モンスター娘(1)
ある平日の五時限目から六時限目の休憩時間の事だ。高校二学年の僕は、選択科目の美術の授業を受けに、廊下を歩いて美術室に移動していた。
背後から、かけてくる足音が聞こえた。この時はまさか、その足音の主が僕に用事があるだなんて思いもしなかった。
足音は徐々に近づいてきて、突如止った。そして、僕の背中に突然、重みが加わった。足音がしなくなったのは、何者かが僕の背中に飛び乗ったからだ。
「う、うわああ」
飛びつかれた勢いと驚きで、前に倒れそうになった。
「うははーうははー。いえええい」
「だ、誰?」
女の子の声だった。現在、僕の背中にしがみついているのは、女の子のようだ。しかし、僕の背中に飛び乗ってくる程、親しくしている女子生徒はいない。軽く混乱した。
「ねえねえ。びっくりした?」
「うん……ビックリした」
前を見ながらそう答える。
「だったら、私に惚れたね。君ぃ」
「は?」
「私に惚れたね、と言ってるんだよー。なんで聞こえねえんだよー。さては、君の耳にミミクソ溜まってるだろ。どれ、私がほじくって取り除いてあげよう。このマッキーで」
何者かは、僕の耳に何か太いものを入れようとしてくる。ただ、入らないため耳が、何かで叩かれているといった感じだ。僕は背中にくっついている女子を振り落とそうとしながら、叫んだ。
「やめてー。耳の中にマッキー、入れないでー」
「もう遅い。あははは。あははは」
「イタタタ。イタタタ。マッキーなんて太いの入らないって」
何なんだろう。僕の身に何が起きているのだろうか。空恐ろしく感じた。一体誰が、僕の背中にしがみついているのか、本気で見当が付かない。声にも聞き覚えがない。おそらく他のクラスの女子生徒だろう。
やがて、女の子はするすると僕の背中から降りた。振り向くと、先ず息を呑んだ。なぜなら、そこには『超絶』の形容詞が何百と頭についたとしても、納得できるほどのレベルの『美少女』がいたからだ。しかも彼女は学校内での有名人でもあった。
姉は国民的アイドルグループに所属しており、人気は断トツのナンバーワンである。その妹である目の前の女の子は、アイドルの姉と顔も体格も、まるで双子と思えるくらいに瓜二つで、入学式当初は勘違いした生徒が、大いに盛り上がっていた。僕は彼女と話した事は、これまでに一度もない。しかし例に洩れず、僕も、そういう女の子が同学年に在籍している事については知っていた。
ただし、彼女は、絶世×∞的な美少女であると同時に、悪い意味で、とても『ユニーク』だという噂も耳にしていた。
「な、なに? 僕に何か用事……ですか?」
「うん。用事はあるよ。ねえ、私と交際してよ」
「は?」
何を言っているのか分からず、首を傾げる。
「ねえねえ、お願いだよー。私と交際してよぉー。お願いだよー。後生の願いだよー」
「え? え?」
顔が熱くなってきた。もしかして、これは告白……というものなのだろうか。
思いがけない形での告白に、僕の頭の中は真っ白になる。
「早くお返事聞かせて。聞かせてくれなくちゃ、マッキーで突っついちゃうぞぉおお」
女の子は、再びマッキーで僕の耳を叩くように突いてくる。
「イタタ。やめて! 突っついちゃうぞおおって言いながら、本当に突っついてこないで!」
「わかったよぉ。だったら、こうだー」
「うわあ」
彼女は突然、僕のズボンに手をかけて、力一杯にずり落としてきた。その衝撃で、ベルトの金具の部分が壊れた。
「な、何するんだー。一体、何をするんだよ。新種のイジメ? イジメなの?」
僕はズボンを持ち上げながら抗議した。ベルトが壊れたので、手で押さえていないと再びズボンがズリ落ちる。彼女はそんな僕を見て、あははは、と笑っていた。
さらには、僕の手の塞がっているのを好機とばかりに、笑みを止めた後、今度はグーで僕の顔面をボカスカと殴ってきた。
「ばかやろおおお。私が、イジメをするような最低な奴に見えるのかっ! ばかやろおおお」
「やめて! なに、なんなの君」
僕はズボンを片手で持ちつつ、もう片方の手でガードするように、女の子のオデコを手で押しのける。僕の腕の方が長いようで、彼女のパンチは届かなくなった。
「このやろーー。私は、君にコクリにきたんだー。それなのに、イジメだなんて、心にもないことを言うから、怒ってるんだぞー! 許して欲しければ、あやまれーあやまれー」
「ご、ごめんなさい……」
「ダメ。千年許さない」
「えぇええええー。あやまれば許してくれるんじゃないの?」
「殴らせろー。私に殴らせろー」
周囲を見ると、やじ馬な生徒たちが何事だろうかと、こちらを見つめていた。とても恥ずかしい。
「一体なんなんだよー。本当は僕に何の用事なのっ!」
「だからコクリに来たんだって。だから早く返事を聞かせてよ! プンスカプンスカ! 時は金なり! 君は分かっているのかい。こうして、返事を待たせているだけで、私を拘束しているのと同義な事を。貴重な時間。つまりは有限ある時間を奪うのは、命を奪っているに等しいんだぞ。おらあ。だから殴らせろおお」
「なんだよーその上目線かつ理不尽な言い方は! わけが分らないよ」
全く、何が起きているのかが分らない。一つ分かった事といえば、噂通り、目の前のこの少女は美少女である一方、近づいてはいけないオカシナ人であるという事だ。
しかし、生まれてこのかた、一度も告白された経験のない僕としては、幾ら悪い噂のある女の子だとしても心が揺れた。相手は滅多にいないほどの美少女なのだ。
「ねえねえ。私と付き合ってよお。頼むよー。後生のお願いだからさ。君は、ただ、イエスと言うだけでいいの」
「コクルって、本当に僕で大丈夫なの? 僕は……何の取り柄もないんだけれど」
「知ってる。見ればわかる。くっそブッサイクなんだもん」
僕は眉を寄せた。
「ブ、ブッサイクって……別に容姿は平均的だと思うけど、というか……なんで、ブサイクだと思ってるのに、付き合いたいと思うのさ。僕の見た目だけで、取り柄がない事が分かられるのも、納得いかないなあ。これは、もしかして何かの冗談だったりするのかい?」
「ううん。違うよ」
女の子はかぶりを振った。そして、僕を奈落の底に突き落とすに足りる台詞を述べた。
「『冗談』じゃないよ。これは『罰ゲーム』なんだよ」
「へ?」
「君と交際するのは、友人たちとのウノに負けた、その罰ゲームなの。あははは」
「ば……罰ゲームかああああああああああああ」
そう言えば、廊下の奥で興味津々とばかりに、こちらに熱い視線を送っている5人の女子生徒たちがいる。彼女たちがその友人なのだろうか。
「ねえねえ。お願いだよ。罰ゲームなんかで付き合いたくないのは人情として分かるよ。君、くっそブサイクだから私だってイヤイヤなんだもん。でも、お互い変なプライドは捨てちゃっおうよおおお。私の罰ゲームに付き合って交際しておくれよぉおおおー。付き合ってくれなくちゃ、またマッキーで突っついちゃうぞおお。おらおらおらおら」
マッキーで、フェンシングのように突いてきた。
僕のHPがリアルに減っていく。
「いたたたた。やめてーー! つ、付き合ってられっか!」
さすがに怒った。
普段は温厚な僕でも、これは許せない。
「本気の告白だったら二つ返事でOKしてたけど、罰ゲームで僕に告白してきたような君とは付き合えない。断じて付き合えないからっ」
「了解。じゃあ、今日から、ハニーとダーリンって呼び合うって事でいいね。うわあーい」
万歳しながら喜んでいる。おいおーい。
「は・な・しを、聞いていたのかーーー」
「もう、照れちゃって。ブサ可愛いなあ。ダーリン」
「ダーリンもなにも、僕は君とは付き合えないから。少しくらい容姿端麗だからって、男が誰でも自分の思い通りになると思ったら大間違いだ。僕は君の事を心から軽蔑するよ。このクソ女! いや、訂正する。君はクソ以下だ」
「クソ以下……」
彼女は呆然と僕を見つめた後、肩を落とした。そして……。
「う……う……うわああああん」
その場で、泣き始めた。号泣だ。
「え? え? 泣く? 泣いちゃったの? ご、ごめん……ちょっとひどい事を言い過ぎちゃった。だから泣かないでよ」
女の子に泣かれた事なんてこれまでに一度もなく、僕はおろおろ、と慌てた。
「うぐうぐ……だ、だったら……。罰ゲームで、ぎょ……う、いちにぢだけ、づきあっでぐれる?」
「うんうん。一日だけなら、いいよ。今日一日だけ、君と付き合うから」
「ぼんど? ぼんどなの?」
「うんうん。本当だよ。だから泣かないで」
周囲の視線が痛かった。僕を批難するかのような視線になっている。
僕はおろおろしながらも、彼女の言う通りにする事にした。一日だけなら、問題はないだろうと判断したからだ。とにかく、目の前で泣かれる彼女の機嫌をなおす事を第一に努めようと思った。……が。
次の瞬間、僕は女という生き物の恐ろしさを知った。彼女はケロリとした表情で、顔をあげた。
「うわああーい。うわあああーい。かっるーい。ダーリン! ちょろ過ぎ! ブサイクでチョロイからブサチョロダーリンって呼ぼーっと」
「あっ! まさか……っ!」
「涙は女の武器なのだー。あはははは。それじゃあ、授業があるので、シーユーアゲイン」
彼女は笑顔で走り去っていった。
「な、なんだアレは……」
この日、僕に恋人が出来た。翌日、再び赤の他人に戻る1日限定という恋人が。お互い顔だけで名前すら知らない間柄なのに、形式上ではあるが、告白によって交際するだなんて、世界広しといえど、僕達だけではなかろうか。おそらく僕の生涯で、二度とこのような形で男女の交際を始める事はないだろう。
まもなく、次の時間帯を知らせるチャイムが鳴り、僕は急いで美術室に向かった。なお、壊れたベルトは縛る事で応急処置とした。そしてこの日、当日限定の恋人となった彼女と顔を合わせることなく、いつもと同じように一日が終わった。彼女と再び会ったのは、翌日の放課後だった。
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