第二章:恋とはなにか

第13話:やり残し

 北広島町の空は高い。広島市より標高も高いはずだが、漂う雲に手の届く気がしなかった。

 町じゅうどこへ行っても、畑と田んぼばかり。野山の緑には事欠かないが、コンクリートのグレーはなかなか見つけられない。

 きっとそのせいだと、過ぎ去るアスファルトに目を落とした。


「どこまで行くん?」

千代田ちよだまでよ」


 告白の翌日。朱里は午前八時三十分に、陽輝を連れ出した。まだ寝ぼけ眼ではあったが、「行こうよ」と言われて四十秒もかからなかったろう。


 昨夜の今朝で、胸の高鳴りが治まる気配はない。緊張の続くおかげか、声も出ないとはならなかった。

 家の前には、もうハスラーがアイドリングで止められていた。洪水になった道路へ、朝日がピンク色に撥ねた。


「服買うって言うたよね。サンクス?」

「ううん、ジュンテンドー」


 広島市の方向へ戻ること、二十分。となり町の、衣料品も置く大きなスーパーへ行くのだと思った。

 しかし朱里は、ホームセンターの名を答えた。作業着や農具はあるが、若い女性の求めるような品はない。


 聞き違いか勘違いと思うのに、宣言通り。ハスラーはジュンテンドーのだだっ広い駐車場へ入った。

 未来永劫、絶対に満車になることはないだろう。平面ばかりで百台以上も枠が確保されている。

 入り口の間際へ駐車した朱里は機嫌良く、八割のスキップで店に飛び込んだ。


「これ買うん?」

「うん。さすがに水着ってわけにもいかないから」

「それは構わんと思うけど」

「ん?」

「なんでもない」


 脇目も振らず、朱里の向かったのはアウトドア用品の棚だった。しかもハンガーに吊られたウェーダーを手に取る。

 アユ釣りなどをする人が使う、胸まで防水になるズボン。その手にあってなお、彼女の履いた姿が思い浮かばない。


「水着って、川に入りたいん?」

「そう、正解」


 髪を踊らせて、朱里は振り向く。手にはオレンジ色のウェーダーがあって、ワンピースでも選ぶように身体へ宛てがう。

 小さく「おー」と、感心の声がこぼれ続けた。もう意図は分からずとも、気に入るのがあればいいねとしか思えない。


「似合う?」

「に、似合う? 似合うよ、カッコ可愛い感じ、漁師さんみたいじゃ」

「そっかー。白いのもあるなぁ、どっちがいいと思う?」


 ハンガーに吊られた衣服を、女性が順番に宛てがって見せる。

 ショッピングには定番の光景と頬を緩ませつつ、ウェーダーに似合うとかあるのか? と悩んだ。


「朱里ちゃんは白いイメージじゃね」

「そう? じゃあハルくんの言う通りにする」

「いいん?」

「似合うと思ってくれたんでしょ。いいに決まってるよ」


 危うく、崩折れそうになった。朱里の笑顔は、膝にくる。


「川でなにするん?」

「あのね。ハルくん、あたしのやりたいことをしようって言ったでしょ。だから考えたの」

「うん」

「みんなと遊んでないなあって。お兄ちゃんたち、魚捕りとか好きだったじゃない。あたし、一度もやったことなくて」


 朱里の兄。次光の息子、二人。陽輝と最も近い従兄でも、六つ上。

 尽く県外に出て行った三人は、よく一緒に野遊びをしていた。最年少の陽輝は、危ないからと連れてもらえないこともあった。

 しかし思い返すと、たしかに朱里は一度もその場に居なかった。


「ああ……そうじゃね。俺はまだ、近場のときは連れてってもらったけど」

「そうよね。キャンプなんかは、おねしょするから絶対ダメって」

「あ、朱里ちゃん!」

「あははっ。小さいころだもん、仕方ないよ」


 白いウェーダーを四つに畳み、小脇に抱える。そのまま隣の売り場から玉網を取る。野暮ったい品のはずなのに朱里が持つと、フェンシングの道具を選んでいるかに見えた。


「上手な捕り方とか知らないけど、いいの。ハルくんとね、一緒にやってみたい」


 いつも従兄たちは本当の漁師のように、集まった人数分の魚を捕って戻った。それは最年長の、朱里の兄が教えたおかげだ。

 歳の離れた陽輝は、教わる機会がなかったけれど。


「うん、ええね。俺も分からんけど、二人でやってみようや」

「わあ、ありがとう! そんなのつまらないって言われたら、どうしようと思ったの」

「言うわけないじゃん」


 相手が朱里なら、それがなんであれ楽しいに決まっている。陽輝には当たり前の事実を答えると、彼女はウェーダーと網を抱き締めた。


「あっ、そうじゃ。朱里ちゃん、俺も思いついたんじゃけど、それ任せてええ?」

「うん、いいけど。なにするの」

「後のお楽しみ。朱里ちゃん、絶対に楽しいと思うはずよ」


 アルバイトで得たお金を、どうするか考えていた。一瞬前まで、彼女の選んだ物を代わりに買うのが第一候補だった。

 しかしそれでは、どうも締まらない。

 話しているうち、ふと閃いた。まだまだ魚捕りの道具に目を輝かす朱里をそのまま、隣の棚へ足を向ける。

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