第33話:忘れ物を探しに

 八月二十二日の午前七時。前回と同じく自分の住むアパート前で、児玉晃の迎えを待つ。

 昨日何度か児玉家のチャイムを鳴らしたものの、燈子にも晃にも会えなかった。忘れていたことを謝るのと、その分頑張ると決意表明をするために。


 トーコのやつ、居留守するほど怒っとるんか。

 父親のほうは遅くまで仕事だったようだが、娘は家に居たはずだ。特に物音などを聞いたわけでもなく、想像だけれど。


 昨日のうちに謝っておければ、今日は気分を切り替えられただろうに。

 そう考えたのには、責任転嫁とすぐ気付いた。どういう気持ちで居ればいいやら、頭を掻き毟る。


「お風呂、入ってないん?」

「うわっ」

「なんね。そんなに驚かんでもええじゃろ」


 不意に、声がかけられた。

 声は燈子と分かったが、息のかかるほど近い。しかも、うなじの辺りから。驚かせる意図しか感じないが、今日は立場が弱い。


「お、うん。悪い、急でびっくりした」

「なんね、面白うない」


 対面する建物の屋上へ、朝日が顔を見せ始める。隣へ並んだ燈子の顔は、まだビル影の中にあった。

 襟が濃藍の体操服は舟有高校のものだ。胸に小さく児玉と書いてあって、陽輝の目には新鮮に映る。


「今日はトーコも行くん?」

「行っちゃいけんの?」

「いや、体操服が汚れてもええんかなと思って」

「汚れるためにあるんじゃろ」


 言い分はもっともだ。しかし陽輝が先日使った中学の体操服は、埃と汗の泥が染み込んで真っ黒になった。今日も同じ物を着ているが、牛柄か迷彩服かという印象がある。


「今日のとこは、そんなに汚れんよ」

「ああ、そうなんじゃ。どこ行くん?」


 経営者の娘なのだから、仕事の手伝いをよくしているのかもしれない。そういう話は聞いたことがないものの、わざわざ報告することでもなかろう。


 ならばそれよりも、先達に聞くべきは今日の予定だ。どんな場所で、なにを運ぶのか。その辺りを聞き出し、頑張ると宣言するのだ。

 それと同時に昨日の件を謝罪すれば、いかに燈子でもいくらかは角を収めてくれるだろう。


「行けば分かる」

「え。いや、そんなこと言わんで教えてくれや」

「行く前から楽しみにしてもしょうがないじゃろ。行けば分かるし、難しいこともないけえ」


 そりゃあ悪いのは俺じゃけど、そこまでかあ?

 睨む視線と顔が、正面に戻った。いや視線だけは、陽輝から遠い方向へ逸らされている。

 そうまでされるほどの悪事を働いただろうか。忘れて催促されたのは悪いけれど、現に今ここへ居るのに。しかも謝ろうとしているのに、そのタイミングさえ奪われた。


「おい、トーコ」


 不満が臭わないよう、なるべく声を抑えた。これから謝ります、どうかそのまま聞いてくださいという空気で。

 しかし燈子の首はさっと素早く動き、仇を見るような目で言い捨てる。


「あんたが忘れとったこと、お父さんには言うとらんけえ。余計なこと言いんさんなよ」

「う、うん」


 陽輝の失態を、晃は知らない。思わぬ朗報に、声が萎んだ。けれどまた、別の問題の発生に気付く。晃と燈子と二人同時に居る場所で、どんな態度をすればいいのか。

 悩む背中で、誰かがクラクションを鳴らした。




 晃の運転する黄色いハイエースは、広島港からフェリーに乗った。出発してすぐに海の方向へ向かったのに戸惑ったが、島へ渡ると聞いてさらに驚いた。


「引っ越しみたいなもんよ」


 道中、そう言われたのも意味が分からない。運送屋が引っ越しをするのは分かるが、引っ越しみたいなもの・・・・・・とはなんだ。

 車中で、フェリーのデッキで。父娘はそれぞれに、空と海を眺めるばかりだった。


 広島港から、およそ二十分。対岸のように見える大きな島は、名を似島にのしまと言う。家下やじた港を降りたハイエースは、狭い道路をゆっくりゆっくりと進む。


 走ることそのものが、なにかの儀式のようだ。海辺の護岸を歩く人を、やっとで追い抜く。晃は窓を開け「お早いでがんすのう」と声をかけた。

 漁具らしい樹脂製のなにかを手にした男性も、「がんすがんす」と笑う。知り合いかと思ったが、どうもそうではないらしい。


「助かるわ、ハル。身内のことじゃけえ、頼んで悪いか思うたんじゃが」

「いや全然。でも身内って?」


 そうして五分あまり。到着した民家の前で、今日の任務らしき言葉をようやく聞けた。


「ここぁ、俺の親の家よ。義理のじゃけどの」

「義理――奥さんの?」


 後席のドアが開いて、燈子は家屋に向かっていった。

 二軒分の敷地に、大きな平屋が半分以上を占拠する。立派な屋根瓦に、表面の風化した玄関扉が不釣り合いだ。

 モルタル剥き出しの壁を挟み、柄入りのガラスに湯沸かし器や鍋が透けて見えた。


「この夏に、とうとうバアさんのほうもんでのう。住むもんが居らんようなるけえ、要る物ぁさっさと持ってけいう塩梅よ」


 聞いている間に、燈子は玄関を入った。他に人影は見えなかったが、敷地の外へ荷物の載りそうな車ばかりが四台駐められていた。


「要る物って。俺、分からんと思うんじゃけど」

「ああ、心配せんでええ。別に宝探しぃ来たわけじゃないし、分かるようにしとるはずじゃけえ。燈子にとっちゃあ、宝かもしれんが」


 引っ越しみたいなもの、とはそういうことか。理解したが、また別のなぞなぞが出題された。


「宝物じゃないけど、宝?」

「儂の嫁さんの荷物よ。七年前に逝んだの」

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