第36話:行為の価値
予想通り、五家族が選別した荷を五台の車へ積み込むこととなった。事前に何度も通っていた燈子と違い、他の四家族は試行錯誤しながらの作業だ。
「ああ、ごめんお兄ちゃん。さっきのダンボールじゃのうて、こっち積んで」
「え。ほしたら、うちがそれ貰うわ。お兄ちゃん、こっちのと積み替えてや」
などと、一度積めば良しというものでない。そうして終いに、トタン葺きの納屋の整理までも。
高い壁の途中にロフト風の二階があり、いちいち梯子を移動して登らねばならなかった。梯子は一本しかなく、自動的に作業人数は一人と決まる。
見知らぬ小母さまがたに囲まれて「お兄ちゃん、頼りになるわ」とおだてられても、さほど嬉しくはない。
だが晃に「代わるで?」と言われても代わらなかった。
「よっしゃ、お疲れさん。帰ろうで」
「ハル、疲れたじゃろ。お父さんが晩ごはん食べさせてくれるんと。それまで寝とってええよ」
午後四時過ぎ。幼馴染はハイエースの助手席から振り返り、優しげなことを言ってくれる。またフェリーに乗るのだから、寝てもいられまいが。
そうでなくとも同じく疲れているはずの晃や燈子自身を差し置いて、一人だけゆったりとする神経を持ち合わせてはいない。座る位置を後席にしろと言われ、受け入れただけでいっぱいいっぱいだ。
ごはんを奢ってもらうのも、できれば遠慮せんといけんわ。
と誓ったのは、陽輝にとって当たり前のことだった。が、慣れない労働の疲れは強力な睡魔を呼び寄せる。
ハイエースが走り出してすぐ、うとうとする気配も感じず眠りに落ちた。フェリーに乗船する間はどうにか堪えたが、下船後にまた眠ってしまう。
「ハル、起きんさい」
燈子が呼ぶ。まだフェリーを離れて、数十秒というのに。勘弁してくれと思ったが、どうにか返事をすることにした。
それには声の近かったせいもある。いつの間に隣の座席へ移ったのだろう。
力の入らないまぶたを、無理やり持ち上げる。すると前方に、なにか建物の壁が見えた。
看板を読めば、焼肉と書いてあった。どうやら既に店舗の駐車場へ駐まっているらしい。
「ご飯はええよ」
「遠慮せんの。お父さんも先に入ったし、早うして」
スライドドアを開け、身を乗り出した燈子が腕を引っ張る。議論をする余地は、残されていないようだ。
観念するとして、もう一つ気になった。幼馴染の背景が、暗い。正確には、薄暗い街を色とりどりの光が照らしている。
「今、何時?」
「七時過ぎたとこ」
「もうそんなか」
まだ寝ぼけている。ぼんやりした意識が、靴を履くことさえ忘れさせた。燈子に世話をしてもらいながら店に入り、晃がメニューを眺める席へ着く。
なにか忘れている気がしたけれど、思い出せなかった。
「ほいじゃあ、お疲れさん!」
「お疲れさまでした」
「お疲れさまー」
ウーロン茶のジョッキが、高らかに鳴る。隣席のビールを恨めしそうに見つめ、晃は半分ほどを一気に飲んだ。陽輝は一杯をまるまるだ。
「あ、そうじゃ。これ酔うて忘れんうちに渡しとくわ」
「なんです?」
作業着の胸ポケットから、二つ折りにした茶封筒が取り出される。両手でまっすぐに伸ばし、なにも書かれていない表を向けて差し出された。
その動作には、見覚えがあった。七月にアルバイトをしたとき、給金を渡してくれたのと同じだ。
「え、今日の分はええですよ」
「なんでや。こっちが頼んだことじゃけえ、きちっと渡さんと」
「いや、なんていうか」
なぜと聞かれると、明確な言葉が出てこない。まさになんというか、なんとなく受け取ってはいけないと感じた。
理由を求めて。あるいは助けを求めて、視線がさまよう。最後に燈子と目が合い、「ああ」と納得した晃の声がする。
「気ぃ遣うてくれるんはありがたいし、ハルは偉いのうとも思う。でものう、お前が働いたんは事実じゃけえ、払うもんを払わんいうわけにはいかんのよ」
「いや、でも。俺も隣の子程度には、小母さんになんかしてあげたいいうか……」
荷物の整理をしたところで、燈子の母親のためになどなるものか。分かっていながら、お金を受け取らない方便にしてしまう。
これでは気を遣っているのかいないのか、自分でもよく分からない。
「ハルが一所懸命にやってくれたんは伝わっとる。じゃけえ、受け取ってもらわんと困る。儂がお前の気持ちを、安う見積もったいうことになるじゃろ?」
「あ――」
たしかに、と思う。さらに、こう言われてはもう断れない。突き出されたままの封筒を、両手で押し頂く。
「ありがとうございます」
「こちらこそよ。お、肉が来たで。じゃんじゃん食おうや」
いわゆるオーダーバイキングの焼き肉店。最初に固定メニューの三皿が出されたものの、二分も持たなかった。
陽輝はウインナーとトントロ、カルビを重点的に注文する。晃は豚バラとせせり、砂肝。
燈子はひたすら、カルビばかりを。
午後八時を回り、空腹は満たされた。昼間に失ったエネルギーが、腹の底から全身へ充填されていく。
晃はもう漬け物しか、口に運ばなくなった。燈子はデザートのメニューを睨みつける。
俺も同じの頼んでもらお。
呑気に眺めていると、スマホの着信音が鳴った。誰の物かと思えば、ポーチを探り始めたのは燈子だ。チャットアプリの着信らしく、画面に触れる。
陽輝は与えてもらえないのに、とは正直思う。
「それ、いつのやつ?」
「去年の」
手に入れる当てがなくとも、よく電器量販店でパンフレットを持ち帰る。国産機がいいのか、流行りのがいいのか、自分の使い方を考えるのは楽しい。
「アプリ、なに入れとん」
「大したのは入っとらんよ」
なんとなく尋ねただけだ。クラスメイトでも、画面を見られるのを嫌う者は多い。しかし燈子は、自分からこちらに見せてくれる。
猫の写真が待ち受けになっていた。アイコンはきちんと整理されていて、よく使うだろう順番に十二個が並ぶ。
ただ。そんなことはどうでも良くなる現実が、その画面に表示されている。
カレンダーアプリのアイコンだ。そこには今日の日付けが、二十二日と示されていた。
すうっと、記憶の巻き戻る感覚があった。同時に、寒気もする。
なんで俺、こんな大事なこと忘れとったんや!
「やばい。俺、もう行かんと」
「えっ、急にどうしたん」
「ん、なんか急用か?」
今からすぐ、直ちに、北広島町へ戻らねばならない。朱里に会うため。
昨夜、母に無理を言って送ってもらう約束をしていた。明日は午後かららしく、どうにかなると。
だがこれから自宅へ戻っていては、日付けが変わってしまう。それでは朱里との約束を違えることになる。
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