モンスター娘(2)

 学校の玄関の下駄箱前で外履きに履き替えていた時、エントランスに名前も知らない『元彼女』が立っているのが見えた。昨日までなら恋人同士の間柄だが、今日の僕達は赤の他人同士だ。なので、無視して行こうと思ったが、彼女は僕を見つけると、手を振ってきた。しかし、僕は無視を継続する。


「こらー。無視するなあー。こっちこーい。待ってたんだぞー」


「今日の僕達はもう何の関係もないはずでしょ?」


 大声で呼びかけてくるので、僕は仕方なく振り向いて、言った。彼女は頬を膨らましている。


「なによ、なによ! 昨日はずっと同じ部屋の空気を肺に入れ合い続けた仲なのにぃー。密室で過ごし合った仲なのにぃー」


「僕は君と、廊下で会ったのを最後に、一度も顔を合わせていなかったはずだけど」


 実際、彼女とは会っていない。


「うふふふふ。本当にそう思ってる?」


 彼女は不敵に笑った。


「昨日、なぜか、閉まっていたはずのブサチョロダーリンの部屋の窓が、開いていたりしなかった?」


 ………………。


 僕は絶句した。確かに昨晩、晩飯を食べに台所に行って、自室に戻ってきた時、閉めていたはずの窓が開いていた。


 僕には妹がいる。窓が開いていた事を不思議に思ったが、妹が勝手に僕の部屋に入って、窓を開けたのだろうと、特に問題視はしなかった。


「ピンポコポーン! その通りでーす! 大正解ぃー」


「待って待って! 僕はまだ何も答えてないよ。なんで大正解した、と分かるんだいっ!」


「私はダーリンの、その不安そうな顔を見ただけで、全てを察した、と分かったのです。そうです。昨日、部屋に侵入して、押し入れに朝まで、ずっといたのは、なんと私なのでしたー」


 そう元気に答える。


 ちなみにというか、言うまでも無く、それは犯罪だ。不法侵入という犯罪である。


「は……はあ。冗談でしょ? 押入れってなに。なんなのさ。僕にはさっぱり意味が分からないよ」


「そう言うだろうと思ってね、押し入れの壁に証拠のサインを残しておいたよ。油性ペンでね」


「………………本当、なの?」


「いやあ。押し入れの隙間から、色々と貴重なものを拝見させてもらいますた。特に、午前零時半頃に……」


「ま、まさか。あれを見たのかあああ!」


 僕は赤面した。


「待って! 最初に言うけど、全世界の健全な男子であれば、誰でも同じことをしているから。つーか、問題の本質はそこじゃないから! なんだよ君、まさか本気の本気で、僕の部屋の押し入れにいたっていうのかよ。一晩中いたの? 何を目的に? 一体、僕の家……僕の部屋の位置をどうやって知ったんだよっ!」


「聖徳太子じゃないんだから、一度に言われても答え切れませーん」


「だったら、まず、どうやって僕の家と部屋の位置を知ったんだ」


「それは、ダーリンのお友達さんに聞いたからでーす」


 一体誰に聞いたのか分からないが、その何者かに怒りを覚える。もっとも、一番怒りを覚えているのは、目の前の『キチガイ』にだ。


「不法侵入だぞ! 犯罪なんだぞ、そういうのっ!」


 そう怒鳴ると、ペロリと舌を出す。これまでの経緯がなければ、かわいいと思える仕草だが、正直背筋がゾクっとした。


「だって私たち交際中だったじゃない。彼女だったら、彼氏が浮気してないかどうか、こっそり調べたっておかしい事じゃないと思うの。ちなみに目的は浮気調査と、ダーリンの生態系調査でーす。なお、これは昨日の放課後に、友だちと再び行ったウノで負けた追加の罰ゲームの一環なのでした」


「僕達の場合は、事情が違うでしょうー! そして、どんな過激な罰ゲームを設定してゲームを行ってんだー」


 ウノの罰ゲームで、他人の家に侵入して一晩過ごすだなんて、どれだけハードな罰ゲームなのだ。


 それ以前に、仮に交際しているという事情があったとしても、不法侵入は犯罪である。


「あと、これこれ。これも証拠品&戦利品ですぞ」


「こ、これはまさか!」


「そうですぞ。ダーリンの部屋のゴミ箱から採取&ゲットしたものですぞ」


 彼女がポケットから取り出したものを見て、僕は目を剥いた。


「返してー」


「だめよぉーだめだめ。記念品としてずっと持っているつもりなんだもん。あはははは」


 僕はこの時、理解した。目の前の彼女は、ちょっとやそっと級のイタイ系な女の子ではないという事を。まさに、モンスター級である。決して関わっちゃイカンお人なのだと。


 容姿端麗なのが勿体なさすぎる。いや、神は平等だ。性格と容姿を合わせる事で、この子の魅力がプラスマイナスゼロになっているのだろう。まあ、今の僕にとっては、断然マイナス幅の大きいけれど……。


 僕はすぐにこの場から立ち去り、目の前の女の子とは今後関り合わないことにするべきだと悟った。


「どうしたの、ダーリン? 急に黙りこんじゃって」


「僕をダーリンだなんて呼ぶなよ。もう、昨日で交際は終わったはずだよ。今の僕達は何の関係もない」


 そう言うと、女の子は困ったような顔をした。


「そうなんだけどさ……。ほら、私達って告白し、告白された仲じゃない。せっかく、一度は付き合ってあげたんだから」


「なんだか、僕から告白したみたいな言い方だねー! もう帰る。はっきり言うけど、僕は君の事が大嫌いだ。だから、無視する。今後、何があろうと、僕は君を無視すると今、断言しておくよ。つまり、僕にとって君は……空気だ」


「く、空気?」


「じゃあね、ばいばい空気さん。もう、二度と言葉も交わさないと思うけどさ。話しかけられても、空気だけに無視しちゃうから」


 なぜか顔を真っ青にしている少女を一瞥した後、僕は踵を返して、帰路に着いた。


 そして、校門をくぐろうとしていた時だ。後ろから足音が聞こえた。


 たぶん、あのモンスター娘だろう。しかし、無視すると言った手前、振り向かない。有言実行なのだ。もう、二度と関わらないのだ。


 足音は止まり、そして――ジャバアアン。


「う、うわあああ。なんだー」


 頭から水を……水をぶっかけられた。驚愕しながら振り向くと、空になったバケツを持ちながら、涙目でシナを作って、モジモジしている彼女がいた。不覚なことではあるが、僕はその姿に、一瞬ときめいてしまった。


「な、何をするんだよ」


「だってさー、ダーリン。女の子はね、無視されるのが、一番傷つくんだからね。特に、気になっている人に」


「ご……めん」


 なぜか、謝った。


 彼女は、上目遣いに頬を膨らませながら近づいてきた。ツンデレと言うのだろうか、再び不覚にも可愛いと思ってしまう馬鹿な僕がいる。


 とはいえ、なにせ相手は人気において、日本ナンバーワンなアイドルグループに在籍し、さらにその頂点にいる姉を持っており、容姿だけでいえば瓜二つなわけで……と、自分に言い訳をしたりなんか、する。


 彼女は、両手の平を合わせて、丸みを作った。手で水でもすくう時のような、そんな形だ。


「ダーリン。私のこの手の中を、見て」


「え? 見たけど……」


「ダーリン。そのまま目をつぶって!」


「え?」


 何を言われているのか理解できず、聞き返す。


 そんな僕を見つめながら、少女は頬を赤く染めながら言った。


「目をつぶってったら! 悪いと思ってるんだったら、目をつぶって! 顔の角度は、もうちょっとだけ下向きにして、目をつぶってっ」


「う、うん」


 まさかこのシチュエーションは、キス?

 そんな突然に!

 僕は目の前にいるのがモンスター娘だと、そう理解していながらも、彼女の言う通りにした。僕は健全な童貞だ。期待しても、誰も責めたりはできないだろう。


 目をつぶり、キスされやすいように、彼女の身長に合わせて若干、膝を折ったりなんてしてみる。唇に全ての神経を集中させた、その数秒後……。


「えいっ!」


 ガコン、という大きな音がした。


 痛い。


 音は、僕の頭に何かがぶつかった時に発せられた音だ。目を開けると真っ暗だった。バケツを頭からかぶせられたようだ。


「え? え?」


 混乱していたところ、バケツ越しにゴンゴンゴンゴンと衝撃が伝わった。殴られているのだ。


「おらおらおらおらおらおろあらおらおらおろあらおらおらおらおらあああ」


「やめてぇー」


 手でバケツごとガードするが僕の手を避けて、攻撃してきているようで、衝撃が伝わり続ける。


「おらおらおららおらおらおらおらおらおろあおらおろあおらおらおろあらおろらああああ。だって無視するんだもん。私の純血を返せえええ。純血を返しやがれー」


「純血なんてもらってなーーーいぃぃぃ」


 バケツが防具のような役割を果たして、痛みこそないが、心理的な恐怖があった。


 まず、どうして僕が目の前(にいるはず)の女の子に攻撃されているのか、さっぱり分からない。理解不能だ。


 後退したところ、何かにつまずいて、背中から倒れた。その衝撃で、バケツが外れた。


「な、何をするんだ!」


 強く抗議した。


 一方の彼女は、再びシナを作ってブリブリしていた。


 こ……こいつ。


「だってだって、ダーリンが私を無視するって言うんだもん。空気な私が、ダーリンに気づいてもらうためには、こうするくらいしか方法、ないじゃない」


「他にも方法あるでしょうーー!」


 変な汗が出てきた。


 厄介な相手と関わってしまったという焦りもある。


「確実に気づいてもらいたかったんだもーん。これでチャラにしてあげるよ」


「チャラにしてあげるって。相対的に見て、僕の方が色々な意味で被害をこうむっているんだけど」


「ふーんだ。文句があるのなら、あればいいさ。私も二度と話しかけてやんないからね。無視してやる。君は、私の空気だ。空気くんだ」


 女の子はそう言って、そっぽを向いた。


 正直、僕は胸を撫で下ろしていた。彼女の方から、無視するというのなら、それで問題はなくなるはずだ。とにかく早く、家に帰りたい。


「は、はあ……じゃあ、そういうことで……」


 僕は尻をはたきながら、立ち上る。


「あんたなんて、全然好きじゃないんだからね!」


「うん……分かってるよ……」


「くぅううぅぅっ。何だかムカツクなあぁぁ。ばいばあーい」


 彼女は、ボコボコになったバケツを拾い上げると、僕をひと睨みして、校舎に走っていった。


 僕は彼女の後ろ姿を眺めながら、心に誓った。僕の自室は二階にある。だからといって窓の戸締りをしなくてもいいだなんて、二度と思わない事を。

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