第45話:星の滲む空

「それは諦めたわけじゃあ――」


 仕方がなかった。車を運転できるでなく、毎週末をバスで通うお金も持たない。

 そもそも夏休みの終わるまでに、間に合うはずだった。だから、朱里を諦めるつもりなどなかった。


 と。

 いくら言いわけを思い浮かべても、声にできない。これが限りなく嘘に近いごまかしなのが、自分には分かるから。


「責めてやしない。バカにしてもいない。むしろ褒めているよ、きみが節操なくちょっかいをかけ続けるような男でないことをね。そういう人間なら僕は最初の段階で会ったし、荒っぽい話にもなっただろう」

「いや、そんなん。褒めてもらっても俺は……」


 迷惑をかけない。ただ無害だった、という評価は褒めた内に入るのか。

 いや、そんなことはどうでもいい。朱里に疎んじられるのは論外だが、恋の相手として対象にもされないのは同じくらいに嫌だった。


「そんなん。そんなん、俺。俺は、朱里ちゃんのことを。朱里ちゃんに振り向いてもらえんかったら、なんも意味ないじゃんか。俺、バカみたいじゃんか!」


 なぜ北条に。朱里でない人間に、そんなことを言われなければならない。不満で、不愉快で。腹の底から、感情を吐き出した。

 発した自分でさえ、耳を塞ぎたくなる。怒りの棘の突き出た絶叫は、我ながら醜い。


 食いしばった歯と歯の間から、悔悟の言葉が滲み出る。ひと言ずつ、誰かを呪うように。

 そのたびに一歩ずつ、北条へ近付く。腕をつかみ、肩を揺する。

 そんなことをしても、ガチャガチャのように景品は出てこない。分かっていても、湧き上がる気持ちが抑えられなかった。


「なんでなん。俺、朱里ちゃんを大事にしたいと思うて」

「分かる。きみが本気だって、とてもよく分かる。でもね、現実にはどうしようもないことがあるんだよ。実力とか、運も関係なく」

「あんたみたいに泣かせたりせんって、ずっと傍に居るって」

「だから譲れって言うのかい? 賢いきみなら、もう気付いてるはずだよ。どんなことにもタイミングがある、ってね」


 北条の言葉が、下腹を攻め続ける。スカッと気持ちのいい右ストレートなど、一発も飛んでこない。

 そうだ、最初から周回遅れと知っていた。しかし年齢差など、どうとでもなると思った。


「知っとる。でも七つ違いなんか、なんぼでも居るじゃろ」

「そうだね。きみがもう大人だったら、大した問題じゃない。でもきみは、まだ高校生になったばかりだ」

「ほら。やっぱり俺が子どもじゃけえ」

「違うよ」


 北条をつかむ手を、握り返された。ぎゅっと強い握力が、体温とともに伝わってくる。


「きみが今の朱里と同じ歳になったとき、もう彼女は三十だ。それから結婚するのかい? 子どもは作るのかい? だとしたら、きみはどうやって収入を得てるだろう。高齢出産になったら、不安はないかな」


 少し痛い気もした。しかし不快には思わなかった。それが北条の、「聞いてくれ」という意思に感じられた。


「たとえばきみが天才ユーチューバーで、もう何百万も稼いでるっていうなら、少しは話が違ったかも。でもやっぱりそれだけで朱里の心は動かないし、きみはユーチューバーでもない。陽輝という男はとてもいい奴だけど、朱里と付き合う機会は持ってなかった。この話は、それ以外のどこにも落ち着かないんだよ」


 分からない。この男がなにを言っているのか、なにひとつ分からない。


「そんなん全部、たとえばの話じゃろ」

「そうだよ。人間には、たとえ話しかない。一つずつ叶うか叶わないか、試しながら生きるんだ。だからみんな、少しでも可能性の高いたとえばを探すんだよ」


 分からない。そんなことを言うなら、たとえば陽輝と朱里が結婚したら。という現実があっていいはずだ。

 どうしてそうならないのか、分かりたくない。


「今のきみには、無限の可能性がある。いいように言えばそうだけど、逆を言えば未知数だ。蓋を開ければゼロかもしれないし、マイナスかもしれない」

「俺はまだ、なにも持ってない?」


 食いしばった顎が痛くなってきた。張り詰めた息も、そろそろ限界だ。

 深呼吸をしてみると、しゃくりあげたようになる。ひどく疲れて、膝に両手を突いた。北条の拳は、足にくる。


「そんなバクチに、きみは朱里を付き合わすのか」


 頷いて言った最後のそれが、致命傷だ。陽輝はその場にへたり込む。

 なにも、ひと言も、返す言葉が見つからない。座ったまま、大の字になる気力も失せた。

 空を見上げた北条はなにも言わず、しばらく沈黙で居た。星降山の空は、ぼやけた光で満ちていた。


「ごめんねタクちゃん。ハルくんも」


 それから、どのくらい経ったか。ようやく肌寒さを感じ始めたころ、消え入るような声が二人を呼んだ。

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