第26話:重いポチ袋

 墓地から近い自然の滝で、毎年の盆にはそうめん流しが行われる。付近の風物詩と言える場所へ、今年も行くはずだった。

 しかし先行するエスティマは、その道へ折れることなく帰路へ着く。

 母と二人のフレアは、とても静かだ。だが朱里や祖母も同乗したあちらの車内は、さらに陰鬱だろうと想像がついた。


 なんて言えばええんじゃろ。

 関家までの十数分。頼みの母さえ思案顔で、相談する空気でない。

 もちろん祖母の容態が悪ければ、病院の手配をしなければならない。現実の問題を前に、陽輝がどんな顔をしていればいいかなど後回しと理解できる。


 散々に気を揉んだ。が、しかし祖母の家へ戻った大人たちの雰囲気は、さほどのものでなかった。

 祖母は長明と次光の二人がかりで運ばれたものの、来年はそうめん流しへ行こうなどと和やかだ。


「大したことなかったみたいじゃね」


 母は安堵の息を吐いた。墓地ではかなりつらそうに見えた祖母だが、今は庇いながらも地面に足を着けている。

 その解説をしに。ではあるまいが、朱里だけがこちらへやってきた。


「おバアちゃんがね、湿布を貼っとけば治るし、誰が悪いわけでもないって。そんな心配するくらいなら、今日もお刺身にしろって」

「そんなこと言ってたの?」


 玄関へ入ろうとする一行を母が見上げるのと、朱里が振り返るのは同時だった。数瞬の沈黙があって、また示し合わせたように顔を向き合わせる。


「りょーかい。買ってくる」


 おどけた風に、母の手が敬礼の形を示す。


「え、今から?」

「別に余裕でしょ。面倒なら陽輝は居ってもええけど」

「面倒じゃないし。行くんなら行こ」


 朱里の前で、面倒ならとか言うな。と思う。彼女との一件をどうにかしてやると請け負ったくせに、名誉毀損、営業妨害も甚だしい。

 半ば逃げ出す格好で再びフレアに乗り込み、母と二人が商店街へ向かう。


 余裕。と聞いていた通り、満江の実家へのみ立ち寄っての買い物はすぐに終わった。ウインドウショッピングの好きな普段の母と違い、タコと甘鯛だけを手に戻る。


「えっ。バアちゃん大丈夫なん?」


 関家を前に、驚いた。商店のシャッターが開いていたからだ。

 お盆の期間と言えど、祖母の気分次第で開店させることは多い。しかし今日は、怪我をしたばかりというのに。


「ちょっと心配じゃね。陽輝、様子見てきてや」


 車を駐車場へ収め、刺身を冷蔵庫に入れなければならない。母はそう言って去り、残された陽輝はまた困る。

 今度は表情にだけでなく、なんと言うかもだ。まさか、伯父たちへの当てつけかとも聞けない。


「バアちゃん、怪我は大丈夫なん?」


 まあ母に言われたのは、様子を見ろというだけだ。ならば祖母の体調にだけ気を遣えば良いと、勝手に観測範囲を狭めた。

 いつもと同じに門番と化した祖母は、座ったまま動こうとはしない。上がった裾から覗く包帯は痛々しいが、顔だけ見れば健康そのものだ。


「あら陽輝、ちょうどじゃったわ。ええもんあげるけえ、朱里ちゃんも呼んできんさい」

「ええもん?」


 会話のキャッチボールが成立していないことに、陽輝は気付かなかった。

 いい物をあげる。と思いがけない申し出に面食らったのと、呼べと言われたのが朱里だからに違いない。


「いい物って、あたしにも?」

「うん。俺と朱里ちゃんにって」

「そんなこと言われても――」


 母屋へ戻り、屋内のどこかへ居る従姉に玄関から声をかけた。自室のほうから出てきた彼女に用件を告げると、陽輝をじっと見て黙る。


 眉根を寄せた表情に、はっとした。怪我をした祖母が物をくれると言って、ほいほいと伝えに来た自分がどれだけ幼稚に見えるか。


「困るよね」

「え。あ、うん。そうよね」


 商店の表へ回る踏み石を、朱里が先に行く。通り過ぎざま、苦笑が見えた気がする。

 良かった。自分が責められているわけでないと判断し、次はないと唾を飲み込む。


「おバアちゃん、なあに? 足は大丈夫そう?」


 サッシを開け店内へ踏み入るなり、朱里は問う。そのまま答えを待つこともなく、椅子に座る祖母の足下へしゃがみこんだ。

 ズボンの裾が捲られ、膝までの包帯が露わになる。真っ白なそれを、厳しい表情の従姉はそっと撫でた。


「うん、腫れはひどくなってないみたい。おバアちゃんの言う通り、湿布を貼っておけば治りそうね」

「ほうよ。朱里ちゃんが、きちぃっと診てくれんさったけえ。ほいでこれが、お礼よ」


 正月に余らせたらしいポチ袋を、祖母は二つ重ねて差し出した。朱里の後ろへ立つ陽輝にも、ほんのり膨らんでいるのが分かる。


「え、なに。お金ってこと? おバアちゃん、それはあたし受け取れないよ」


 誰にも優しい従姉は、ポチ袋を柔らかく押し返した。

 祖母の怪我を心配して、その礼に現金を受け取るなどできない。朱里がそう考えるのは当然だし、陽輝も同感だ。


「大丈夫よ。ほら」


 なにを勘違いしたか、祖母は背後の障子ガラスを開け放つ。中にはよく整理された棚と、仕分け途中らしい商品の箱。

 この場に他の誰も居ないことが、一目瞭然となった。


「そうじゃないよ、あたしそんなの受け取ったら……」

「ええんよ。朱里ちゃんが優しいのは、よう知っとるけえ。たまに形にして渡すんもえかろ?」


 朱里が断っても、祖母はどうにか渡そうとする。これを断ってしまうのも、無下な態度になってしまう。

 きっと従姉は、そう考えたのだろう。何度かの押し引きの後、とうとうポチ袋を受け取った。


「一つは陽輝のよ。今年のお年玉ぁあげとらんし、高校生になったお祝いよ」

「それならハルくんは、遠慮なくもらえるね」


 陽輝へ現金が渡ることには、大義名分があった。しかも二つ揃えられ、現実に差し出すのが朱里とあっては断る方法を思い付かない。


「う、うん。ありがとバアちゃん」

「ええんよ」


 いいのか? とためらいながら、受け取る。「おめでとう」と微笑んでくれる朱里に、うまく笑い返せたか自信がない。


「でね、おバアちゃん。思い出したんだけど」

「うん?」

「あたしが働きだしてから、一緒にごはんへは行ったよね。でもおバアちゃんにお小遣いをあげたことがなかったから、これ」


 既に下ろされた祖母の手でなく、かっぽう着のポケットへ。朱里は自分の分のポチ袋を押し込む。

 慌てて取り出そうとする手をも押さえ、とびきりに優しく笑った従姉は「大丈夫」と告げる。


「おバアちゃんが心配することなんて、なにもないから。お父さんやお母さんとも、きちんと話すから」


 祖母はポケットに手を突っ込んだまま。陽輝は受け取ってしまったポチ袋を、睨みつけたまま。なんとも言葉を継げない。

 その隙に、と言って間違ってはいないと思われる。朱里は後ろ足で店を出て、「おバアちゃん、ありがと」とだけ残して去った。


 ああ。これ、口止めいうことか。

 伯父や伯母に反感を持ったはずの若い二人に、祖母からの頼み。陽輝はようやく、それを理解した。

 

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