第18話:影を照らすには
三百円の折り畳み椅子に、戦国武将のごとく股を開いて座る。
キャンプと言えば、まずは焚き火。浅はかなイメージに従い、白い煙と格闘した。
朱里はと見れば、きっちり閉じた膝へ両肘を突き、同じく両手に顎を乗せた。ようやく落ち着いた火を、ためつすがめつ。なにが面白いのか、陽輝の持つ枝きれが動くのを追う。
彼女との距離。およそ九十センチが、微妙に遠い。
「なんだか蚊が居なくなった気がする」
「え、そう?」
夕刻に差し掛かる時分と言え、真夏となれば蒸し暑さも最高潮の頃合い。噴き出した汗に誘われた虫を、ひっきりなしに手で払っていた。はずだが、たしかにいつの間にか気にならなくなっている。
「言われてみれば、そうかもしれんね」
「山で火を焚くのって、こういう意味があるんだね。ハルくん、凄い」
「いや俺も知らんかったし」
本当に知らなかったし、暑い中に熱い物を増やしてどうすると思っていた。雰囲気と暑さと、天秤が傾いた方向はたまたまだ。
「知らなくても、やってみるのが凄いよ。知らないのを知らないって言えるのも凄い」
「え、そう?」
集めた中でも太い薪を、火の真ん中へ入れた。じっと中心を眺めていた朱里は、一時的に弱まったのが気に入らないのか、長い枝で薪をつつく。
ローストビーフを作るように、じっくりと一面ずつを炙っていく。
「そうだよ」
「けっこう俺、考えなしじゃけえ。なにも思わずに言っとるかも」
相手の意見や気持ちを想定しながら喋るのが、上手な話し方。とは誰かから聞いた。
しかし普通に会話していて、特に楽しい気分のとき、意識できるものかと思う。
「それがいいんだよ。あれこれ思うばっかりで、言ってもらえないとつらいもん」
「うん――」
地面と、朱里の頬と。照らすオレンジが、鮮やかに見え始めた。視線を上げれば、同じ色が西の空へ僅か残る。
すぐそこに、夜が来ていた。
「なにか、あったん?」
「んーん」
即座に、否定の声。彼女は変わらず火を眺め、炭となった薪を突き崩す。
「朱里ちゃん」
「なあに?」
名を呼んだ。しかしやはり、視線がこちらを向かなかった。
話を聞いてやれと、祖母の言葉を思い出す。言うだけの理由はあるようだが、どうすれば聞けるのか。相手が言わないものを、無理に言わせるわけにもいくまい。
どっちみち、今じゃないわ。
タイミングはここでない、と。日和見をした。
「晩ごはん。俺が作るけど、それでええ?」
「いいよー。というか、いいの? どんなのを作ってくれるか、あたしは楽しみで嬉しいけど」
「ええよええよ。朱里ちゃん、畑の手伝いに家事もして大変じゃろ。毎日なんか、俺ならできんわ」
話題を変えると朱里は目を合わせ、微笑んでくれる。楽しみと言われると、陽輝のほうが目を逸らしたくなったが。
たった数日、言われたことをやるのは簡単だ。夕食のメニューも特別な今日だけなら、肉の塊を丸かじりにしてもお茶を濁せる。
現実にはまず、角切りにした野菜を小さな鍋に入れて火にかけた。
「畑は毎日じゃないの。八月は暇だから、頼まれればやるっていうだけ」
「じゃあ八月以外はなにしとるん」
「保育所に行ってるよ。半日だから、残りは役場のお掃除とか。言ったことなかったっけ」
「知らんかった。でもそうか、短大って保育士のじゃったっけ」
「うん、そう。幼稚園の先生もできるよ」
精肉店の主人に刺してもらった焼き鳥の串を、金網に載せて焼く。ネギも挟まっていて、メインができるまでの前菜にはちょうどいい。
脂の落ち始めたところで、祖母にもらったハムを取り出す。一センチ余りに分厚く切り、ジュンテンドーで見つけた万能スパイスをたっぷりと。金網の、火から遠い場所へ置いた。
「わあ、豪華だね。そんなの買ってたっけ」
「バアちゃんにもらったんよ」
「そうなの? なんだか悪いなあ。おバアちゃんもだけど、ハルくんに」
「悪いって、俺なにもされてないけど」
「だってキャンプの道具、こんなにたくさん。わざわざ買ってくれて」
テントに椅子。荷物を置いたシートや、焚き火に使う金網やトング。ついでに言えば食材や、リュックにはまだ使っていないアイテムが残っている。
どれだけの用意があればいいか分からず、使いそうと思えば買い漁った結果だ。
「点けていい?」
「もちろん」
リュックから出していたLEDのランタンを、朱里は持ち上げた。吊り下げる取っ手を持ち、ゴムのスイッチを押す。
まだ十分に明るいと思っていた視界が、青白い光で満たされる。ただの黒い塊になっていた枝の葉が、一枚ずつの形を取り戻した。
「明るいねー。かなり高級品なんじゃない?」
「そんなことないって。二千円もせんかったよ」
「ほら。全部合わせたら、かなりでしょ」
「あ、まあ。うん」
誘導尋問だったらしい。高校生の買い物として、安くなかったのは事実だ。
朱里のためと大義名分があり、軍資金もあった陽輝に、そういう意識はなかったけれど。
「でも大丈夫よ。知り合いの人に頼んで、アルバイトさせてもらったお金じゃけえ。朱里ちゃんのために使うって決めとったんじゃし、悪いとか思わんでええよ」
「ハルくん、優しいね」
陽輝と話すとき、朱里はいつも笑っている。大きく笑声を上げることがあれば、分かりやすく微笑みかけることも。
これといって笑う理由がなくとも、彼女は笑んでいる。二人のちょうど真ん中の地面に、ランタンを置くのにさえ。
「優しいんかな。俺、朱里ちゃんを最優先にしかできんだけよ。学校の友だちとか、同じバイトしようって言っとったのに、抜けがけしたし」
「あー、それは悪いね」
網に載せたままの焼き鳥にわさびを落とし、しょう油を垂らす。香ばしい煙が立つ中を、一本取って差し出した。
もちろん苦笑いでだ。
「そっか。ハルくん、あたしを特別って言ってくれたんだもんね。遠慮するほうが悪いね」
「そうよ。朱里ちゃんが楽しんでくれたら、それで満足なんよ」
串を受け取った朱里は、豪快に齧りつく。「あちっ」と言いながらも、二かけを抜き取った。
はふはふと口の中を冷ましつつ、「おいしいね」と。それは笑っていなかったけれど、陽輝にはなによりの賛辞と思えた。
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