第34話:記憶を手繰る
燈子の母親が他界したのは知っていた。時期を正確に覚えておらず、もうそんなにか、と少し驚いたが。
隣の家の子である陽輝にも、優しい人だった。旅行へ行ったときなど、実の母よりも世話を焼いてくれた。母親同士も、仲が良かったように思う。
「あ」
そう、あれは七年前だったのだろう。とすると陽輝が八歳のとき。学年で言えば、小学三年生。
毎日一緒に登校していた、風邪で休んだこともない燈子が、半月ほども姿を見せなかった。
当時の陽輝は死というものを、まだきちんと理解していなかった。
二度と、動くことも話すこともない。とは知っていたけれど、それがどういう状況か、自身の親であればどう感じるか、想像力が追い付かなかった。
「トーコと話さんようになったの、あのころからじゃ……」
その後も交流はあった。運動会のとき、陽輝の母が二軒分の弁当を作った。修学旅行で広島駅までの送迎は、陽輝の父がしてくれた。
だが明らかに、燈子の口数が減った。
話しかければ、返事をしないわけでない。無神経な言い方をしただろうが、慰めた記憶もおぼろげにある。
「そうじゃ。いくら言ってもしつこいとしか言われんようになったんじゃった」
なにかきっかけがあって、腹を立てたのを思い出した。
そっちがその気なら、こちらも相手をしない。そんなようなことを勝手に誓ったのでなかったか。
腹を立てたというか、実際には拗ねたのだ。すると少なからず、燈子への意思表示もしたはず。
なにを言ったろう。なにを言ってしまったろう。思い出そうにも、いつ、なにをしていたときかも分からない。
ここ数年の幼馴染がよそよそしかったのは、自分のせい。踏まえれば、今日という日の約束を忘れていたのもとんでもない。
疎遠になった理由も忘れ、なんだあいつと偉そうにしていた自分を殴ってやりたい。穴があったら入りたいし、ついでに土を埋め戻してしまいたかった。
「ハル、行くで」
「あっ、はいっ」
ハッチバックを開け、身支度を整えていた晃が声をかけた。いつもの作業着、尻のポケットには滑り止め付きの手袋。
短い雑草に呑まれそうな飛び石を踏み、玄関へ。左右に伸びる打ちっぱなしのたたきは砂利が浮いて、素人目にも造りが粗い。
晃の開けた扉から、乾いた空気が流れた。ほんの少し、埃の臭いが混じる。
低く狭い框の向こうへ、畳敷きの広い部屋があった。ガラス入りの引き戸も開け放たれ、中年の男ばかりが四人、真面目ぶった顔を突き合わせていた。
「進んどりますかいの」
「ん。今は女衆が選別しよりんさる」
「そりゃあそりゃあ。男の出番はもうちっと後ですの」
それぞれちゃぶ台に湯呑みを置き、持ち帰る荷物が用意されるまで待機のようだ。
晃を最年少に、歳は順番というところ。けれど皆、顔が似ていない。女系家族というやつだろうか。
当然、陽輝にそんなことは関係なく、部屋を通り過ぎる晃に着いていった。
「晃さんとこに男の子が居ったかいの」
「あ、ええと。燈子さんの友だちです」
「ほっ。燈子ちゃん、婿を連れてきたんか。
問われて思わず答えたものの、後悔した。茶化されたからとはもちろんだが、男たちの飲んでいるのは茶でない。
彼らの吐き出す息は、酒の臭いがした。
「ハル、こっちで」
廊下に消えた晃が、戻って顔を出す。
助かった。呼ばれるのがあと数秒も遅ければ、酒の肴にされるところだ。
「田舎の人ばっかりじゃけえ。口は悪うても、ええ人ばっかしよ」
「はあ――」
先導する晃の言葉が白々しい。陽輝とすれば二度と会うこともないだろうし、どうでも良かったけれども。
生返事で歩く廊下は、外から見たより長く感じる。左右に部屋が三つずつ、引き戸ばかりが並んだ。
貧相な傘の付いた裸電球が、やはり三つ。ギシギシと鳴る足音も合わせ、ちょっとばかり不気味な雰囲気を醸し出す。
慣れた様子の晃が足を止めたのは、突き当たりの片開き戸の前だった。
「燈子、入るで」
「うん。早く手伝って」
ほんの少し扉を開け、晃は言った。燈子はなにをしていたのか、静かだったのが急にばたばたと音をさせ始める。
本でも読みよったんか?
雑誌。いやもう少し厚手の紙の冊子を閉じた音だった。陽輝が入ったときには、もう部屋の隅に立っていたが。
「どうする?」
「そっちのは要らない。こっちのは持って帰りたい」
畳が六枚敷かれた部屋の奥に、ベッドが入れられている。布団の類はないけれど、白い木製で女性の好みそうなデザインだ。
寄せられた壁には昔のアイドルらしき、若い男性のポスターが貼られたまま。
燈子はベッド脇へ固めた荷を要らないと言い、部屋の手前にある荷を持ち帰ると言った。
押し入れやタンスにも、まだあれこれ残っている。が、仕分けた荷も先ほど先行した僅かな時間で可能な分量では到底ない。
「よっしゃ、ハル。儂が紐で括るけえ、お前は運べるやつから車へ運んじゃって」
「うん、了解」
晃は持参した布袋から、カッターナイフと紐を取り出す。麻紐とビニール紐と、他にガムテープや養生テープも。
手近の本に触れながら、運べるやつってどれだ? と悩む陽輝にキーホルダーを投げ渡す。
「戻るとき、ダンボールを四、五枚持ってきてえや」
「うん」
とりあえず、指示はそれだけらしい。またなにか言われるまで、実行あるのみ。
まずはどう見ても持ちやすそうな、プラの衣装ケースを持つ。半透明の素材越しにも、整然と重ねられた衣服と分かる。
「待って、ハル。あたしも行く」
「ん、慌てんでええよ」
柱にもたれかかって、なにを考えていたのか。ぼうっとしていた燈子が、早口で言った。
ベッド付近にある物は要らないはずだが、幼馴染はベッドの上へ唯一置かれていた物を取る。
三冊重なった、分厚い冊子。どれも布張りだが、装飾は全く違う。卒業アルバムかなと陽輝には思えた。
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