第11話:告白

「言いたいこと? あたし、なにかしちゃったかな」


 朱里は両手で口を押さえ、眉根を寄せ、悲しげな表情を作った。いかにもわざとらしく。

 食事をして、花火をして。ホタルが見えたから足を運んで。親戚同士、身内同士の楽しい時間のあと。陽輝がなにを言おうとしているか、予知できるはずもない。


「えっ。いや、そういう悪い話じゃないって」

「そっか、良かった」


 茶化されたのを、冗談では返せなかった。ぶるぶると小さく、否定に首を振る。と、朱里はいつもの優しい口調で、返事を短く切り詰めた。


「――ええと」


 台本までは用意しなかったが、概ねどんなセリフを言うか考えていた。けれどもその順番が、いざ言おうとすると吹っ飛んだ。

 どれから言うんだっけ。

 焦るうち、浮かんでいた文言さえも白く薄れていく。あっという間もなく、なにを言うんだっけに悩みが変わった。


 薄く微笑んだまま、朱里は待っていてくれる。陽輝の心臓がどれだけ激しく動いているか知れば、少しは表情も違うのだろうか。

 沈黙を、用水路が緩やかに押し流す。ときに葦を靡かす風が、無闇に背中をも押す。


 段々と彼女の首が傾げられていくのは、不安にだろう。幼い従弟は、なにを言いあぐねているのかと。

 言わなきゃ。

 頬や首回りが熱くなるばかり。せめて逸らさないと決めた目に、夜の端が潤んでいく。


「うん」


 数十秒、いや数分も使ったか知れない。

 両手に拳を作った朱里は、力強く頷いた。頑張れと励ます声も、大丈夫かと案じる言葉もない。

 一人で勝手に口をぱくぱくさせ、どうしたいのかも分からない従弟を、ただ見つめていてくれる。


 こんな朱里だから。

 脳裏に、知る限りの彼女が浮かんだ。多くは去年、陽輝の家へ居たときのこと。それより前はおそらく、想う種類が違った。文字にすれば同じでも。

 最年少の陽輝に構ってくれる、一緒に居てくれる、楽しいいとこ。自分が、朱里が、男とか女とかは意識していなかった。


「あのね、朱里ちゃん。俺、どうしても言いたくて」

「うん、なんだろ。聞かせて」

「まず。去年、勉強教えてくれてありがとう。朱里ちゃんが居らんかったら、高校に行けんかったかもしれん」

「えっ、そんなことないよ。それにお礼はもう言ってもらったよ」


 朱里はひとつ、「ほぅ」と息を吐いたように見えた。それから手を振って、陽輝の言い分を否定する。

 陽輝もまた、首を横に振った。彼女の居ること、という意味がまだ伝わっていないという意味で。


「あたしなんか、そんな。あ、でもまだお話の続きがあるんだよね」

「うん。俺、今年こんなに早く来たんはね、お礼をしようと思ったんよ。朱里ちゃんのやりたいこととか、欲しい物とか。なんかしてあげようって」


 できれば前者であればいいと思っていた。後者であって、婚約指輪というなら願ってもないが。それは勇み足も甚だしく、あり得ない。

 しかし朱里は、きっとどちらも拒むだろう。


「そんなそんな。お礼はもう言ってもらったし、昭子おばさんにもしてもらったの。あたし、ハルくんのお手伝いがしたかっただけだから気にしないで」


 やはり。こうもきっぱり断られては、その後どんな話もしづらい。

 だが後回しにはできなかった。なにもかもを踏まえて、この次の言葉が生まれたのだから。


「あのね、朱里ちゃん……」

「うん?」


 彼女の唇が、なにを言われても「気にしないで」と繰り返す形に構えている。しかしもう、儀礼の時間は終わった。

 ここからは朱里との、新しい関係が始まる。ホタルを探すふりはやめ、真横に立つ従姉を正面に向く。


「俺ね、朱里ちゃんのこと。好きなんよ」

「え……? あ、ああ。うん、あたしも好きよ。ハルくんのこと」

「いや、ええと。そういうんじゃなくて」


 朱里も気づいて、こちらを向いてくれた。手を伸ばせば、肩でも顔でも触れられる距離。手を握るべきかもしれないが、逃げ出さないよう自分の太ももを押さえるのがやっとだ。


 まばたきをする毎、彼女の微笑みが崩れ落ちていく。砂浜に築いた楼閣が、ゆっくりと満ちゆく潮で浚われるように。


「そうじゃ、ない?」

「そうよ。俺、朱里ちゃんが好きで、付き合いたいと思っとる。ええと、彼女になってほしいってこと」

「あの、それって――」


 どう言えば勘違いや言葉足らずにならないか、必死に頭を回転させた。甲斐はあったらしく、朱里は「まさか」と言いかけたのを喉の奥へ引き戻す。


「今まで言ったことないけえ、驚かせてごめん。でも本気なんよ」


 どれだけ深く想っているか、証明のしようがない。それでもこの場の勢いなどでないことを示したかった。


「勉強を教えてもらって、おかげで合格できて。優しいし、ずっと一緒に居ってもらえたら、凄い幸せじゃと思って」


 ひどい告白もあったものだと、我ながら感じた。とりとめなく、こんな気持ちも持っていると並べ立てるだけ。

 だがどれも、心の底からだ。どうか信じてほしいと願いながら、ぽつりぽつりと言葉を繋げていく。朱里はそのいちいちに、頷いてくれた。


「えっと、それから」

「ハルくん。うん、分かった。遮ってごめん」

「あっ、ううん。こっちこそごめん」


 細い指を揃えて、朱里の手が肩の高さへ上がる。少し震えているのは、風のせいではないはず。


「ちょっと。ちょっとだけ待って、なんて答えるか考えるから」

「う、うん。いくらでも待つ」


 挙手が、制止の意味に変わる。視界の真ん中を塞がれた向こうで、朱里は顔を俯けた。

 待つと答えると、「ありがと」と一瞬笑ってくれたが。それは熱に冒されたように、汗ばんで火照っていた。


「……ひとつ、聞いてもいいかな。あたしたち、いとこだよね」

「いとこでも結婚できるって聞いたよ」

「あ、そうなんだ」


 朱里は知らなかったのかもしれない。けれど決して、おかしな話ではない。珍しくはあるかもだが、前例はある。


 突き出された手が、陽輝の身体を縛り続ける。呼吸さえも忘れそうで、ときどきひきつけたように息を吸った。

 そうして吐いた息は朱里の手をくすぐったはずだが、彼女は顔を起こさない。


「うん。よし、お返事するね」

「お、お願いします」


 前置いて、再び顔が見えた。

 垂れた髪を指先で整え、頬や顎に何度か手を触れ、覚悟を決めるように細くため息が吐かれる。


「ハルくん、凄くすごく勇気が要ったよね。そんなに頑張ってくれて、好きって言ってくれて、嬉しいよ」

「えっ、じゃあ」


 望んだ通り。予想したまま、受け入れてくれた。そう思ったが、朱里の手が陽輝の口を封じる。


「待って。順番に話すから」


 そうだ、焦らせてはいけない。焦っているのは自分だと、恥ずかしく思う。

 頷くと、朱里も頷いた。


「あのね、これは昭子おばさんにも言ってないんだけど。先にハルくんに言っちゃうね」


 唐突に母の名の出た意味が分からない。最初に浮かんだ理由は、朱里が難病を抱えている場合。

 それならば親以外に知らせていないのも納得がいく。同時に命の危険を想像して、背すじを寒くさせたが。


「あたし、もうすぐ結婚するの」


 寒気のせいだろうか。よく聞こえなかった気がする。

 朱里がなんと言ったか辿れば、結婚すると耳に残っていた。結婚とはどういう意味か、考えようとしても結果が出ない。脳内の辞書が、なぜか貼り付いて開かない。

 だのに。ひどく悲しい、不愉快な気持ちが湧き上がる。

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