第17話:従兄たちの秘密基地

 家の前から国道へ向かい、対面に見えるのが関家の所有する山だ。山頂を数えると二つあるそうだが、取り立てて言うほどのなにが採れるでもない。

 朱里と二人。踏み入ったのは、午後三時を過ぎていた。


「懐かしいねえ。ハルくん、木に登って山菜採ってくれたよね」

「そんなんしたっけ?」


 くたびれたジーパンに、首の緩んだTシャツ。従兄のリュックを背負い、車もどうにか通れそうな山道を歩く。

 実際、通っているのだろう。轍の幅に土が剥き出しとなり、真ん中は草が伸びている。


「それでハルくん。ここでなにするの?」

「秘密よ、秘密」

「秘密、ね。ふふっ」


 あー、バレとるわ。

 噴き出す朱里の意味ありげな視線は、リュックに向いた。おそらくは、くくりつけた円形のケースに。

 七、八十センチの直径に、厚さは数センチ。フラフープでも入っていそうだが、触れればふにゃふにゃだ。


 露見するのも無理はない。ジュンテンドーでの会計は別にしたが、積み込んだのは当然に朱里の車だった。

 そのうえ食材の買い出しまで同行しては。


 いやいや、逆に考えるんよ。分かっとって来てくれるんじゃけ、楽しいいうことじゃろ。

 カーキのキュロットと白いシャツ。食材を入れたリュックも背負ってくれている。軽い足取りは、陽輝が先導するのを容易に許さない。


「お兄ちゃんが使ってたのって、どこ?」

「あれ。朱里ちゃん、知らんの?」

「うん、ハルくんが知ってるのも知らなかった」


 話す間に、草木が深く濃くなっていく。十分ほど歩いただけで、轍もなくなった。目指す場所は、間もなくだ。


「一回だけ、連れてきてもらったんよ。晩ごはん食べたら帰らされたけど」

「そっか、なるほどねー」


 なぜ帰されたか、朱里は聞かなかった。代わりに口を押さえ、笑うそぶりを見せる。やはり目的はバレているし、彼女は意外とからかうのが好きらしい。


 五分ほどで、もはや背丈よりも高くなった雑草が丸く開けた。きっと進入した車が、向きを変える場所だ。

 大した勾配もなく、ここまで来るのは楽なものだった。だが額に手をやるとじっとり濡れていたし、深呼吸をすれば息の上がっているのに気付く。


「川があるの?」

「そうそう。そこが目的地」


 両の耳に手を添えて、音の方向を朱里は探した。吹き抜ける風の茅を揺らす声にも負けそうな、さらさらと流れる唄。

 あると知れば、不思議と音量が増したように感じる。


 道は踏み倒された草の向こう。谷へ降りる格好になるので、急な傾斜が待っている。

 大人の朱里に、手を貸す必要があるだろうか。そう考えた本心は、必要の有無にない。


「あ、朱里ちゃん。石とか転がっとって、危ないけえ。手」


 腰高の段差を飛び降り、腕を伸ばした。補助をしようというのに、どうも目玉が言うことを聞かず、あさってを見てしまう。


「手? あ、ありがとう」


 彼女はどんな顔で握り返してくれたのか。脳天から血の噴き上がりそうな心地だが、歯を食いしばって平静に顔を保つ。

 よいしょ。と下りてきた足の着く先も、さすがによそ見してはいられない。


 朱里の尻が少し汚れた程度で、唯一の難所は越えた。だからと直ちに手を離すのも、触れていたくないようで無礼に思えた。

 繋いだまま歩くと、抵抗なく着いてきてくれる。死んでもいい、くらいに思えて鼻息が荒くなった。彼女が後ろで良かったと思う。


「へえぇ。キャンプ場みたいね」

「あ、うん」


 とうとう、ズバリそのままを言われてしまった。言う通り、小さな沢を眺める位置に広く土が露出した、平らな地面。山道から直接に覗かれることもない。

 あつらえたような。というか朱里の兄が整えた、秘密の野営地だ。


「朱里ちゃん、いつもキャンプに行きたい言うとったじゃろ。あとから俺も言いだして、邪魔しとったけど」

「そうだねー。二人だけ、おいてけぼりだったよね。ハルくんが泣くから、あたし怒られちゃって」

「えっ、そうなん? 知らんかった、ごめん」

「あはは、しょうがないよ。ハルくん小っちゃかったもん」


 朱里の兄と、次光の息子たち。年長の男子ばかり三人は、よくここでキャンプをしていた。

 年長と言っても次光の次男は、朱里の一つ下だ。彼女が除け者にされたのは、女の子だからだろう。


「それ、テントでしょ? パッと広がるやつ。テレビで見たことある」

「やっぱりバレバレじゃったね」


 リュックにくくりつけた円形の物体を、ケースから出してみた。

 すべすべした撥水性の布地が折り重なっている。一気に元の形へ戻ろうとするのを抑え込みつつ、そっと広げた。

 するとドーム型のテントが、手間もなく出来上がった。


「わあ、凄いすごい。本物みたい」

「いや本物じゃし」

「え、あ、そっか。なんだろ、プロみたい」

「プロ? あはは、そうじゃね」


 なんのプロだか分からないが、アウトドアの経験のない朱里には珍しい光景という意味だろう。

 と、人ごとではないが。


 陽輝も小学校の野外活動以来、やったことがなかった。昨今キャンプブームで動画も流行っているようだが、何度かチラ見した程度。

 ジュンテンドーで買い込んだ一万二千円分の品々を、どうにか使いこなさなくてはならない。


「キャンプかあ。でも、ということはさ」

「う、うん?」


 朱里はリュックを下ろそうとせず、遠慮がちにテントのフレームをつついた。

 なにか言い淀むように見えたが、陽輝には見当が及ばない。


「今夜はここに泊まる、んだよね?」

「あ――」


 持参したテントは二人用と書いてある、この一つきり。もう一つ買うこともできたが、財布の残りを考えると厳しかった。

 しかしテントなど、雨や蚊を防いで眠れればいい。今の今まで、そうとしか考えていなかった。


「汗かいちゃうから、着替えたいし。お風呂もないし。それに、ほら」


 ほら、とはなんだろう。なにを指しているか、幾つかの仮定が陳腐なイメージを脳裏に膨らませる。


 違う。俺は純粋に、朱里ちゃんがやりたいと思って。

 いくら自分に言いわけをして、それが本心と分かっていても、ちらと考えてしまったのを否定できない。


「朱里ちゃんが嫌じゃったら、やめてもええよ。そうじゃ、暗くなるまででもええね。焚き火でごはん作ったら、気分だけは味わえるし」


 山道には違いないが、一本道だ。大きなライトも持ってきた。頃合いで関家に戻ることも十分にできる。

 除け者にされた二人だけで夜を明かすのは痛快だと望んだのは心残りだが。


「ハルくんは泊まりたいんでしょ?」

「俺はっていうか、朱里ちゃんがやりたいことをやらせてあげたくて。変なことはせんって誓えるけど、それで朱里ちゃんが楽しめんかったら意味ないし」


 いつの間にか、手が拳になっていた。必死すぎて、引かれたかもしれない。必死なのは朱里のためと伝わっていればいいが、そうでなければ最悪の結末を迎えてしまう。


「……うん、そうしよ」

「わ、分かった。晩ごはん食べて、バアちゃんちに帰ろ。絶対に朱里ちゃんを、危ない目には遭わせんよ」


 胸の奥で、キュッと。スイッチの切り替わる音がした。朱里と二人きりのキャンプは名残惜しいが、自分の気持ちなどどうでもいい。今の陽輝は、彼女の願いを叶えるために居るのだと。


「ううん、違うよ。今日はここで寝よ」


 えっ。という声も出ない。息が詰まり、心臓さえ止まった気がする。

 揺すって見せるつもりだったのか、朱里はテントを持ち上げた。想像を越えた軽さに驚いたらしく、宙で手放す。


「こ、これ。凄く軽いね」

「そうじゃろ。荷物入れとかんと、風で飛ばされるかもしれんよ」


 テントの角が土を掻き、横倒しになった。慌てて追いかけた朱里と、陽輝もちょうど同時に捕まえる。

 目を合わせて、「あはっ」と笑われた。なぜだか分からないが、陽輝も笑わずにいられなかった。

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