第23話:格好悪い頼み方

 予告した八月十三日に、母は関家へやってきた。

 父が同行しないのは、いつものことだ。お盆は夫婦が、お互いの実家へ戻るのがルールとなっている。

 父の実家は広島市のアパートから、車で二十分程度。ゆえに田舎というイメージがない。おかげで朱里の居る関家にだけ居ても、陽輝は気兼ねをする必要もないのだが。


「夕方って言っとらんかった?」

「片付けは、昨夜すんでしもうたんよ。なに、母さんが早う戻ったらいけんの?」

「そんなこと言っとらんじゃろ」


 到着は、午後一時すぎ。男物と言っても通用しそうな色付きのワイシャツに、クリーニングしたてのようなスラックス。仕事へ行くときの服装で、母は車を降りた。滞在中はだらしない格好をするのに、行きと帰りだけ見栄を張ってなんの意味があるのだろう。


「昭子叔母さん、いらっしゃい」


 ハッチバックを開けた母は、軽く大きな紙袋と古びたブランド物の重いバッグを陽輝に押し付けた。アンバランスな荷重に、二、三歩もたたらを踏む。

 その間に遅れてやってきた朱里が、従弟の惨状をくすりと笑った。


「ただいま、朱里ちゃん。これ後でみんなに出して」

「わあ、いつもありがとう」


 母は紙袋をひったくり、朱里へ渡す。印刷された店名を信じるなら、きっと中身はレモンケーキだ。


「ゼリーはちゃんと渡したよ。で、またいつものやつ持ってきたん?」

「それとこれとは別。こういうのは、期待を外さんことに意味があるんよ」

「なにそれ、どういうこと?」

「ハルくん。あたし叔母さんの持ってきてくれるレモンケーキ、好きよ」

「ええ? それならまあ、しょうがないけど」


 九日前にもゼリーを持参したのに、母は自分の実家へどれだけ気を遣うのかと不思議に感じる。

 真意を問うたのには、朱里が参戦したために即時の撤退をすることとなったけれど。


「朱里ちゃん、なんか要る物とかある? 叔母さん、街まで行ってくるけど」

「うーん? これと言ってはないですよ」

「そう、じゃあ適当に買ってくるね。陽輝、荷物を置いてきて」

「え、俺も行くん?」

「当たり前でしょ」


 どういう屁理屈を通せば当たり前なのか、全く不明だ。しかし朱里の前で、駄々をこねるような真似をしたくない。

 仕方なく縁側にバッグを放り、また戻ってフレアに乗り込む。


「あたしも行ったほうがいい?」

「いいよいいよ、叔母さんだけで十分」


 俺も居ると文句を差し挟む暇もなく、フレアは進み始めた。手を振ってくれる朱里に、陽輝は窓から顔を出して振り返す。


「なんかあったん?」

「なんかって?」


 姿勢を通常に戻すなり、母は聞いた。あまりのタイミングだったので、なにを指してのことか咄嗟に分からない。


「陽輝から助けてって言ってくるん、珍しいけえね。よっぽどかと思ったんよ。なにもないんならええけど」

「助けてって――言ったつもりはないんじゃけど」


 言っていない、と否定しきれなかった。どこにどう触れていいのか、朱里の悩みは大きすぎる。

 母は、ちらともこちらを見ない。質問を重ねもしない。話すのなら、陽輝が少しの勇気を出さねばならなかった。


「……朱里ちゃんと、キャンプに行ったんよ」

「楽しかった?」

「うん、まあ」

「楽しくないこともあったんじゃね」

「うん、まあ」


 ごまかすこともできたはずだ。理屈の上ではそうするべきと考えてもいた。だが陽輝の口は、するすると語り始める。


「朱里ちゃんが結婚するって、聞いとる?」

「そうなりそう、とはね。お義姉さんから、内緒でって」

「そっか。その相手の人がね、結婚式ができんって連絡があったの、聞いてしもうたんよ」

「ああー……」

「それで朱里ちゃん。前から伯母さんとケンカしとるみたいで、なんて言えばいいか分からんって」


 母は頷き、しばらく無言だった。次に話したのは、商店街の駐車場へ着いてから。


「陽輝はどうしたいん?」

「どうしたいっていうか、なにができるんか分からん。なにをしても逆に迷惑になる気がして」


 レバーをPに合わせ、フットブレーキをギリギリッと踏み、母は首を鳴らす。それからおもむろに陽輝と向き合い、言葉を探すように視線を左右させた。


「はっきり言うとね。うん、その通りよ。陽輝が本当の弟だったとしても、下手に口出しすることじゃない」


 はっきり言いすぎだ。どういう基準で言葉選びをしたのかこそ、先に聞きたい。

 驚いて、目を逸らすこともできなかった。硬直する息子に、母は言葉を重ねる。


「でも。あんたのことじゃけえ、もう口出ししたんでしょ」

「う、うん」

「それでもまだ、格好良く見せたいんでしょ」


 なんだか浮ついた表現に抵抗はあった。けれど、じゃあどうしたいのかとなると大して違った答えもない。

 せめてもの抵抗に、少し首をひねりながら頷く。すると母は、気安い風に二度首肯した。


「分かった、母さんが話してみる。保証はできんけど、陽輝の格好がつくように」

「格好はもうええよ。母さんにこんなこと頼む時点で、全然じゃろ」


 ここで諦めては、朱里と交際する道すじが絶たれてしまう。お情けでもいいから、願望を叶えたいのが本心だ。


「そんなことはない思うけど。まあ今日の今日とはいかんけえ、焦らずに待っときんさい」


 過程に拘らず貪欲に目標へ向かうのも、ある意味で男らしい。「そんなことはない」と母の言ったのは、そういう意味だろうか。


 解説はなく、母はさっさっと商店街を歩いた。迷うことなく足を向け、立ち止まったのは鮮魚店。

 海から遠いこの町でも、大きなカンパチが並んでいた。母は大枚をはたき、刺し身にしてくれと頼んだ。

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