第9話:朱里の交友
あと一つ角を曲がれば、商店街に入る。その交叉点を、陽輝が想定したのと逆に折れた。
「あれ、こっち?」
「うん。ちょっと寄り道」
問うた視線を、ちらと横目が答える。それだけでも胸が縮こまり、二の句が継げない。
「道の駅がね、綺麗になったの。ハルくん、見たいかなと思って」
「う、うん。見る」
「ん、調子悪い? 戻ったほうがいいかな」
十数秒。呼吸のしかたが、分からなくなった。かすれた声に、朱里は何度も振り返る。
こんなんじゃいけん。
胸に手を当て、深く吸い込んだ。
「ううん、大丈夫。朱里ちゃんを見とっただけよ」
「ええ、なあにそれ。運転下手くそなのがバレるから、あんまり見ないで」
朱里の手が、目隠ししようと伸びてくる。「もう」と頬を膨らませ、拗ねた素振りも見えた。
そうそう、こうならんと。
この夏は、陽輝がリードすると決めたのだ。考えてみれば今日は、朱里の世話になりっぱなしだ。
この場は冗談でいいが、せめて彼女を楽しませたい。
「さあハルくん、着いたよ」
朱里の手を払いのける素振りをすれば、彼女もまたしつこく目を塞ごうとする。もちろん運転中なので、一度繰り返しただけだが。
その間に、ハスラーはどこかの駐車場へ入った。三、四十台のスペースが、八割がた埋まっている。
「綺麗になったって、ええ? 変わりすぎじゃろ」
「ね、凄いでしょ。わっさる、って名前はそのままだよ」
陽輝の知るわっさるはログハウス風の建物で、せいぜい十畳くらいだった。野菜の無人販売所でしかなく、広い空き地にぽつんと寂しい印象の。
けれども目の前にあるのは、高速道路のサービスエリアめいた建物。おそらく地元の肉、魚、野菜を販売するスペースと、民芸品のスペース。うどんやおにぎりを出す、軽食コーナーまである。
「ハルくん、お昼ごはんまだなんでしょ? ここで食べていこうよ。おばさんにも、そう言ってあるから」
「食べる食べる」
また主導権を握られてしまった。しかし車の運転や、毎度の食事は仕方がない。
せっかく朱里が提案してくれたのだから、楽しまなければ。
「俺おいなりさんと、冷やしうどんにしよ」
「じゃああたしは、月見うどんとおはぎ」
「ええっ、そんなんアリ?」
「ハルくんもおはぎ要る?」
「要る」
手作り感満点のお品書きを眺め、ご注文はこちらと書かれたテーブルへ。会議室で見るような長机が、近所のお祭り感を醸し出す。
「あら朱里ちゃん、今日はお休み?」
「はい
「その子は?」
「昭子おばさんとこの、陽輝くんです」
「あらあら、昭子ちゃんの。大きうなって」
頭に手拭いをかぶった、年配の女性が注文を聞いてくれた。朱里はよく知っているらしく、気安い世間話に花が咲く。
仕事中にええんかな。と思ったが、並ぶ客が居るでもない。自分の話のようなので、ひょこっと会釈をしておいた。
「朱里ちゃん、ごめん。ちょっとトイレ」
「うん、お店の奥にあるよ」
いなりとか月見うどんとか、メニューの書かれたプラスチックのプレートを受け取って席へ着く。しかし朝から車に揺られ、先ほどはスイカも食べた。だというのに、今日は出すものを出していない。
緊急事態と察せられぬよう、ゆっくりと席を立つ。
通り抜けた野菜売り場は、輸送用のカゴがそのまま置かれている。けれど却って、カッコいいと思う。
トイレの照明は人感センサーで、便器も黒光りする高級そうな物だ。窓から外を見ると、コンビニの看板が赤と緑に目立つ。
「なんか、一気に都会になってしもうた」
陽輝の住む周辺に比べれば、全くの田舎だ。だが祖母の家は、いつまでも森と川と田んぼに囲まれていてほしい。
そう思う視線の先、最後に折れた交叉点に信号機が見えた。あれも以前はなかったはずだ。
「まあ、便利にならんと困るじゃろうけど」
年に数日、遊びに来るだけの陽輝が言っても詮ない。これが悪いとも思わない。
ただ、胸のどこかに穴の空く気がした。
やはりセンサーで水の出る蛇口は、途轍もなく反応が悪かった。こういう適当なところが田舎の良いところだと、「なんで出んのや」と苛ついた言葉を吐きつつ楽しむ。
少しすっきりして戻ると、朱里がスマホを耳に当てている。電話をしているようだが、気にせず対面へかけた。
すると彼女はスマホを指さし、ごめんねの形に唇を動かす。
「ん、今? 従弟のハルくんと一緒。わっさるで、ごはん食べるの。え、そんなにおいしかった? うん、じゃあまた一緒に行こ」
いいよと答える間なく、朱里は通話に戻る。相手もここへ来たことがあるらしい。近所の友だちだろうか。
「冷やしうどんと月見うどん、できたよー」
斉藤さんが呼ぶ。おバアちゃんと思いかけて、オバちゃんと訂正しておいた。話し中の朱里は置いて、受け取りに行く。
なにかイジられるかなと思ったが、「ゆっくりしてって」と言われただけだった。一人分が載ったトレイを、往復して運ぶ。
「取りに行かせてごめんね。お中元のお礼だけと思って、タクちゃんに電話してたの」
「ええよ、ええよ」
椅子に座るなり拝まれては、それ以外に答えはない。いや朱里ならば、拝まれなくとも。
向かい合って食べたうどんは、茹ですぎの柔らかすぎだった。
それから道の駅の中をぐるっと見て回り、当初の予定通りに商店街へ向かう。
こちらの風景は、記憶と同じだ。それこそ店の人の年齢さえ変わらない気がする。
「朱里ちゃん、今日はなんにする?」
「焼き肉なのー」
「じゃあ、うちの豆腐買うていきんちゃい」
「朱里ちゃん、主役のカルビがようけあるよ」
車を止め、商店街へ踏み入るなり。左右どころか、五軒先からも声がかかる。
店主が軒並み五、六十代の男性だからではあるだろう。付近に朱里と同年代の女性も少ないはず。
朱里ちゃん、可愛いけえ。
なによりの理由はそれだと、陽輝には疑いない。恥ずかしがりながらも真ん中を歩く彼女が、眩しく見えた。
「おっ、今日は彼氏連れかいね」
「もう。それセクハラです」
「あいたた。そりゃあ往生じゃわ」
互いに親しい空気が濃すぎて、どうにも居場所がない。三歩遅れて歩いていると、ふいに朱里が振り返る。
「ハルくん、お腹痛い?」
「ううん、全然。元気よ」
「そう? 良かった、お肉屋さん行こ」
衆目の中、細くしなやかな腕が伸びる。差し出された手を握り返すと、朱里は笑った。
なにがそんなに楽しいのか、リズムをつけて跳ねるように彼女は歩く。そこまでやるなら、もうスキップしてしまえばというほどに。
陽輝は陽輝で、空を舞う心地だったが。
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