタイミングで、あの怖そうな男に目潰しスプレーを炸裂させるとは……。


「お、お前! なんて事してくれんだ。ここは僕にとって特別な癒しの場だったんだぞー」


「ダーリン、いいじゃないか。こんなクソ喫茶なんてさー。もっといいところは幾らでもあるって」


 全く悪びれていない彼女の態度に激昂して、僕の頭から湯気が出てきた。怒りMAXだ。


「ふざけんな。ふざけんな! ふざけんなーーー。そもそも、盗撮された気配なんて、そんなの普通、感じれるものかよっ。気付くものかよっ。お前はシックスセンスでも持っているのか! この脳味噌どてカボチャめ! 帰る。僕はもーーーう、帰るっ!」


「待ってよ、ダーリン」


「ついてくんなああ! この、うそつき女。疫病神」


「そんなああ」


 僕の憩いの場が、なくなってしまった。帰り道、自然と涙を流してしまった。男泣きだ。


 しかし後日、ゴシップ週刊誌に、本当に僕たちが喫茶店にいた時の写真が掲載された。彼女の言っていた通りに『アイドルの姉が僕という高校生と密会をして、愛を育んでいる』という内容の記事だった。事務所などが出版社に問い合わせるなど色々手を尽くして調べた結果、盗撮の犯人は、どうやら喫茶店の店長だったようである。野球賭博で多額の借金をしてしまい、お金が必要だったという事である。


 その週刊誌を読んだ僕は、彼女に頭を下げに行った。


 その後、彼女は足しげく僕の教室に通うようになった。僕はその度に、彼女の悪ふざけに振り回されるハメになった。

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