第10話:ホタルを見つめて
関家に戻ると、いちばん上の伯父が焼き肉の準備にかかっていた。
半分に割ったドラム缶を、並べたブロックに据える。浮かび上がる隆々とした筋肉が、アラフィフとは到底感じさせない。
「もう今日は終わったん、
「終わったで。いうか、陽輝らが来とるのに、土ばっかりいらっとれんじゃろ」
長男で家と畑を継いだ長明は、陽輝や朱里に甘い。
そもそも自身も楽しいことが好きなのだろう。陽輝のいとこは自身も含めて五人だが、毎年の花火を軽トラで買い付けてくれた。
そのうち三人の巣立った今年は、さすがに見えないけれど。
「
「んー? 家へ戻ったが、すぐ来る思うで」
次男の次光は本家を出て、別に家を持つ。関商店から畑を横目に歩いて十分かかるものの、一応は隣家ということになる。
「お、肉ようけ買うてきたの。陽輝、競争じゃけえの。うまいのが要りゃあ、ちゃっちゃ食わにゃないなるで」
「ええ? 言うて伯父さん、お酒ばっかりじゃん」
「当たり前じゃ。飲んだら仕事にならんのじゃけえ、しこたま飲まにゃ損よ」
長明は話しながらも土台の具合いをたしかめ、良いようだと手で汗を拭った。返す刀で傍らに置いていた缶を取り、ぷしっといい音をさせる。
「今から火ぃ熾すけえ。まだ肉は冷蔵庫に入れときんさい。満江に言うての」
「うん」
「ほいで、お代わり持ってきてや」
「ペース早っ」
にかっと歯を見せた伯父の持つ缶が、たぽたぽと唄う。よくよく見れば、空き缶が既に二つ並んでいた。
まだ二時を過ぎた頃合い。火が落ち着くのに多少の時間がかかると言え、三時には至るまい。
しかし長明は缶ホルダー付きのディレクターチェアを運び、すっかり火の番人の構えだ。
言われるまま台所へ行くと満江は居らず、母が野菜を切り分けていた。勝手知った祖母の家なので、断ることもなく冷蔵庫に肉を収めた。
「伯父さんが、ビールの追加って」
「ええ、もう? ほいじゃ、それで持ってってくれる?」
母は冷蔵庫の上にあるクーラーボックスを指さした。氷を入れて、まとめて持っていけということだ。
しかし冷蔵庫には、肝心のビールが三、四本しかなかった。予備を探すと、冷蔵庫の隣に箱で置いてある。
「これ、もらったん?」
「お中元みたいじゃね。伯父さんがお酒飲みすぎ言うて、糖質ゼロいうのをくれちゃったんと」
わざわざ問うたのは、関家にビールの箱があるのを初めて見たからだ。伯父は二人とも焼酎派だったはず。
たしかに熨斗紙へお中元と書いてあり、送り主は北条となっている。
北条タクちゃん、か。
過去、帰省の間に朱里の友人を見たことはある。弟と間違われ、からかわれ、それでも悪い気はしなかった。
その中に該当する人物が居るか記憶を辿ったが、誰ひとり名前を覚えていない。
「あれ昭子おばさん、一人でやってるの? ごめんなさい」
そこへ朱里が戻った。関商店の裏に車を止めた後、祖母と話してでもいたのだろう。
焼き肉の準備を昭子が一人でやっていることに頭を下げ、母は構わないと笑った。
「ハルくんもごめんね。重かったでしょ」
「ううん、全然平気よ」
「ほんと? さすが男の子」
「あの、朱里ちゃん。これ――」
肉を運ぶくらい、どうということもない。そんなことよりと引き出したビールの箱を指し、問おうとした。
北条タクちゃんとは、どういう友人なのか。大人になると、友人同士でもお中元など贈り合うものか。
成人した佐伯や能美にビールを送る未来など、どうも堅苦しく面倒くさい。
「ん、ビール?」
「うん、ええと、あの。その、伯父さんが持ってきてって。朱里ちゃんも手伝うて」
「うん、いいよ。昭子おばさん、その後あたしもお手伝いするね」
聞けなかった。どんな友だちか言ってごらんなさいと、フィクションでそんなことを言うキャラは必ず悪役だ。
ましてや陽輝は、弟のようなもの。まだ恋人にはなっていない。
三時を過ぎると次光夫妻も訪れ、関家の焼き肉大会が始まった。予想通りに中年男の二人は、ビールを燃料とする肉焼きマシーンと化す。
案外とその肉を掻っ攫うのは、朱里を除いた女性陣だった。タレは太るからと塩コショウだけで、一度に二、三枚が口へ放り込まれる。もちろん祖母も含めて。
やがて午後七時を過ぎ、陽が落ちた。祖母は五時の時点で店じまいに席を立ち、そのまま自室へ引っ込んだ。
母と伯母たちは合間合間に汚れた皿やゴミを片付け、居たり居なかったり。
「ねえねえハルくん、花火しよ」
「花火って、今年も買ってあるん?」
「なんや、やりたかったんか。陽輝も高校生じゃし、要らん思うて買うてないわ」
暗くなったところで、さぞ楽しいだろう誘いがあった。が、ないものは楽しめない。
しかし朱里は悪戯っぽく眉を動かし、「ふふっ」と笑う。首を傾げる陽輝に構わず、そのまま自分の部屋へ縁を上がった。
「じゃーん」
すぐに戻った朱里は、よくスーパーで見かける花火セットを突き出した。長明の用意するバカでかい打ち上げ花火などはないが、二袋も。
「わざわざ用意しとったん?」
「えー。ハルくんとしたくて買ったんだけど、興味なかった?」
「あるある。手間だったら悪い思ったんよ」
「全然手間じゃないよ」
朱里の手には仏壇で使う太いロウソクもあった。伯父からライターを借り、平らな石の上に立てる。
「ハルくん、好きなの選んで」
「ええと、じゃあこれ」
大きなポッキーのような銀色のを選び、ロウソクの火に先を突っ込む。数拍の無反応に、湿気ているのか不安になった。
けれども火薬の臭いがツンと漂い、シュバッと勢い良く火花が弾け始める。
「あら花火? やっぱり風情があってええね」
家に入っていた母が、また外へ出てきた。焼き肉の時にはなかったポーチを持ち、キーホルダーも反対の手にある。
どうやらこれから自宅へ戻るらしい。
「昭子おばさんもやる?」
「ううん、手が花火くさくなるけえ」
せっかく朱里が誘ったのに、母は断った。帰ろうというときに、また蛇口へ戻るのも面倒とは分かるが。
陽輝の握る一本が燃え尽きるまで、母は見届けた。しかし消えるとすぐ、余韻もなく「じゃあ」と歩き去る。
また二、三分して、ゆっくりとフレアが通り過ぎる。窓を開けた母は、腕をいっぱいに使って「バイバイ」と別れを告げた。
「兄貴、ビールがないなったで」
見計らったように、クーラーボックスが空になったらしい。継ぎ足しを担っていたのは次光の妻なので、見計らったようにではないかもしれない。
「ほうか、じゃあ引き上げようや。ほいで飲み直ししょうや」
「おお、ええのう」
「お父さん、まだ飲むの?」
「もう飲まんよ。ビールは」
朱里の苦情に、子どもの言いわけが返る。なにか病気を抱えているとも聞いていないので、それ以上咎められることもなかった。
「朱里、最後にドラム缶の火ぃ見といて」
「任せて」
二人の伯父が空けた缶は、十や二十ではなかった。銘柄は同じだったのでお中元もひと箱でないようだが、問題は飲酒量だ。
昔から酒好きの伯父が千鳥足になったのを、陽輝は見たことがない。今も二人してしゃきしゃきと玄関に向かい、まるで農具を取って仕事を始めるかのようだ。
「あれならストーブも運べそうじゃね」
「そう見えるでしょ? でも今なら、たぶんあたしでも腕相撲で勝てるよ」
「そうなんじゃ、あははっ」
唇を歪めたおどけた顔で、ダメダメと朱里の手が振られた。普段のイメージにない表情に、吹き出してしまう。
伯父も伯母も、祖母も。その後、家から出てくることはなかった。二人で一本ずつの花火を同時にやっても、全て終わるには小一時間以上がかかったろう。
「ねえ。線香花火って、昔はもっと辛抱強くなかった?」
「どうじゃろ。俺は落ち着きなくて、すぐに落としてばっかりじゃった気がする」
「そう? ハルくん、好きなことはなんでも一所懸命なイメージあるけど」
最後の一本は、朱里に譲った。もちろんそれで恩を売ったわけでないし、願を立てたでもない。彼女が楽しいのなら、少しでも長く味わってほしかった。
「うん、まあ。好きなことはね」
もう水滴の形になった穂先を、じっと見つめる。なるべく堪えてくれと、祈りながら。
十。
二十。
数えるのが、僅かずつ速まっていく。
「ああ、落ちちゃった」
「ああ……」
三十七まで数えたが、これは長持ちしたのだろうか。百くらいまで行けば、満足できたかもしれない。
「あっ」
「なに?」
「ねえ、ホタル」
朱里の評価は聞けなかった。しかし彼女の指の向く先には、ほのかな緑色が間違いなく飛んでいる。昔からずっと姿を変えていない、用水路の辺りだ。
いい兆しに違いない。これはきっと陽輝でなくとも、そう予感しただろう。
「近くに行ってみよ」
「うん、まだホタルが見れるんじゃね」
「昔と比べると、全然だけどね」
近づく間にも、光の行方を見失った。用水路の間際で待っていると、ときに一つ二つが瞬く。
「ずっと、このままならええのにね」
ぽつり。呟いたのは、朱里。
このままとは、ホタルの見られる水辺のことだろうか。それとも他に、特別な意味が?
考えても、明確な結論は出ない。希望的観測が先走って、陽輝自身が苦笑してしまう。
「朱里ちゃん」
「なあに?」
ホタルの飛ぶかもしれない辺りを見つめたまま、隣に立つ従姉を呼んだ。
彼女が微笑み、こちらを向いたのは視界の端に見える。だが気づかないふりで、前を向いたままでいた。
すると朱里も、同じ方向を見つめる。
「あのね。俺、朱里ちゃんに言いたいことがあるんよ」
ひと言ずつ。口から押し出すたびに、つられて内臓がはみ出そうだった。首の付け根辺りを指で押さえ、荒ぶりそうな呼吸も整える。
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