第35話:謝罪の言葉
「それ、アルバムなんか」
ハイエースのハッチバックを開き、衣装ケースを積み込む。荷室の長さには、少しだけ余裕がある。
「そうよ、お母さんのね」
「さっき俺らが行ったとき、それ見よったんか」
燈子は荷室でなく、スライドドアから後席に冊子を置いた。重かったのだろう。両手の平をさすりながら、こちらを睨む。
「なんね、ちょっとくらい懐かしんでもええじゃろ。サボっとったとか言う気?」
「そんなこと言うとらんじゃろ。バアちゃんが死んで、母さんの荷物も運ばんといけんって、慌ただしいと思っただけよ」
燈子は祖母の死に、どれくらいの感情を持つのだろう。
陽輝の祖父が亡くなったとき、七年前の幼馴染のようにはならなかった。もちろん悲しかったが、反面どこかでお年玉をくれる相手が一人減った、くらいのことを考えていた気がする。
でも、そうじゃ。正月に泣いたんじゃった。
祖父は毎度、むっつりとしかめっ面で出迎えてくれた。だが亡くなった次の帰省では、その姿がなかった。
悲しいと思うより前に、勝手に涙が零れ落ちた。この時間差はなんだろうと思うけれど、明確な解は見つからない。
「燈子は俺より優しい人間じゃけえ、しんどいかなって思ったんよ」
「なんそれ、気持ち悪い。ハルに心配してもらわんでも、ウチは大丈夫よね」
「それならええんじゃけど」
口調はいつもと同じ。いや学校で責めてくるのより、いかばかりか厳しかった。
ただし言い終えたあと、疲れたようなため息が入る。おかげで鞭打つような勢いがない。
「それよりハル。お父さんは、あんたを褒めよったよ」
「え、褒めるってなにを?」
「荷物を大事にするって。誰でも最初のころは、握力がなくなったらぞんざいになるんよ。でもハルは荷物を置くとき、一回も音を立てんかったって」
「ああ――」
指摘には、心当たりがある。去年、朱里が滞在したときのことだ。
彼女が荷物を運び、降ろす寸前。必ず自分の指を持つ物の下に挟み、それから手を放した。そこが床でも、テーブルでも。
なぜそんなことをするのか聞くと、もう癖になっていると答えがあった。野菜や商店の品はもちろん、誰の物も傷付けないように。
以降、それを見習っている。
「今日は会社の若い人を頼んどったんよ。でもわざわざ断って、あんたを呼んだん。お父さんを幻滅ささんとって」
既に当てはあった。それが幻滅という言葉の中身だろう。それに、荷物を大事にするという話も。
このハイエース一台を満載にするためだけに、晃は人手を必要とするだろうか。
考えるまでもなく、否だ。
荷の仕分けも手伝わずに酒を飲む人々に代わり、残り四台にも運べと言うに決まっている。もしかすると、その他にもあるかもしれない。
重労働だなと気が重くなる。しかし頼まれたのを嫌だとは感じなかった。作業の駄賃があるかは、関係なしに。
「トーコ、悪かった」
「急になんね。約束を忘れとったんは、もうええわいね。お父さんも途中で確認せんかったし、ウチも言い過ぎたし」
謝ってみたものの、どうも違う。ハイエースの後ろと側面。車内を通しての会話だからか。
しかめ面から真顔程度にはなった、燈子の前に移動する。やはり位置はここだ。そして頭の位置は、まだ高すぎた。
「ずっと。トーコの機嫌を悪くさせとったの、俺じゃったわ。自分で勝手に拗ねといて、忘れとった。とんでもない忘れんぼじゃわ」
「な、なにっ? やめて、やめんさい! 誰か見とったらどうするんね!」
直角を意識して腰を折った。視界にあった燈子の足が一旦消え、すぐに戻って両手も入ってくる。
顔を起こせと、動作と声が慌てていた。
困らせては元も子もない。要望に従って体勢を戻したが、まだ足りなかった。これくらいで許されるはずがないのだ。
「なんの真似ね」
「俺、今でもほんまに分かったんかって言われたら、分かっとらんと思う。でもトーコが悲しんどるときに、勝手じゃったのは分かる」
「えっ。ごめん、ほんまになんの話?」
しまった、唐突じゃったか。
自分の落ち度に気付き、謝らねばと感じた。それをそのまま、気付いた経緯も言わなかった。
たしかにこれでは伝わらない。謝る項目が、一つ増えた。
「トーコが学校に来んかったとき、あるじゃろ」
「……うん」
「なにがあったか聞いたけど、お前がどういう気持ちか考えてやれんかった。で、なにを言ったか覚えとらんけど、下手なこと言うたと思う」
「覚えとらんの?」
燈子はあからさまに、驚きを浮かべた。反応されるはずなのは思いやれなかったという点で、具体的になにを言ったかは些細なことと想定したのに。
まさかそれほど阿呆な、失礼極まりない暴言を吐いたのか。背すじに寒いものが走った。
「悪い。慰めたはずなんじゃけど、慰めになっとらんかったじゃろ?」
「いやそんなことは――ほんまに覚えとらんの?」
「なんか毎日、元気出せって言った気はする。けど、実際なにを言うたかは……」
我ながら、つくづくひどい男という気になってくる。気が利くとまでは言わずとも、普通に人間関係を築けると思っていたのに。
落ち込む陽輝だったが、うらはらに燈子は笑った。「フフッ」と噴き出して、胸を殴りつけてくる。
「あ、痛っ」
「なんね、か弱いウチのパンチくらいで」
「うん、あんまり痛うないけど」
「じゃあ、もう一回」
宣言通りに繰り出された右のジャブは、むせさせる程度には効いた。思いきりのストレートは受けるなと、本能が警告する。
「一つ聞くんじゃけど」
「うん?」
「ウチら、なんで話さんようになったか覚えとらんいうこと?」
「そういうことよ」
「じゃあ。そん時のことは小っちゃいハルが、わけも分からんで言うただけなんじゃね?」
一つのはずが、二つ目の質問がなされた。しかも捉え方によって、随分と怪しい物言いにも聞こえる。
もちろん燈子は詐欺師でない。極めて親しかった、幼馴染だ。ゆえに、どういう意味か問い質すことはできない。
「う、うん。悪かった」
「ほうね、謝るんなら許してあげるわ」
「そうか、良かったわ」
「さ、お父さんが待っとるけえ。次を運ばんと」
言って、燈子は玄関を入った。最初に見たときは溶けて呑み込まれるようだったが、今は跳ねて飛び込むように。
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