第42話:評価はいかに
「朱里ちゃんに頼みました。この夏休みの間、付き合ってくださいって。結婚が決まってるのは知ってました。でもその前に、俺が朱里ちゃんと付き合う価値もないのか、見てもらいたかった」
言いたいことを漏れなく、きちんと伝えよう。そう考えると、言葉が標準語に近くなった。背の高い北条を目の前に、直立しているせいもある。
少し声を震わせて話す自分は、まるで教師に叱られる時のようだ。
けれど、目を逸らすことはできない。うろうろと歩き回るのも違う。堂々とこの男に正対していたい。と陽輝は両手に力を篭める。
しかし彼のほうから、その立ち位置が崩された。「うん」とひと言、何歩かを歩いて手すりに寄り掛かる。どうもリラックスが過ぎて見えた。
「――なんですか、それ。俺の話なんか、真面目に聞く気にならないってことですか」
「あー、そう見えたか。ごめん、違うんだ。なんだか威圧してる気分になってさ。このほうが楽に話せると思ったんだけど」
この期に及んで陽輝を気遣うような、その言い草に腹が立つ。バカにしているのかと責めても、焦った素振りが欠片もない。
それになにより言われた通り、息継ぎの軽くなった自分にも腹が立つ。
「まあ、いいです。それで俺は、朱里ちゃんを楽しませようと思いました。キャンプとか川遊びとか、女の子だからやらせてもらえなかったことを」
本当はもっと気の利いたことをできると考えていた。北広島町に留まらず、どこか遠くへ行くこともできた。
しかしそういうことでないと、途中で気付いた。
「それは凄く楽しかった。たぶん朱里ちゃんも楽しんでくれた。でも、違った」
なぜ北条は、こんなことを言わせるのだろう。きっと、朱里は少しも陽輝に振り向いていない、という自信があるからだ。
けど北条さん、それこそ間違いなんよ。
「違った?」
「ええ、違いました。俺がしなきゃいけないのは、もてなすことじゃなかった。朱里ちゃんが普段やってることを一緒にする。最初は邪魔にしかなってなかったけど、ちゃんとできたときは嬉しかった。俺が、ですよ」
冷静に考えれば、照れ臭い話をさせられている。しかし聞く彼も、真剣な表情を保つ。ときに頷いて見せるのなど、やはり教師と生徒のようだ。
相応しい年齢差があるのは事実。けれどその一点だけで評価されはしない。陽輝の恋する朱里は、公平に見てくれる人だ。
「北条さんには、そういう経験がありますか?」
「いや、ないね。保育所も畑仕事も、話に聞いてるだけだよ」
「なら俺のほうが、朱里ちゃんの家の匂いを知ってるってことになります」
問うても、差を見せつけても、北条はたじろがない。バカにした様子もないけれど、プラスにもマイナスにも温度を発していなかった。
真面目に聞くふり、なんか?
だとすれば、この男は本当に朱里を好きなのか、とさえ考えてしまう。むしろそのほうが陽輝には好都合なのだろうけれど、損得とは別のところで気に入らない。
「関家の匂いねえ。きみの言う通り、たぶん僕にそういうものは感じ取れない。関のご両親も、僕をお客さん扱いしてくれる。もっとざっくばらんにでいい、と思うこともあるね」
「でしょう?」
それが俺とあんたの差よ。
まだ威張れるほどの差でないのは自覚している。しかし北条がどれほどの時間を経てきたのか知らないが、陽輝は一ヶ月に満たない。
評価と言うなら、そこのところだ。
「なるほど。で、きみの評価は?」
「え、いや。だから――」
優秀そうな話を聞いていたから、十分に伝わると思ったのに。真面目くさった北条の顔に、まだまだ必要な話を聞けていないと書いてある。
さらにと言うなら、こっ恥ずかしいが仕方がない。噛み砕こうとしたのを、「うん」と止められた。
「言いたいことは概ね分かるよ。でもそうじゃなく、きみの最大の目的は朱里を振り向かせることだろ? それは達成されたのかい、と聞いているんだよ」
「いや、それは……」
それは、まだだ。いかに密度が濃く、実の家族に近付けたと言っても、その向こうへ踏み出すにはもう少しかかる。
今日の朱里を見ていても、間近に思えてまだまだ遠い一歩だと痛烈に感じた。
「まだ、かな。もしもこの場所で最後の一手を打つ気だったと言うなら、僕が邪魔したことになる。その部分は差し引いてくれていいよ」
「……いえ。近付いていたとは思いますけど、まだまだその段階じゃなかったです」
「そうか。それならきみは、朱里との約束を果たせなかった。条件に従って、元の関係に戻るってことでいいかい?」
言いつつ、北条は手すりから離れる。寄りかかっていた部分の埃を払い、話は終わったとばかり、笑顔で歩み寄ってくる。
「面白いですか」
「ん、なにがかな?」
「朱里ちゃんのことを。相手が自分じゃなくて気に食わないからって、そんなスマホの契約みたいに」
誰かに恋する感情は、理屈で測れるものではない。それをこの男は、毎月かけられるご予算は? とでも尋ねる態度だ。
気に入らない。いつか朱里と結ばれるのが自分でないとしても。
認められない。北条拓海というこの男だけは。
「そんなつもりはないんだけど、ね。まあでも順序だてて理解してもらおうと思ったから、結果そうなったかもしれない」
「順序? 理解? なんの話をしてるんですか」
恋敵である陽輝を、説得で諦めさすとでも言う気か。だったとして、とてもそんな風には聞こえなかったが。
「男同士。分かり合えると思ったから、きみにここへ一人で来てもらったんだ。とりあえず勘違いしてほしくないのは、僕はきみの心を傷付けたくない」
一人で来てもらった?
意味するところを悟り、陽輝は振り返る。登山路の終点。山頂の広場の入り口。そこで誰かと電話で話しているはずの、朱里のほうへ。
だが、そこには誰も居なかった。うっすらと誘導灯の光る道に、人間を隠すような場所はない。
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