モンスター娘(3)

 この時の僕は、もう彼女と関わり合う事はないと思っていた。しかし、その考えは、翌日の三限目の休憩時間に、脆くも崩れた。


「……なに?」


 彼女は、教室にある僕の机の前でしゃがみ込んでいた。顎を机の上にのせた姿勢で、じっと僕を見上げている。


「やっと私に話しかけてくれたねぇ。いやったあああ。きゃほっほほーい」


 両腕を挙げて、そう喜びながらジャンプまでしている。クラスメイトたちが、僕と彼女を珍獣でも見るような目で注目してくる。しかし彼女は、人目を全く気にする様子はないようだ。


「ねえねえ、お願いがあるのよ。私と交際してくれないかな?」


 すると『おおー』、とクラスメイトの何人かが声を出す。


 僕は慌てて、周囲を見回した。今度は、好奇な視線を向けられている。特に女子の目がキラキラしている。彼女らは恋バナが大好物だ。


「も、もしかしてまた……罰ゲーム?」


「ううん。違うよ。本気告白」


「……。僕のどこが、気にいったの?」


「ひ・み・つ。えいっ!」


「ぎゃああああ」


 彼女は、ジャンケンのチョキを作って、目つぶしを仕掛けてきた。意味が分からない。


「あははははは」


「何するんだよー」


「これが私の告白方法なのお。君がブサイクなのも、目をつぶれば受け入れてやれると思うんだもん。顔が見えなけりゃ平気という道理なのさ」


「だったら、僕の目じゃなく、自分の目をつぶせー。ブサイクな顔が見たくないからといって、相手の目を潰してなんになるんだ」


 それに、そこまでブサイクではないと自負している……けれど、どうなのだろう。僕が自分自身で平均的だと思っているだけで、もしかすると、周りからはブサイクだと思われているのかもしれない。


「私の告白を受け入れてええええ。イエスと言ってくれるまでやめないぞおおおー。えいや、えいや!」


 モンスターは引き続き、目潰しを仕掛けてくる。


「やめて! 失明しちゃうから! 本当に失明しちゃうから」


「あははは、あはははー」


 僕は目をガードしながらも彼女の腕を掴んだ。クラスメイトたちの姿を見ると、どうやら僕たちがただじゃれ合っているだけと認識しているようだ。微笑ましい笑みを送ってくる。


 『教室でかわいい女子とじゃれあう』……それは僕にとってずっと憧れていた事だった。いや、僕だけじゃなく男子生徒であれば誰もが夢見るシチュエーションだろう。しかし、僕は知っている。僕が掴んでいる腕を引き離そうとしている彼女は、本気で僕を失明させにかかってきている事を。なぜなら力の躊躇が全くなかったからだ。


 嫌な汗が出てきた。


「つ……つきあうから! だから、やめて!」


 僕がそう言うと、彼女は満面の笑みを浮かべた。そして僕に抱きついてきた。いい匂いがした。


「わーいわーい。やっほーーーい。だったらこれからは、ずっと君の事をダーリンって呼ばせてねん。それからね、それからね……」


「えいっ!」


 僕は彼女の話が終わる前に、人差し指で彼女の頬を突いた。


 頬のプニョンとした弾力が素晴らしい。女性の体は、どうしてこうまで柔らかいのだろうかと、不覚にも感動を覚えた。


 しかしだ……。


 彼女は、頭にクエスチョンマークを浮かべながら、僕を見返した。


「はいっ。突っつき合った!」


「はにゃ? どういう意味かにゃ?」


「だから、『つ……つきあった』のさ。僕達、『つっつきあった』わけ」


 僕はさらに二度、三度と彼女の頬を突っついた。最初こそ、意味が分からないといった顔をしていた彼女も、ようやく僕の言っていることの意図に気付くと、頬を膨らませて睨んできた。


 ちょうどその時、四時限目を知らせるチャイムが鳴った。彼女は教室の壁にかけられた時計を見た後、恨めし気に僕をもう一度睨んでから、教室を出ていった。


 この日、彼女は休み時間になるごとに、僕に会いに来た。そして放課後、僕と彼女は一緒に帰路についている。僕は、隣を歩いている彼女に訊いた。


「ねえ。君の家って、どこにあるの?」


「はあ? ブサイクのくせに、女の住所を訊いてんじゃないよ。こえー、こえー。一体、何を企んでるんだー」


 僕は苦いものを食べた時のような、顔を作った。


「君に、それを言われたくないよ! 僕が知りたいのは、帰宅方向が同じかどうかなんだ」


「帰宅方向? ううん。正反対」


 一緒に帰路についているとはいえ、僕は彼女の同行を許可していない。


 つまり、彼女は一方的に、僕の隣を歩いているということになる。


「やっぱりっ! だって僕は君を、これまでの通学中に一度だって見た事がなかったんだから。というか、僕についてこないでよ」


「私は今、単に遠回りして自分ちに帰っているところなんだけどー。ああん? 道路は君の所有物なのかい? 私がどこをどう歩こうが、私の勝手じゃないのかい。自意識過剰じゃないのかなー」


「だったら、僕が立ち止まったら、君も立ち止まるのは変でしょう」


 僕がそう言って立ち止まったところ、彼女は僕の片腕に、ぎゅっと抱きついてきた。


「ふっふっふ。実は、君の後をストーキングしながらついていたんだよ。というか、後というより『隣』をだけどね。鬱陶しいのなら、私と交際するってコクればいいよ。そしたら、付き合ってあげるから」


「あれ? あれれ? 結局、ついてくるの? というか、何で僕が告白しなくちゃいけないわけ? 僕は君の事が嫌いなのに?」


 不思議な生き物を見るかのように、彼女を見つめる。


「なんで? なんで?」


「だって君、顔はめっちゃ可愛いけど、中身はめっちゃモンスターなんだもん」


 もしくは、サイコパスともいえる。


 正直、僕は隣の女の子に恐怖を覚えていた。ラブコメのジャンルでの漫画やアニメなんかでいえば、今回の僕のような立ち位置は『おいしい』『困らされている反面、羨ましくもある』なんてことになるのわけだが、そんな感情の一切がない。むしろホラーのジャンルだと訂正するだろう。


「ムー。人をモンスター呼ばわりするなんて、ひどい。女の子にそんなこと言っちゃ、傷つくんだからね。ダーリンのバカ! バカバカバカ」


「僕……ダーリンになんて、なってないけど……。腕から、離れてくれないかな……」


『つっ、つきあう』のネタも、もう終わったしね。


「やだよ。やだもん。だったらね、だったら、手をつないで、あそこの電柱まで一緒に歩いてくれる? そしたら……もう一人で帰るから……」


 彼女は頬を赤らめながら、遠くに見える電信柱を指し、呟くように言った。その姿が、不覚にもとても可愛らしく思えて、僕の馬鹿な胸がキュンキュンした。しかし、一方で理性も働いて、この女の事を拒絶している。背筋から冷汗が流れた。


「手……手をつないで、少し歩くだけなら、いいよ。だったら、手をつないで歩こうか。そして早めに終わらせよう」


 そう言って、彼女の手を握り数メートルほど歩いた時だった。彼女は、ぎゅっと力強く僕の手を握ってきた。その直後、僕の体に衝撃が走った……。


「うぎゃあああああああああああ」


 体中がビリビリした。ペタンと地面に尻をつく。隣では、汗をかいて、彼女も倒れ込んでいた。


「いたたあああああい。ダーリン。超痛かったね」


 ニコリと微笑んでいる。手はぎゅっと握ったままだ。


 僕は混乱しながら聞いた。


「な、なに? 何が起きたの?」


「護身用で持っていたスタンガンを、自分に向けて撃ち込んじゃった。えへ」


「えへ、じゃねーーー。危ないだろう。君越しに、不可解な電気が流れてきたのはそのせいだったのか! 一体、何してんだよ。何を考えてるんだよ」


 僕は慌てて、手を離す。


「だって、ブサイクでチョロいダーリンとの、繋がりを感じたかったんだもん。大丈夫だよ、ダーリン。電流の強さは『中』にしておいたから」


「なんで、弱にしない! せめて、弱にしろよ」


 わけのわからない抗議をしながら、後ずさる。


「ショック療法。ショック療法。考えを変えさせるにはショック療法が一番なのさ。あははは」


「ショック療法って言葉は知ってるけどさ、君、具体的な治療法を知らないでしょ」


 そう指摘すると、彼女は頬を膨らませる。


 スタンガンを使ったショック療法だなんて、聞いたことがない。


「ムー、知ってるよ、ダーリン。疑り深いなあ。ショック療法ってのは、こういう事だよ。えい」


 彼女はスタンガンの先端を僕にあててきた。


 その瞬間、衝撃が流れる。


「ぎゃああああ、痺れるー。やめて! 本当にやめて!」


 僕は慌てて彼女を引き剥がして、距離を取った。


 恐ろしい……目の前には恐ろしいモンスターがいる。


「ショック療法で気が変わった? 弱ならいいって言ったもんねー。どれだけでもいいって言ったもんねー」


「言ってねええええーー」


「恋人になりたいと言ってくれるまで、ショック療法を続けちゃう! そしたら、いずれは、恋人になってください、と土下座して言ってもらえる算段なのです。むふふふふ」


「それはショック療法じゃなくて、『脅し』だ。僕の中で暴落していた君の株が、更に暴落したぞ。大暴落だっ!」


 近づいてきたので、さらに後退して距離を取った。


「いやん。それはダメー。もうしないからさー」


「絶対にするなよ。というか、どうしてスタンガンなんて持ち歩いているんだ。そんなの学校に持ってきて、持ち物検査にひっかかったりしないのっ」


「だから護身用なんだって。私みたいな美少女クラスにもなると、世の中のど変態どもが、うじゃうじゃとこのナイスバディーを狙ってくるからさ。それに、何より、ダーリンに心配かけたくないという気持ちが、保持しさせた動機なわけなのよ」


「僕の為にスタンガン持ち始めました的な事を言ってるけど、僕と知り合うずっと前から持っていただろうっ!」


 少女は照れたように頭を掻いた。


「えへ。バレちゃったか。でも、私が一人で、何も持たずに夜道を歩いていたら、ダーリンは心配だと思わない?」


「………………別に心配だと思わない……」


 正直に答えると、少女は不満げに睨んできた。


「ムムムームムムー」


「というか、夜中に出歩かなけりゃいいだけじゃないか」


「ダーリンの意地悪! エテ吉めぇ。お月さまに代わってお仕置きよ」


 彼女は、再び僕にスタンガンを向けて突進してきた。


 平均的な僕は回避に失敗して、その攻撃を受けてしまう。


「うぎゃああああ、痺れるー。月に代わってお仕置きしないでー。というか、お仕置きされるような事してないー。やめろおお」


「あははははは。カ○ムル使えるようになるまで充電してあげるよ。あははは」


「やめろおおお。犯罪だから。それ、犯罪だからああああ。さっき絶対にしないと、言ったばかりじゃないかー」


 電撃ビリビリから逃れると、僕は臨戦態勢をとる。


 やはりホラーだ。どんなに可愛い女の子だとしても、彼女とはラブコメが成立しない。


「そんな数十秒前の事なんて覚えてませーん。記憶にございませーん。あははははは」


「やめろおおお。本気でやめろおおお」


 走って逃げるも、悔しい事に、彼女の足は僕よりも速かった。


 この日、僕は次の日曜日に彼女とデートする約束を交す事で、ようやく電撃ビリビリから解放された。なお、スタンガンは没収した。代わりにデート時に、目潰し用のスプレーを買ってあげるという約束も取り交わした。

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