第27話:母と子の間
「母さん、大丈夫かいの」
「ほんまにねえ。私らも気付かんで申しわけないわ」
「こがいなもん、大したこたあない」
墓参の日に一族が夕食を共にするのも、関家では恒例と言っていい。特段のなにをするわけでもないが、普段よりちょっといい肴が食卓へ並ぶ。
次光夫妻が気遣う言葉をかけ、なんでもないと答えた祖母は新鮮なタコの刺身を頬張った。
くきゅっと独特の咀嚼音が合図であったように、長明が祖母のグラスへビールを注ぐ。
「ほいで昭子は、明日帰るんか?」
祖母の怪我は、もう話題でなくなっていた。
痛い目を見たのが陽輝であったら、いつまでも話題を引っ張られても居心地が悪い。
たぶんそういうことだと納得したが、母はどうだろうと顔色を窺う。朱里と自分には祖母の願いがあったけれど、兄たちの不始末に妹として言いたいことがあるだろう。
「うん、帰る。また明後日から仕事よ」
「お前も帰ってくりゃあええのに」
「うちの旦那に、仕事辞めえ言うとるん?」
「旦那さんは、土いじりぃ好かんかいの」
「好くも好かんも、やったことないわいね」
長明と母と、互いにビールを持って笑う。似たような会話を聞くのは、もう何度目か分からない。
ただ今日は、これまでと違う意味に聞こえた。
関家は関家。馬屋原家は馬屋原家。住むところが離れたのだから、戻る場所はない。
およそそういう、口から出た言葉とは反対の意味に思えて仕方がなかった。
「じゃあハルくんも明日まで?」
陽輝はいつも母と一緒に帰省し、母が広島へ戻るのと一緒に戻った。今年は先に訪れたが、帰りは同じに違いない。と捉えられて妥当と思うが、問うたのが朱里であることに驚いた。
「えっ」
「んっ?」
僅かに口角を上げた自然な笑み。それが陽輝にとって、いつもの朱里だ。そして今もそうだった。
「ごめん。あたしなにか変なこと言った?」
「ううん、全然。何日に帰るか、そういや決めとらんかったって気付いただけ」
早く帰れ、言われたんかと思った。
憂いの形に、朱里の眉が下がる。間髪入れず、ううんと否定したのはギネスレベルの反射速度だったろう。
「そっか。ハルくんが居たいなら、ずっと居てもいいんだよ」
「俺にも学校があるんじゃけど」
「そうよねー」
伯父と母の会話を真似たらしい。いたずらっぽく聞こえた「ふふっ」という笑声の、心地良さといったら類を見ない。
「はあ。また学校が始まるんか」
「嫌なことでもあるの?」
朱里が可愛らしいと思う分、授業の再開を脅威に感じる。もちろん彼女が従姉でなく、恋人の身分になっていてくれれば、全く違うはずだが。
「そうじゃないけど」
「――そっか」
そこのところを察したらしい苦笑が、胸に痛い。
夕食を終え、それぞれ風呂も済ませ、祖母と満江は自分の部屋へ引っ込む。
長明は居間で、次光夫妻と飲み明かす構えだ。ちらと見ただけでも、既に焼酎が一本空いていた。
今日こそ母は、うまく朱里にとりなしてくれるはず。そう思い、与えられた部屋で待つ。
隣の部屋との襖は、いつの間にか元に戻っている。なるほどいよいよの話となれば、当事者の顔は見えないほうがいいだろうと合点した。
「いい湯じゃったねえ。やっぱりお風呂は広いのがええねえ」
だというのに母は、陽輝の待つ部屋へ現れた。自分の親の湯上がり姿など死ぬほどどうでも良く、しばらく呆れて声が出なかった。
「なにしとん」
「なにって、今から寝るんよね」
「朱里ちゃんと話は?」
化粧水だかなんだか、ぴちゃぴちゃと飛沫が飛ぶ。呑気な返答に、よもや忘れたのかと焦る。
「朱里ちゃん? ああ、それは大丈夫よ。心配しんさんな」
意外にも、力強い答えがあった。胸板をドンと叩きこそしなかったが、白い液体を頬に叩き込む音がそれに代わる。
たしかに夕食の準備など、絶好の機会だったろう。
じゃけえ朱里ちゃん、晩ごはんのときに冗談言うたんじゃ。
あれこれ引き摺ったままと考えていた陽輝には、どこか感覚がずれて感じられたのも無理はない。
「母さん、ありがと」
「私はなにもしとらんよ」
謙遜をする母に、生まれてこの方最高の感謝を覚えながら眠りに就いた。
翌日。十五日の目覚めも、やはり気持ちがいい。澄みきった青空が、朱里と自分との間に障害がないと証明しているとさえ思う。
朝食と昼食は、やはり母と朱里だけが台所に入った。もしかするとまだ話の続きがあるかもと考え、邪魔はしないでおく。
「んじゃ。帰る日、決めたら言うて」
「うん、よろしく」
「じゃあまたね、母さん。朱里ちゃんも」
昼食後すぐ、母は広島へ戻った。家の前まで見送りに出たのは、陽輝を含めて三人。次光夫妻は朝食のあとに自宅へ戻っていて、満江は縁側から手を振っていた。
フレアが県道から国道へ出ても、姿の見える限り、朱里と祖母は手を振り続けた。すぐに下ろしてしまった自分が冷たく思えて、頭の痒いふりでごまかす。
「ああ、行っちゃった。昭子叔母さんと話し足りなかったなあ」
やま陰にフレアが消え、朱里の手はなおもゆっくりと下ろされた。惜しむ声の間に、祖母など玄関へ向かっていたが。
「そんなに話したん?」
「お料理のときとか、ちょこちょこね」
「俺のこととか、母さん変なこと言うとらんかった?」
朱里ちゃんが、話し足りんとか言うけえ。
聞くべきでないと分かっていながら、問うてしまう。自分の助平心と分かっていながら、朱里のせいにしてしまう。
「ハルくんのこと? うーん、変なことは言ってなかったけど」
「けど?」
「きついお仕事したのは聞いたよ。あたしにお礼してくれるために、頑張ってたって」
「えっ、どっ、な、げ!?」
うまくやってくれと丸投げしたのは陽輝だが、裏事情まで話せとは言っていない。こそっとやるのが格好いいのにと不満を言ったのは、どこの誰だったか。
「あはは、そんなに慌てなくてもいいじゃない」
「もう母さん、要らんこと言うて」
母の去った国道の先を、陽輝はまだ見つめたままだった。しかし視線を感じて顔を向ければ、にっこりと笑った従姉が手を伸ばす。
「そんなことないよ。あたし、とっても嬉しいよ。頑張ってくれたのもだし、そう思ってくれるほど役に立てたんだなあって」
「いや、まあ。うん」
お礼のためじゃないんじゃけど――。
朱里への感謝は当然にある。が、アルバイトをした理由となると違う。
否定することもできたが、成り行きに乗ることにした。あえて否定して、空気を悪くする必要もなかろうと。
「ええと、それだけ?」
「それだけって、他になにかあるの?」
「いや。それだけなんかなって、そのまんまの意味よ」
朱里の感情が陽輝に対し、プラスに傾いたのはいい。けれども請け負った本命の仕事は達成されていないようだ。
達成を云々以前に、手を付けていない。実の親に詐欺を働かれるとは予想になかった。
ただし、ぎゅっと手を握ってくれる朱里に免じて、今だけは不問にしておいた。
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