失せ物語り〜水晶食ふ女童、物怪どもに遭ふ事〜

川上桃園

おぼろの桃園

失せ物探し

 その日は少し春めいた日差しが降り注いでいた。

 主人に頼まれ、若菜摘みへ行く最中だった。笹の葉の上に、きらりと光るものを見つけた。遠目には朝露に見えたのに、乗っていたのは小さな石の欠片だった。二本の指で摘まんで朝日に透かす。水精水晶だった。

 珍しいなと思った。

 水精はわらびの《失せ物》。他のものならともかく、水精これだけは己で見つけられた試しがない。

 まぁ、そういうものじゃないか。隣に立った少年が肩を竦めた。


「どんなに優秀で賢明な官人でも、世俗との関わりを絶った仙人でも、己を見失う時があるものさ」

「……失くしたものが、大事すぎるから見えなくなることもあるのかな」

「どういうことだ?」


 少し考え込んだ少女は手のひらの欠片を見つめた。


「本当は大切にしていたんだよ。だからこそわからなくなって――忘れちゃったのかな」


 ほろ苦くて、少しさみしい気持ちになる。

 そう、気持ちだけ憶えている。

 逢いたい人が、いたはずだ。だれか忘れてしまったけれど、忘れてしまったことは忘れられない。


「食っていくうちに思い出せるだろ。……探すのは俺も手伝うし」


 少年は他に欠片がないか笹の繁みを枝でつつきだした。

 少女は腹が空いたので、おもむろに口に含んだ。その水精の味は八功徳水はっくどくすいのごとく、甘く瑞々しかった。これほど奇麗で美味なものはほかにない。

 少年が枝で笹を揺らすたび、霜解けの葉が小さな星屑のように光っていた。




――失せ物あらば、佐保宮さほのみやの童女に尋ねよ。

 巷でそんな噂が飛び交うようになった。

 童女の名はわらび。幼さの抜けない童女であるが、《失せ物探し》となるや、噂に違わぬ的中ぶり。諦めていた失せ物が次々と見つかるのだ。

 このわらび、依頼を受けて都を歩けば、不思議と失せ物へ行き会ってしまうのだという。依頼人へ渡せば、たいそうな喜びようで褒美の品が積みあがるが。肝心の本人は、物に頓着しなかった。

 どんなに高価で貴重な品物でも見向きもしない。ある公卿が豪華な膳を用意させても手を付けなかったという。わらびがぽつりと漏らすには、、と。

 佐保宮さほのみやには奇妙な童女がいるものだと評判になったのだった。



 わらびは、ふわあ、とのびやかなあくびをした。肩の辺りで切りそろえた黒髪が、紅のあこめの上の白い汗衫かざみへうちかかった。顔の造作が恐ろしいほど整っているが、所作や声に素朴さがにじみ出ている童女だ。

 寝ぼけまなこをこすっていると、おい、と呆れたようなかすれ声が右隣から。


「宮様の御前だ。しゃきっとしろ」


 室の中央にある灯台あかりだいの火が闇の中でゆらゆら揺れていた。灯火ともしびが少年の面をうすらぼんやり照らし出す。

 馬の尻尾のように髪をくくった、浅葱あさぎ色の水干を着た少年が、板敷の上に尻をつけて胡坐あぐらを掻いている。

この少年の名はひき丸と言った。しゃきっとしろと言うわりに、己こそがしゃきっとしない細目が特徴である。


「しゃきっと。……しゃきっと?」


 わらびはふらふらと左右へ動く頭を両手で押さえた。だが、目蓋まぶたはだんだんと重くなる。

 時刻は鶏鳴の頃より前。もののけの類はいざ知らず、大概の者はまだ眠りの中だろう。

 寝床を求めて稲穂のように垂れる頭に、その場にいたもうひとりの人物の、涼やかで少し低い声が響く。


「せっかくの美人が台無しではないかね、わらび」

「宮様。わらびは己に疎いのです。見てください、この何も考えていなさそうな阿呆な面を」


 わらびを「美人」と評した人物へひき丸が口を挟むが。


「花開く前の蕾のようにかわいらしいではないか。いじわるなことを言っていると、離れていってしまうかもしれないよ?」

「あんまり無防備なものですから、俺ぐらいは言ってやらないといけないんです」


 大真面目な少年に、男はからかうように言った。


「そなたも面倒見がよいね。河原院かわらのいんで拾った子に、ここまで心砕く者はそういないだろう」


 そう言われ、ひき丸はうっすら頬を赤くなったようだった。拾ったんで、と口ごもらせながら言っている。


「さあ、わらび。隣ばかり見てないで、この橘宮たちばなのみやの方を見てごらん」


 落ち着いた男の声が、わらびの耳にまっすぐ届いた。ふと目が醒めて、正面へ視線を上げる。

灯火に照らされた美貌の男が座している。烏帽子をかぶり、耳元のおくれ髪がたいそうなまめかしく、つやつやとした光沢のある臙脂えんじの衣がよく似合っていた。

 名を橘宮たちばなのみや。皇族のひとりで、正真正銘、やんごとなき身分の御方なのである。ひき丸の主人でもあり、わらびが佐保宮さほのみやに仕えられるよう取り計らった人物でもあった。


「起きたかね?」


 ゆったりとした所作で持たれた脇息きょうそくから居住まいを正した男に、わらびはもう一度、目元を擦り、「起きた」と素朴な声で答えた。


「それで、何の話だったっけ」

「わらびっ」


 右隣の少年が慌てるが、男はさして気にした風でもなく、「桃の枝の話をしていたのだよ」と告げた。


「あるひとに届けてほしいのだ。近く、都を出るというものだから。ただ、探すのは少し手間だから、そなたたちに頼みたい」

「失せ物は桃の枝なの?」


 そうとも、と橘宮はしっとりとした微笑みを湛えて頷いた。


「桃の花が満開に咲いた枝だ」

「そんなのないよ」


 今は梅の花さえ待ち遠しい寒さなのだ。桃の花が咲くにはもっと時期を待たなければならない。

 だが橘宮は「ある」と断言した。


「桃の花が咲くのは、《おぼろの桃園》。あの桃園の花は常に今を盛りに咲き誇る。生涯に一度しか入ることを許されぬ幻の桃園だ」


 わしはその一度をもう使い切った、と男はまなじりをやわらげた。


「かの桃園は入る者を選ぶとも聞くが、そなたたちなら入れるかもしれぬ。引き受けてくれるかね」

「はっ、喜んでお引き受けいたしますっ」


 間髪入れず、右隣の少年が勢いよく頭を下げる。わらびの意向などまるで無視である。

 橘宮はわらびへ「どうする」と言いたげな顔をした。わらびはごく簡潔に「わかった」と返して、立ち上がる。

 橘宮は笑みを深くし、こう告げた。


「さあ、そなたたち――『失せ物探し』をしておくれ」


 橘宮の言葉に背中を押されるように、少年少女は夜明け前の京へ飛び出した。




――そうだ。もしも、首尾よく桃の花をかのひとへ渡せたならば、言付けしておくれ。

 『あかざりし桃の花』、と。そう、それだけ伝えておいで。



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